fc2ブログ

自分を追い越して来た故郷で

2023-09-30
「ここが故郷🎶歌えニッポンの空」
紙芝居に生活作法まで自分を変えてくれた幼稚園
そしてまたヘアーファッションで人生の親友との出逢い

何歳になっても自分がどれだけ成長したか?などと日々に考えることがある。同時にこれまでの人生でどんな貴重な出逢いが、今の自分を作ってくれているか?などと考えることもある。誰しもが赤児の時は「親」の世界観の中で育てられるが、幼稚園や保育園という社会に出て行き次第にその世界観を追い越していくように思う。僕の場合は、登園しても母が帰ると頻りに泣き叫び周囲に連鎖を及ぼすほどであった。集団行動には遅れ、プールやかけっこも嫌いだった。だが紙芝居の「物語」が大好きになったり、発表会の合奏で「大太鼓」に起用されたり、次第に自分を追い越す契機が掴めた気がする。「物語」は現在の文学研究者の原点であり、「大太鼓」は音楽好きの基盤になっている。また手を石鹸で入念に洗い蛇口に泡が付いていたら、最後に水をかけて流すなど生活作法の多くを幼稚園で学んだ。僕の故郷には、現在もこうした教育方針を引き継ぐ幼稚園が「現代」という教育が混迷する時代にも燦然と向き合い続けているのが頼もしい。

中高大の思春期にも、自分を追い越す経験が幾多もあった。部活動や受験勉強が自分自身を鍛えてくれた。そんな中で「親の文化圏」から離れる経験もくり返したように思う。例えば、散髪に何処の「床屋」に行くかは大きな課題だったように思う。中高で部活動をしていた際は短髪にしていたので、親の仕事のお得意さんである「床屋さん」に行くのが常だった。大学に首尾よく入学しても、「床屋」でしばらくは「七三分け」みたいにしていた。だが中高男子校から文学部に入学した僕は、やはり恋に目覚め始めファッション雑誌などを読むようになった。そこで一番の問題はおしゃれな「ヘアーサロン」に鞍替えすることで、やはり「親文化圏」からの離脱に他ならない。その時、偶然にも実家から30秒程の場所にまさに「ヘアーファッション」と店名に冠する店が新規開店した。母親に律儀に新しい店で髪を切ると告げて、その店の扉を開いた。開店スタッフで同世代の一人と妙に馬が合い、次第に「専属担当」になり一番自分に合う髪型でおしゃれの道を歩むようになり今に至る。大学での学びなどとともに、20歳前後に髪型で自分を追い越した経験こそが、僕を形作って来てくれたといってよいだろう。

故郷にある人生の記念碑
これからまた恩返しをする機会を
親友と互いの人生を見つめ楽しむありがたき時間。


関連記事
スポンサーサイト



tag :

北鎌倉の思い出

2023-09-29

小学校の遠足
「建長・円覚🎶古寺の〜」
雨の翌日で天園ハイキングコースの下り坂で転び

物事を運ぶときは冷静で慎重だと自負するのだが、人の内面は多重的であると思うこともある。東京では、小学校5年生の折に「社会科」で歴史を学ぶこともあり「鎌倉遠足」が行われるのが通例である。事前に「鎌倉幕府」のことを学び、音楽の時間には「鎌倉の歌(正式なタイトルではないと思うが)」も唄った。いよいよ遠足当日になり、地元の駅から東京駅で横須賀線に乗り換え北鎌倉駅で降りた。その時、なんともいえない歴史の素晴らしさを感じ取り、社会科がさらに好きになった。教科書に出ている「円覚寺舎利殿」を観てさらに感激し、僕はこういうことが学びたいんだと初めて思った経験だった。さらに建長寺まで歩いたので「鎌倉学園」の前を通ったわけだが、其処が桑田佳祐さんの母校だなんて当時は微塵も思っていなかった。もちろんサザンが鮮烈にデビューするのはその数年後なのだが、ある意味で僕の趣向に大きな縁と契機をもたらしたのは、あの北鎌倉の思い出だったのかもしれない。

