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2023年の収穫

2023-12-31
牧水没後95年関連
自著刊行・短歌誌執筆・イベント企画参加
そして坪谷学生ツアーや学生群読企画など

元旦に日南市大堂津海岸で綺麗な初日の出を見た。1月2月は学生企画の群読イベントが走り、街中キャンパスアーケードでのステージには親友の真山知幸氏にも来てもらった。2月は宮大短歌会の学生・久永草太さんが歌壇賞を受賞し、初めて授賞式に参列させてもらった。2月の宮崎といえばキャンプ、コロナ以前から交流のある著名なプロ野球OB選手との交流も2晩に及び、WBC日本代表キャンプは初日の入場チケットが当選した。3月はみなかみ町で開催された「牧水顕彰全国大会」に参加、宮崎に戻り翌週には坪谷小学校を訪ねる学生ツアーを実施した。さらには親友の金原亭馬治師匠を宮崎にお呼びし、地域教育活動の活性化に協力をしてもらった。3月21日22日は言わずと知れた、WBC準決勝・決勝であった。なかなか3月までは充実した日々であった。

4月以降の忙しさは言葉に言い尽くせないが、5月末〆切『短歌往来』特集「鳥類の歌」に「牧水の鳥の歌」の評論を執筆。同時に没後95年に向けて新刊書の原稿校正に取り掛かった。6月末〆切では『心の花1500記念号』において、誠に光栄にも伊藤一彦先生の都井岬の歌について「土地と風景」という原稿を執筆した。さらに7月末〆切は『短歌往来』の「歌碑紹介特集」の原稿(牧水みなかみ町の歌碑)、その7月下旬には延岡で「いとしの牧水」公演に出演。また出身幼稚園の現園長先生が息子さんとともに宮崎を訪れてくれたのも7月末であった。8月は新刊書の校正の最終追い込み、さらには牧水短歌甲子園を観戦。9月9日には没後95年特別公開講座の開催。そして9月17日の牧水祭へ。その9月末は妻とともに一生の思い出となる小旅行へ。10月も瞬く間に過ぎ。11月は「心の花125年記念会」へ参加。そして12月末まで短歌誌2誌の原稿執筆という具合であった。こうした時の流れの中で、親戚など親しかった方々との惜別があった。また坂本龍一さんや谷村新司さんが旅立たれたのは音楽ファンとして悔やまれる報であった。

あらためてこのように書くと
やはり今年も頑張った!
そして何よりいつも妻や母や父のことを思う1年でもあった。


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年賀状を手書きにこだわる意義

2023-12-30
年賀状の多くは宛名もプリント
だが今年も筆ペンで1枚1枚を書く
事務的なものにあらず普段は会えない人を思うために

年賀状は確か25日頃までに出すよう、日本郵政は喧伝している。もちろんこれは「元日に届けるため」ということなのだろう。だが最近はその広報も喧しくなく、むしろ世間では年賀状をやめる向きの話題もよく聞く。社会の動向はどうあれ、自分自身の年賀状という存在を自問自答してその意義を見いだす人でありたい。今年は早々にデザイン印刷を注文し手元にあったにもかかわらず、結局は着手したのが昨日、宛名は筆ペンか万年筆で手書き(今年は万年筆のインク事情で筆ペン)、さらには必ずわずかでもコメントを付すのでそう簡単には終わらない。日常から礼状の類もそうだが、筆ペンや万年筆の手書きは貴重だと思う。今年は『牧水の聲』(鉱脈社9月17日刊)をお送りする際に、宮大短歌会の学生がお世話になった馬場あき子先生に手書きのお手紙を添えた。すると大変にありがたくも手書きのお葉書をいただいた。短歌に関わる者として、それは家宝となる1枚として机上の見える位置に掲げている。

