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俵万智『アボガドの種』ー現代の心詞論

2023-11-14
「言葉から言葉つむがずテーブルにアボガドの種芽吹くのを待つ」
「心から言葉をつむぐとき、歌は命を持つのだと感じる。」(帯文より)
『古今和歌集仮名序』に通ずる現代の心詞論

『心の花』創刊125年記念会の素晴らしい時間の余韻が冷めやらぬうち、日曜日の最終便で宮崎へ帰ると俵万智さんの新刊歌集『アボガドの種』が自宅に届いていた。東京で俵さんご自身に久しぶりにお会いできたところだったので、お送りいただいたことを知ればお礼を述べたのにという思いに苛まれた。早速その夜の就寝時から読み始めると、歌のテーマの多彩な日常性に深く引き込まれた。昨日の朝になってお礼のメッセージをお送りすると「宮崎の歌もたくさん出てきますので、お楽しみいただければ嬉しいです」とのご返信を早々にいただき恐縮した。確かに「宮崎の歌」になると、俄然としてリアル感が増して解釈できる。中にはきっと世界で僕だけしかできない解釈が可能な歌がある、といった自惚れたある種の優越感に浸ることのできる、僕にとって幸せな気分になる歌集である。

歌集の帯文に引用された「あとがき」を冒頭に一部引用させていただいた。(収められた歌についての言及は控えたい)歌集名になった一首は雑誌掲載時から気になっていたが、「あとがき」を併せて読むとまさに現代の「心詞論」だと深く心に刻みたい歌論としての趣がある。『古今和歌集仮名序』に紀貫之が記した「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」からおよそ1118年、やはり短歌の本質は抒情性だということを現代短歌の視点からこの歌集はあらためて宣言しているようにう読める。「一首一首、自分の目で世界を見るところから、歌を生む。」(あとがきより)ということを僕などは分かっているようで分かっていないのだ。今回の記念会歌会の評にあったように、「粗筋を書く」のではなく「作者の立ち位置」を示さねば心から言葉をつむぐことはできない。あらためて俵さんがいかに「自分の目」で宮崎を世界を見ているのかを、一首一首から勉強をしているところである。

大学の韓国語の先生と俵さんらと意見交換した一連も
植物の命にも通じる万の言の葉への向き合い方
大学のそして「心の花」の先輩としてあまりにもありがたい存在だ。


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