遠足ではさらに建長寺の裏山に登り、やや険しい山道の「天園ハイキングコース」を歩いた。前日に雨が降っていて、先生方が思う以上に道はぬかるんでいた。僕は地図が大好きなせいもあってか、一番高いあたりからの鎌倉の歴史を想像させる景色は壮観であった。山道は次第に急な下りとなり、歴史を想像する楽しさを友だちと語り調子に乗ったのだろう。慎重な僕としたことが、足を滑らせて尻餅をつき衣服が泥だらけになってしまった。坂道を下り切るとアスファルとの公道に出たが、クラスの女の子などに泥だらけの衣服を見られのが恥かしく、傍に停車していた汚物処理の車の前で「臭いな〜」と照れ隠しで大声で言ってしまった。すると乗車していたおじさんが「臭いならあっち行け!クソ坊主」と大声で怒鳴り返された。ふと我に帰った僕は、とんでもない罵声を大声で言ってしまったと大変な自己嫌悪に陥った経験だった。もちろん帰りの横須賀線内も泥のついた衣服で乗車、そんな恥ずかしい経験が僕をさらに緻密に慎重にしたのかもしれない。

あの北鎌倉の思い出から何年が経ったのだろう
鎌倉学園出身の桑田さんこその「愛の言霊」「盆ギリ恋歌」
大きく自分を揺さぶった経験の中の鎌倉



関連記事
tag :

人生に夢を与えていただきありがっと!

2023-09-28
遠足バスの中で歌った
「ラララ〜🎶」の響きから45年
いつも人生に夢を与えていただきありがっと!

中学校ぐらいの時には、誰しもが大きな夢を持つ。「プロスポーツ選手」「ミュージシャン」など特に人気ある姿に憧れるのも必然だろう。その高みに向かい自らを磨き冒険し挫折し立ち直ることをくり返し、人は次第に自らが生きていく道を定める。このくり返しの過程で現実と夢を擦り合わせて、次第に可能だろうと思われる生業に行き着く。だがそれでもなお生きていく上では、「幼い時の夢」みたいな無謀で壮大なものに向かう意志が大切なのだと思う。冒険し挫折から立ち直る過程で、多くの人が「音楽」に助けられたりする。僕の場合は、中学校の遠足バスの中で大合唱になった「ラララ〜ラ〜ララ〜ラララ!」に出逢い、その後も特に大学以降は、いつも自分に夢を与えてくれ続けたのが、サザンオールスターズ・桑田佳祐さんの音楽である。

最近「睡眠中の夢」のなかで、よく桑田佳祐さんに逢う。海沿いのテラスのある家のようなところで、桑田さんが僕を迎えてくれる。江ノ島・烏帽子岩・茅ヶ崎の湘南サザンラインは、僕の大好きな場所の一つだが、それをコンパクトにさらに自然豊かな海にしたのが宮崎の青島周辺の海だ。サザンメンバーのドラム・松田弘さんは宮崎出身でもあり、この地理的なつながりの線上にサザンの音楽があるようにも思う。そんな人生の網の目の上で、僕は夢を追い続けているのだ。著書で桑田さんの歌詞について考えられ、「詩を詠う」とは何か?を追究し続けることも、僕に与えられた天命ということになるだろう。この日は、全国の多くのサザンファンの方々と話す機会を得た。それぞれの人生を歩みつつ、サザンから夢を与えられ続けている。僕の「中学生のような夢」はまだまだこれからだ。

故郷とは何か?
生きるとは何かを教えてくれる
さらに強く歩み続けよう!サザンとともに!


関連記事
tag :

やり切って夏

2023-09-27

新刊著書の校正
牧水没後95年に関する新評論・講座など
公私ともにさまざまな波に揉まれながら

暦の上ではとっくに「夏」は終わっていて、「秋分の日」お彼岸も過ぎた。「暑さ寒さも」という成句のように、朝晩の風には涼しさが感じられるようになった。しかし、気温や残暑の具合からして「夏の終わり」は既にこの9月末になってしまったのではないか。かつて中高教員をやっていたせいもあって、夏休みが終わる8月末に異様な虚しさを感じる時期があった。夏の楽しさが去るとともに、「夏の達成感」が無かったからだと思う。研究を再度志してからは、夏の最後に論文〆切があったので「書き切って投稿する」ことに執心した。その後の査読で苦労したこともあるが、何より「書き切る」という行為が大切である。夏は「燃え尽きる」のではなく、「やり切る」ためにあるのだ。

