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「達観」に潜む空海の教え

2023-11-16
己を信じて行動に移す
喜怒哀楽の様々な心の襞を
いかにして超えてゆくための行動力

昨日に続き「言葉の意味」から。「達観」を『日本国語大辞典第二版』で引くと、次の三項目を確認できる。(1)全体の情勢を広く見わたすこと。また遠い将来の情勢まで見通すこと。(2)細部にとらわれないで、物事の真理を見とおすこと。また、物事にとらわれないで、喜怒哀楽を超越すること。(3)真理を悟った人。悟りを開いた人。特に仏のこと。(1)(2)の用例は江戸末期から明治であるから、日本での使用は比較的遅く「明治漢語」の部類かもしれない。しかし新規なものではなく(1)書経(2)蘇軾の詩文の用例も見られ、もとより中国由来の漢語であることがわかる。さらに(3)には空海(弘法大師)の『性霊集』が用例として掲載されており、仏語であることも確認できる。まさに「仏」のように物事を見据えて、喜怒哀楽の煩悩に左右されることなく「悟りを開く」精神の持ちようを表現した語ということだろう。

人は生きていれば、どうしようもなく喜怒哀楽に左右されがちだ。そしてまた自分だけが見た細部に心を砕き、様々に思い悩むことも少なくない。目が行き届き丁寧に生きていればいるほど、知らなくて良いことに思い悩むのかもしれない。などと考えて前述の「達観」の辞書的語義を読み返すと、いくつものヒントが潜んでいることがわかる。「広く見わたす」「遠い将来」「真理を見とおす」「喜怒哀楽の超越」などだ。きっと(3)の用例の空海も、当時の平安社会にあって様々な苦難や煩悩に苛まれていたのだろう。だが周知のように空海の視野は「広く」「遠く」「超越」して広大な宇宙を捉えていた。高野山奥の院での入定は、まさに「達観」の極みである。我々は現代社会に生きて、決して容易に「達観」できるはずもない。だが空海を見習って「広く遠く超越する」ことを心の糧にすることはできる。日々に生じる喜怒哀楽を短歌にして昇華させ、次なる前向きで肯定的な行動に転化していくのである。

引き続き『アボガドの種』を読む
やわらかく全肯定的な「達観」の結晶
自分の視野を「広く遠く超えてゆけ」という空海の教えが響く


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