このように文章を書いているうちにも、まだ年賀状を投函していない。本日にコメント書きをしてからの投函となる。昨日も書いたが、日本郵便の配達日数は今や「明治時代並み」に衰退してしまっているように思う。これもひとえに、日本郵政という会社のせいばかりではない。だがその配達状況からすると本日と明日は土日で、配達も集配も動かないということか?すると僕自身の年賀状は、仮に今日に投函するといつ配達になるのだろうか?と疑念が先行してしまう。それを心配するなら25日までに投函すればよいのだが、仕事に原稿、さらには短歌関係ですべきことが優先となる。むしろ年始の心を自らが持ち始めた今頃にコメントするのが、本道とさえ思う。それでも1年に1度、この葉書のわずかな面積の上だけで交流が続いている人も少なくない。その方々へ届ける一言と手書きの宛名、「あなたの名前を一字一字書く」ということに敬意を持つことが僕自身の大きな年賀状の意義だと思っている。

三が日を過ぎてしまうのだろうか?
はてまた葉書が80円台になったらどのくらいの人が年賀状を
デジタル化が甚だ進む時代に「手書き(相手への思いを文字を刻む)」ことを考えたい。


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原稿〆切と郵送への憂い

2023-12-29
〆切には様々な思いが去来する
何事も〆切前早々にやるか、それとも〆切ギリギリか
せめて安定して〆切までに運んでおくれ!

所属する短歌結社の月詠〆切は毎月25日、手書き詠草の郵送なので到着時期を考慮せねばならない。どちらかというと最後の最後まで推敲を重ねたいタイプなので、以前は〆切日に近づき過ぎて(27日ぐらいまでは待つことを裏話のように聞いてしまったので)編集部にも迷惑をかけていたかもしれない。最近は郵便事情が甚だしく悪化して、多くの人たちの話を総合すると宮崎県内でも土日を挟むと3〜4日、宮崎から東京だと5日を超えそうなのが常態化しているようだ。先日も「牧水研究会」の場で「明治時代より遅いですね」と皮肉った会話を交わしたばかりだ。約20年以上も前、「郵政民営化に賛成か?反対か?」と二者択一を掲げて選挙に圧勝した総裁を思い出す。あれから20年の時を経て、郵政の体力はここまで弱体化したのかと国民の選択とはいえ深く過去と未来を憂える。それは国立博物館関係にも、そしてまた国立大学法人にも同様な状態が顕著である。体力消耗した郵政は封書110円・葉書85円への値上げを打ち出したり、国立科学博物館はクラウドファンディングを実施するなど、結局は国民の負担と善意に委ねる結果が厳然と立ちはだかる。

前述のような事情で結社月詠は「20日には投函」が呼びかけられており、僕も大幅に推敲の時期を見直した。「すぐやる・あとまわしなし・おわったらつぎをやる」を原則とするようになった。日々のルーティン同様に、月詠ルーティンを確立しつつある。月詠以外にもいくつもの「〆切」として原稿や仕事上の書類などがある。仕事上の書類は、なるべく依頼されたと同時にできるものは片付けたいと最近は甚だ思う。つまり後回しにしても、記す内容に大差はないからである。一方で自らの論文・評論、さらには依頼原稿などは落ち着いた心で書きたいという願望も強い。今週はかなり「仕事上の」から解放されたので、依頼原稿の執筆に専念できる時間を得た。とはいえ〆切も間近か過ぎてしまうぐらいのギリギリの境界線上のような状態だ。救いなのは多くの出版社などではメール添付提出であること。書き上げたらすぐさまメールで送り、校正稿もすぐさま返送されてくる。ますます郵政と電子化の格差が鮮明になるのだが、この年末になってできていないのが年賀状の宛名書きである。

