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偶然は小さな行動の積み重ね

2023-11-21
中学校登校時に会っていた人
起きるところからその偶然は積み重ねられていた
たぶんわずか数分の道で会うための必然

あれは中学校1年の夏頃のことだった。家から徒歩20分ほどの私立中学校男子校に通い始めた僕は、通学時の道に出会う公立中学校の女の子が気になり始めていた。登校というのはほぼ毎日同じ時間に家を出るので、毎朝のように会うようになった。彼女がその直線の道を歩くのは、時間にして3分程度、ある路地から通りに出てきてある路地を公立中学校方面へと曲がってしまう。その「数分」が早過ぎても遅過ぎても「すれ違う」ことはできなくなる。実際に僕がその「数分」に到達する前に遠方で彼女が路地を曲がってしまったり、早過ぎればまだ左手の路地の奥に姿が見えたり「すれ違う」一瞬の楽しみは泡となって消えた。次第に思いが募り、必ず毎朝の登校時間を精密に固定するような習慣づけをするようになった。

7時42分に家を出れば、家から8分程度で当該の「直線数分間」に7時50分に至ることができる。たぶんその小さな恋のおかげで、僕は「朝のルーティン」を組む習慣がついたのかもしれない。現在でも朝の行動は、毎朝測ったように同じである。だが考えてみれば、彼女の方も常に定刻に家を出る習慣がなければ成立しないことでもあった。人が道などで「偶然に会う」ということは、それ以前の様々な行動の蓄積が相互に合致しなければ叶わないことなのである。家を出ようと思っても靴の紐が絡んでしまったとか、家の中の電燈を消し忘れていたとか、小さな行動で微妙な変化が生ずることもある。結果的に中学校時代のその彼女には声を掛ける勇気もなく、そのまま「朝の数分」を楽しみにするだけの関係で何ら進展はなかった。だが人生にはこうした「もしも」がたくさんあって、幸福もまた災いも「偶然のような必然」に依存している不思議があるものだ。

なぜ?いま此処で
「いま」している行動の積み重ね
今日もまたどんな人と道で偶然に会うことだろう。


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