このような意味で、今年の夏は「やり切った」感がある。公私のさまざまな波に揉まれながら、新刊の校正を迫られた7月から8月。お盆以降の強烈な追い込みは、自分で自分を褒めてあげたい。また牧水没後95年という節目にあり、特別公開講座を企画・開催できたことも大きかった。その全てが9月17日「牧水祭」の当日にお逢いした方々によって報われたような気にさせてくれた。その随所において、妻や母や義母がいつも応援の言葉をかけてくれたことにも甚だ助けられた。時に頭の中が混乱しイライラしてしまうこともあるが、いかに冷静な考えを保つかが重要なのも再認識した。かくして「やり切った夏」が過ぎていく9月末、心を今一度洗い直して実りの秋へ進もうと思う。

時には自分にご褒美も
心を解放する時間も人生のうち
同じく公私ともに頑張っている妻と素敵な時間を過ごしたい。


関連記事
tag :

牧水『海の聲』と僕の湘南

2023-09-26
今も聞こえる海鳴りの響き
あの繋がっている海の先へ
牧水が身体で受け止めていた地球

こうして早朝に耳を澄ましていると、秋の優しい風とともに海の聲が聞こえてくる。家からほど近い公園の小高い丘に登れば、太平洋を拝むことができる。いつかこんな環境に住みたいと、若い頃から思っていた。東京在住時は「海」といえば湘南あたりまで行かなければ見られず、その響きも見た目も遠い存在だった。それだけに湘南の海へ行くと、妙な懐かしさにかられる時間だった。最も幼少の記憶は両親に江ノ島に車で連れて行ってもらい、おでんを食べて水族館で楽しんだものだ。海岸線の延長には刺激的な形をした茅ヶ崎の「ホテルパシフィック」が見えて、父が「加山雄三のホテルだ」と教えてくれた。あの幻想のようなホテルの影が、今もモノクロームのように僕の脳裏に焼き付いている。

牧水は第一歌集の名を『海の聲』にした。7歳まで海を見たことがなく、母に連れられて美々津の海を見たときの感激を後に文章に残している。12歳からの延岡生活では海のある街に住むことができ、大学で東京に行っても房総の海などを好んでいる。結婚後には妻・喜志子が病気になると三浦半島へしばらく転居したり、晩年は海と千本松原と富士山の光景が素晴らしい沼津を選んだ。山の奥深くで育った牧水が自然の本質を求めたとき、坪谷川から耳川を下り美々津で海に注ぐという原体験によって「海」に永遠の憧れを持ったのだろう。そんな意味では、牧水の「美々津」と僕の「湘南」は、海の原体験として永遠に生きているものなのかもしれない。寄せては返る波音を聞くとき、あの懐かしさは自分が生命をいただいたときの「母なる響き」を覚えるである。

湘南の江ノ島・宮崎の青島
僕の母なる海をいつも大切にしたい
今朝の海からの風は妙に心地よいのだ!


関連記事
tag :

書籍謹呈の喜び

2023-09-25
新刊『牧水の聲』好評発売中
特に若山牧水記念文学館と宮崎県内書店さん
そして諸々とご寄贈いただいた書籍などから学び

新刊『牧水の聲』が世に出て1週間が経過した。主にお世話になっている方々には謹呈させていただいたが、メール等で受納したとのご連絡を次々にいただいている。もとより「お忙しい折、お礼状等はご放念を」の添状を付しており、「またお会いできる際にお話いただければ」という趣旨で謹呈させていただいている。それにしても自らが世に問うた書籍が、どのように受け止められているかには大いに気になるところだ。SNS投稿などなら即時に多くの反響を目にすることができるが、ある意味で書籍への反響はじっくりと待たねばならないのだろう。