手書きでないと意味のないもの
〆切から逆算して綿密に考えられる日々を
大阪の歌友に御礼の品を送ったが翌日には届いており配送業者の体力を痛感している。


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心に向き合うこころ

2023-12-28
思い通りに行くことも行かないことも
すべてを含めて「わたしのこころ」
確か「ココロのボス」という語尾に「ココロ」をつけて喋るキャラもいた

幼少時を含めてあまりアニメを見ない方だが、印象深い作品がいくつかある。特に赤塚不二夫の「天才バカボン」や「もーれつア太郎」である。後者において「デコッ八」「ニャロメ」「ケムンパス」などのキャラクターが好きだったが、さらに「ココロのボス」というのが登場していた。タヌキの顔で尻尾もありダブルのスーツに帽子、ややコワモテであるが情に厚く、喋る際にの語尾に「・・・・なココロ」が口癖だ。前述した「ニャロメ」もそうだが、発言の最後にキャラクター名をつけ「・・・・・だニャロメ」というのが赤塚不二夫のキャラ創造の語感である。さて「ココロのボス」は「花や小鳥を愛する」存在でもあり、実は日本文化的な「ココロ」の持ち主ではないかと思うことがある。我々は日常の生活で「・・・・・なココロ」とは言わないが、実は「心」を表に出したり引っ込めたり、言わないが「ココロ」に満ち満ちた日々を送っている。

誰しも「心」では「こうしたい」「こうありたい」と思うことがある。だが生きていると様々な出来事に向き合い、思い通りに行かないことも少なくない。むしろそちらの場合がほとんどであって、僕たちは「心」でその出来事を受け止めて生きている。その軋轢を埋め合わせようとして、人は様々な「言葉」を生じさせる。それを昇華させたのが「短歌」ということにもなるだろう。あらためて「短歌の心」について、深く考える機会をいただいた。「心」には形がないゆえに、「言葉」で形にするしかない。それこそが、情をもって生きるということである。日常では簡単に言葉にできないこと、照れ臭くて言葉にならないこと、自分だけの心に留めておきたいこと、それを「歌をどう詠むか?」という工夫によって短歌は見事な「言の葉」となる。落語の謎かけの「ココロ」にも通じるところ、「・・・・・なココロ」を大切に生きたいものだ。

あなたの今日の「・・・・・なココロ」とは?
愚痴ではなく爽快な独り言としての短歌
生きることが全肯定的に前向きになるものだ。


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磨り減るタイヤと人間ドッグ

2023-12-27
先日の3年目車検でタイヤの磨り減りが指摘され
毎年1回の人間ドッグでは基本項目で優秀とされたが
時間の経過とともに減少する必然もあって

現在の自家用車に乗って3年になり、先日車検を受けた。最近は点検パックで5年は乗る計画になっていて、車検代も込みということで高額の費用がかかるわけでもなく(パックで投資しているのだが)検査を通った。こうした際にかつては儲け主義であれこれ部品の交換を主張するデューラーがあったが、現在のメーカーはまずは「お車の安全が一番」という主義で安心感が高い。それでも「タイヤがかなり磨り減っていて交換をお勧めします」と云う。これまで乗った車種では3年3万キロ台で磨り減るということはなかったが、4駆で街乗りが多い場合は減りやすいのだと説明を受けた。これもまた「安全が第一」の主義で決してデューラーが車検時に交換込みで行うでもなく、実に良心的な指摘だと受け止めた。やはり自動車の安全性は150%確保して日々の走行を楽しみたいものだ。

自家用車は車検までにも半年に1回は点検を受けて来ている。では人間はというと、もうかれこれ20年近くは年1回、誕生日月の前後に人間ドッグを受診している。昨日は今年の受診日であった。概ねどの項目も問題なく、診断結果の際に先生からは「100歳候補生」だと言われた。だが次第に減退する兆候の数値がないわけではなく、タイヤと同様に「安全」のための意識が必要だとも自覚した。とはいえ20代から体重の変化が10Kg以内であるとか、筋肉量や体脂肪率などが安定的に保たれている。「食事・運動・睡眠」の三拍子がいかに安定しているか?それぞれをベストにするための知識も不可欠だと実感する。あらためて僕自身の場合は、昼食を疎かにしていることが気になった。可能ならば、魚からの蛋白質補給が望まれる。基本的に「和食」が健康志向のメニューということになる。「運動」の安定した実施については、日々の歩行量でかなり日常化した。さらに意識の高い運動を生活の中で無理なく実施できる形を進めよう。などとタイヤの磨耗ではないが、身体を見直す貴重な時間を今年も得られた。

自分の身体はなかなかわからない
点検は日々の走り方や生活の仕方がそのまま表れる
定期点検の大切さをあらためて実感する。


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クリスマスと十三夜の月

2023-12-26
9月27日以降は心に刻む月末の十三夜
クリスマスで誰も観ない月が東の空に
「今年の想い出にすべて君がいる」

クリスマスには誰も月など観ないだろう、ほら「ぼろぼろ」の赤い鉄骨を通して月の光が差しているじゃないか。こんな趣旨の塚本邦雄の短歌がある。八月十五夜には「満月が綺麗!」と讃えていた者が季節とともに月の存在を忘れ、キリストの聖誕祭とされるクリスマスの歪な受容史の上で存在価値の定まらない行事に興じている。もちろん、キリスト教信者の敬虔で厳かな聖夜があることは承知している。これほど世界に情報が溢れ返り各国で文化の混淆が進んだ時代、あらためて自国の文化とも照らし合わせながら、今年1年を振り返り来たるべき年を意識するこの時節に待ち構えるクリスマスの意義を僕たちは自分なりに噛み締めたいと思う。少なくとも文化の枠組みを超えていま祈りたいのは、世界の平和である。そのためにも「あなたのそばにいる人」と「仲良くしようよ」という思いが大切になる。

記憶に残る月があるか?と問われてあなたはどう答えるだろうか。僕の場合、今年は9月27日の月が忘れられない。その月は「十三夜」であったのがさらに印象深くした要因でもある。「十三夜」とは特に陰暦九月十三日の夜のことで、八月十五夜の月に次いで月が美しいとされている。由来は平安朝に遡り、宇多法皇がこの夜の月を賞したものに拠ると云う。(以上『日本国語大辞典第二版「十三夜」の項目を参考にした)旧暦を確認すると今年は10月27日が「九月十三日」であった。つまり9月以降、月末に「十三夜」が訪れることが続いており、昨日は旧暦「十一月十三日」であった。やはり夕刻のまだ明るさが残る頃から、東の空には美しい月が出た。9月10月11月12月と、僕はこの「十三夜」を大切にしてきた。夕刻になり、施設にいる父にクリスマスプレゼントを渡しに出向いた。「今年」というものを噛み締めながら、クリスマスの夜空の「十三夜の月」がやはり美しかった。

今日から一気に年末モードが加速する
『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(2021新典社選書108)の思い
何度でも言う、世界に愛と平和を!!!


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牧水研究会総会そしてクリスマスイブ

2023-12-25
『牧水研究』第27号刊行
新たなテーマの評論も多く掲載
総会から帰宅して家族が集うクリスマスイブ

『牧水研究』第27号が昨日付で刊行された。本号には「英文四行詩」や「書を介した日中交流事業」など、新たな牧水短歌への顕彰のあり方を示唆する評論が掲載されている。この日に開催された研究会総会では、2年後の2025年が「牧水生誕140年」さらに5年後の2028年が「牧水没後100年」になるという節目について言及があった。今後の5年間で牧水研究・顕彰は、さらに大きく発展に向かって歩み出したといってよいだろう。前述した新規な視点の評論に加え、伊藤一彦先生の「若山牧水語録」、そして僕は「牧水の歩いた東京【その1】」を同号に掲載し、新たな連載的な評論や評伝が始まったとも言える。僕自身は特に東京出身である土地勘を活かし、生まれ育った土地に近い地域で、牧水がどんな生活をして歌を紡ぎ出していたのかを明らかにしていきたいと思っている。