この同時期にも、何冊かの新刊書籍を寄贈いただいている。むしろこちらからもお送りする対象になる方々だが、ある程度のところは読み進めて要点となる感想を含めて礼状を添えて自らの書籍をお送りする。この日も2通の手紙を書いたが、やはり手紙で所感と御礼を述べる気分はなかなか良いものだ。最近はあらためて牧水の書簡を読む機会が多いが、その交流があってこそ文人として成り立っていることが知られる。むしろ文人の全貌を知ろうとするのなら、日常の手紙文こそが貴重な資料になるといってよい。もちろん現代のメールやSNSメッセージを否定するものではないが、ここに来てあらためて(手書き)手紙の大切さを痛感している。

書籍から学び書籍を謹呈し学びを受ける
こうした関係の人々があってこそ生きて行ける
文字通り「手で書く紙」の貴重さを再考するべきかもしれない。


関連記事
tag :

(5時間+α)×4セットの充実

2023-09-24
休日を充実させるには
休み方にもコツがある
睡眠・午前・午後・夜の4セット構成

本日も日曜日だが、休日は何もせずに終わってしまうと嘆くことは誰しもあるだろう。いささかゆっくり寝て起きてぼうっとしているとあっという間に昼過ぎ、何をしようかと考えているうちに夕刻になり、『サザエさん』が終わる時の歌を聞くとたまらなくやるせない気持ちになる。月曜日からの仕事へも意欲的になれず、所謂「サザエんさん症候群」のような心の持ちようである。寝溜めが有効でないと言われるように、休日でもせいぜい平日の起床時間+1・2時間以内がいいようだ。どんな日でもそうだが、朝の2時間が充実するとその日の時間は長く感じられる。1日を損した気分にしないためには、やはり午前中が鍵を握る。理想の睡眠時間7〜8時間を確保したとしても、【1日5時間1セット】としてやるべきことを組んでおくと上手く運ぶように思う。

この日は7時起床で平日より+2時間で8時間睡眠。午前中は僕の父母のために、昼食は義母とともにとり義父の墓参へ、夜は妻と二人で観ておきたいDVD映像を堪能した。概ね【5時間】を単位としておくと、糊代に1・2時間の余裕があって実に上手く運ぶことを実感した。午前午後それぞれの時間が充実していたので、夜に観たDVD「サザンオールスターズ2013胸熱マンピー茅ヶ崎ライブ」を心の底から楽しむことができた。これまでサザン・桑田佳祐さんの楽曲には人生を常に支えてもらっていると思っているが、ライブDVDの約3時間超によってあらためて心に生きる躍動が宿った。その延長上に「やさしい夜遊び」の放送を聴き、また明日への英気をもらった。かくして、ここのところやや仕事が飽和状態であったゆえに、心の底から解放する1日の充実であった。

【5時間】で何ができるのか?
テーマを立てて、せかせかではなく穏やかに過ごすのがいい
暑さ寒さも彼岸まで、時節今朝の涼風は誠に心地よい。


関連記事
tag :

大学図書館資料の未来

2023-09-23
感染拡大時期の入館者減少
入館者数は回復しても貸出数は回復せず
電子版資料やデーターベースの利用が一般的になる社会で

21日(木)午前に夏季休暇中ながら、宮大短歌会の勉強会を開いた。テーマは「連作をどう読むか?」で、短歌会先輩の受賞作や連作といえば俵万智さんということで『サラダ記念日』をあらためて読み直し大いに勉強になった。参加者は限定的であったが、聞いてみるといずれも『サラダ記念日』は電子書籍でタブレット内に所有していると云う。この勉強会用の資料提供についても、PDFなど電子化されたものがありがたいと学生は云う。僕自身はPDF化が間に合わず、写真提供では文字が不鮮明な気がしたのでコピーの紙媒体を持参した。あらためて「紙資料に自由に書き込むのはいいですね」と学生は言ってくれていたが、コピー用紙を持参する我が身にやや年代を感じてしまった。かくいう僕自身も結社歌会の詠草はタブレットで持参し電子ペンで書き込みをする。何より保存が楽で物理的な容積を食わないのがいい。