充実した牧水研究会総会・研究会が17時に終わり、今宵はクリスマスイブであった。帰路に予約しておいた寿司店に立ち寄り四人前を受け取る。この日は朝10時前からケーキ店にも出向き、クリスマスケーキを購入した。というのも前々日にそのお店に寄ると、既に予約を締め切っており当日店頭に並ぶものからの購入だと聞かされた。午前中ならまず売り切れることはあるまいと、9時開店の店に10時に出かけた次第である。誰かの誕生日とともにケーキを必須条件とするクリスマス、物価高の影響もあってお値段もやや高くなった印象である。帰宅して義母と母を迎えて家族のクリスマスイブが始まった。2年前刊行の自著に「日本のクリスマス受容史」を書き連ねた上で、やはりイブは集まれる親族が集って過ごすのが何より大切だと思う。今年の様々を振り返り、そして残るは1週間、家族がこうして平和で仲良くいられること。何よりのクリスマスイブの祈りに通じるのである。

今年の牧水没後95年をあらためて噛み締めてこの先の研究へ
家族がいてこそあたたかいクリスマスイブが
「今年の出来事がすべて好きになる」


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メリークリスマスショー〜ぶつかり合って和む

2023-12-24
『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社新書108)
あらためて自著で描きたかったことを考える
1986年のメリークリスマスショーを見返しつつ

2年前に刊行した前掲書を執筆する際に大きな力になったのが、今年の再録音で再び脚光を浴びている「Kissin’ Chiristmas クリスマスだからじゃない2023」の一曲である。もとより1986年・87年の2年間のみ制作され、イブの夜に放映されたクリスマス音楽特番「メリークリスマスショー」(日本テレビ系列)のエンディングテーマであった。当時はレコード化されることもなく、そのことがむしろ僕ら若い世代の胸に強く刻まれた要因でもあった。何事でも「幻の・・・」というのを人は見たり聞いたりしたくなるものだ。2012年7月になって、ようやく桑田佳祐さんのソロアルバムで初音源化された伝説の曲。それから11年が経過し今回、桑田佳祐&松任谷由実で再録音されたのは自著にとっても大変にありがたいことだった。

今年は例年以上に公私ともに忙しい日々であったが、ようやく少し落ち着いたこの日。夕食がてら1986年「メリークリスマスショー」をYouTubeで観なおした。桑田佳祐さんを中心に多様なミュージシャンがお互いの個性をぶつけ合う、個性の最たるものは泉谷しげるさん、さらにビデオ収録参加だが忌野清志郎などの姿も見える。その衝撃の力が、音楽を生み出し時代を切り拓く。何より出演者それぞれが、この番組収録そのものを楽しんでいる感じがいい。多くがワイングラスを片手にクリスマスパーティーの雰囲気を漂わせながら、自らが音楽とともに生きていることを露わにしていく。現在では「TV番組」そのものを若い人を中心に観なくなっているが(かくいう僕も昨夜はYouTube視聴者)、80年代はまだTVの力で社会を席巻することができたような時代だった。「ぶつかり合って和む」今やこんな楽しい時間を、多くの人が手離してしまったということだろうか。

クリスマス年末は石油ストーブの匂いだが
「化石燃料」を使用している自分を省みたり
諍いが多い時代になってしまった要因を僕らが生きてきた40年ぐらいで見定めるべきかも。


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クリスマスだからじゃないー特別企画補講

2023-12-23
「Kissin’Christmas クリスマスだからじゃない2023」 MV 公開
待ってました『日本の恋歌とクリスマスー短歌とj-pop』をテキストにした補講
学生さん世代のクリスマスソングリクエストとともに

人々が「会う」こと、そしてお互いを確かめるように「ハグ(抱き合い)」「キス(接吻)」を交わす。2020年から3年間、人類にとって一番大切だと思われるこの行為が普通にできなかった。世紀次元のパンデミックが、人々の「会う」を尽く阻害した。どんなに科学が進歩しても、世界が未知のウイルスで閉塞的な状況に追い込まれることをまさに人類規模で体験した。感染の世界的拡大とは因果関係があるわけではないが、パンデミックが解消したら世界で幾多の人々が戦火に見舞われて明日が見えない状況に追い込まれている。地球温暖化への急務な対応を始め、人類には「内輪」で諍いを起こし「人殺し」をし合う時間などないはずだ。今こそ「仲良くしようよ」という幼児の時に最初に大人から言われる言葉を人類規模で実践するしかない。

「Kissin’Christmas クリスマスだからじゃない2023」 スペシャルリリックビデオが21日に 公開され、昨日の早朝に観た。多様な「二人」が笑顔で「ハグ」や「キス」に及ぶその素朴で大切な映像に桑田佳祐さん・松任谷由実さんらのユニークな歌唱映像が加えられている。この日は非常勤先の補講を設定していたが、自著『日本の恋歌とクリスマスー短歌とj-pop』(新典社新書108)をテキストにしており、さながら補講イブイブ特別企画という様相で授業展開をした。今の学生さんたちの世代は、どんなクリスマスソングに心が揺さぶられるのか?この日はリクエストを受けてWebを駆使しての「クリスマス物語」鑑賞会のようになっていった。教室の投影の大きさやスピーカーもよろしく、大きなライブ映像の迫力に魅了された。次第に学生さんたちは、スマホの懐中電灯機能をオンにして左右に揺れる光のウェーブを行い始めた。この和んだ心からこそクリスマスや年末年始の平和と幸せを祈る心が生まれるだろう。最終コマなので終了するとすっかり暗く、寒さきびしき中に「Merry Christmas! and Happy New year!」をお互いに告げながら今年の担当講義が全て終了した。

「仲良くしようよ」
まずは眼の前の人との「幸せ」を作ること
「クリスマスだからじゃない」世界の「今日」が愛に包まれ平和でありますように。


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題詠「税」ー宮崎大学短歌会2023年忘年歌会

2023-12-22
今年の漢字「税」
「ぜい」でも可能として忘年歌会を開催
学生たちにとって「税」とは・・・・・

今週は寒波の襲来によって急激な寒さの日々になった。これでこそ年末感が出るといえば出るのだが、それにしてもあと10日で今年が暮れるという感覚には乏しい。こんな中、宮大短歌会の忘年歌会が開催された。題詠は「今年の漢字」として先日清水寺で発表された「税」、これまた「今年の」という意味でやや実感に乏しい。出詠12首、出席13名、卒業生2名の出詠も含めて通常より多い歌が並んだ。素材は「贅沢」「税金」「酒税」「一口税」「税」「税金」「ぜい肉」「税率・減税」「贅沢」「税関」「血税」「中肉中背」であった。学生たちにとって「税」とは何なのだろう?漢字「税」のみでは難しいという判断もあって、「ぜい」という音が入ればよいという変則的な題詠となった。前述のように「贅沢」とか「贅肉」など「贅」の意味で使用される歌が複数あったのも皮肉な感じがする。僕たちは「税金」の不透明で意識できない構造の中で、知らぬ間に「血税」を支払っている社会に生きている。

今年は1年を通して様々な物価の上昇があった。そこに常にのしかかるのが消費税10%、そこで支払った「税」はどのように私たちの「生きる」に見返りがあるのだろう。就職直前の4年生の歌には、「所得」が上がるが「税金」も増えるという不安を語るものもあった。奇しくも音が同じ「贅」の文字には、「無駄」とか「役に立たない」という字義がある。最高得票を獲得した歌に「こたつの中で贅肉を増やす」という趣旨があったが、「贅沢」は「無駄なもの」を醸成するのかもしれない。酒には酒税、高騰しているガソリンにも「揮発油税」が乗せられている。ちなみにガソリンには現在1リットル当たり「53.8円」である。宮崎が出荷量日本一の焼酎には「1kℓ」あたり「200000円」の酒税が乗せられている。アルコール度数20度を超えると1度あたり10000円の加算があるので宮崎の20度は大変にありがたい製品だとわかる。などと学生たちとともに、「税」について認識を深める意味でも楽しい歌会となった。

かくして今年も宮崎大学短歌会は元気だった
次年度へ向けて会誌発行などさらなる活動を期待したい
顧問として基本的に出詠する姿勢を大切にし続けていきたい。


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