副館長を務める附属図書館で冒頭に記したように、貸出冊数の減少が問題になっている。コロナ禍中にあり入館者数が落ち込んだものの、昨年ぐらいから回復傾向が見られた。しかし貸出冊数は回復しない。この現状について、各学部の先生方と意見を交換する機会を得た。各学部の専攻と分野によって、使用する資料の性質も大きく異なる。理系は電子ジャーナル・電子図書館を中心に使用率が高いが、人文社会系は未だに紙書籍への依存度が高い。概ねそんな傾向も浮き彫りになった。考えるに学生たちが「調べる」と言うとき、大概がスマホに依存しているのが否めない。だが果たして、十分に資料の信頼性を意識・選別して使用しているかは甚だ疑問である。少なくとも国文学の分野であれば、ジャパンナレッジなどのデータベースを使用してこそ「調べた」と言えると思うのだが。ある意味で学生の貸出数の減少は、大学教員が基本的に「調べる」姿勢をどう教えているかにも関わる。その上で電子書籍・(オンデマンド)データベースをどの程度に揃えていくか?大学図書館の在り方が、大きな曲がり角にあるのではないだろうか。

所蔵場所の問題、検索の優位性
諸々と考えて僕自身の資料の扱いも課題に思いつつ
タブレットが「よむ」行為に欠かせない僕がいる。


関連記事
tag :

人生は明日への夢を語ることさ

2023-09-22
なぜ短歌にこだわるのか?
なぜ苦しいのに誠心誠意向き合うのか
なんのためではなく明日へ夢をつなぐ

今もまた、明るい朝焼けの東の空が眼の前に見える。平穏に9月22日が迎えられ、こうして文を綴ることができる。小欄ひとつにしても、「何のため?」と突き詰めて考えても答えはない。昨日の我が身を省みる?いや、明日へと夢に向かい生きる証?「・・・のため」などもはやどうでもよくて、ただ我の中の何かに突き動かされてぞれぞれの「今朝」を書き綴るだけだ。この「突き動かされる」という感覚は、ある意味でとても大切な感覚ではないかと思う。こうして夏が終わり秋が目覚める頃になると、なぜか大きなものに突き動かされることが多い。人生は明日の夢を語ることさ、と誰かが僕に告げくるのである。

朝の連続テレビ小説「らんまん」も大詰めだが、大正12年に関東大震災に見舞われ槙野万太郎の植物学への情熱をあらためて浮き彫りにしている。完成した植物図鑑の原稿を含めて長年の蓄積である標本が灰燼に帰すのは、ドラマとはいえ一研究者として見るに耐えないほどだ。ドラマでも万太郎はどんなに生活が苦しくとも、社会的地位によって蚊帳の外に置かれようとも、日本中の植物と語り合うという夢を諦めなかった。この点は明治大正時代の生き方として、若山牧水に通じるものと思っている。自らの生活の苦悩や社会的立ち位置が不利でも、ただ明日を夢見て突き動かされるものに向き合う。人生の大切な芯を外してはならない、ということだろう。

あの日から何度目の夏が来ただろう
我を突き動かすものに正直たれ
くり返すが、人生は明日の夢を語ることさ!


関連記事
tag :

さびしくてあくがれていく

2023-09-21
「夏山の風のさびしさ百合の花さがしてのぼるまへにうしろに」
(若山牧水『白梅集』より)
よくなかったことからよかったことへ

若山牧水没後95年にあたり、今月9日特別公開講座と17日牧水祭において、延岡の菓子店「虎彦」の社長さんとさらなる親交を深めた。社長とはもとより母校を同じくし、没後90年の牧水祭では壇上で母校出身者一同が「都の西北」を牧水の遺影とともに大合唱するのを仕掛けたのも社長であった。早稲田大学校歌の制定は創立25周年の明治40年であるからちょうど牧水の在学時であり、あらためて牧水が大学の先輩であることを噛み締めて歌った。社長さんは今月の2度の機会に銘菓「若山牧水」を提供いただく大判振る舞いで、母校出身者の豪快な面を覗かせて嬉しくなった。また特別公開講座の折は「牧水歌ごよみ」もご提供いただき、有志の方々に配布することができた。

この「歌ごよみ」は、大正15年生まれの「虎彦」初代店主が、脳梗塞で右半身が不自由となりながら左手で牧水の歌を色紙に書いて希望者に進呈、その一部が日数ごとに31首書かれている逸品である。ちょうど昨日は、冒頭に記した歌が書かれていた。夏山で風に吹かれるとふと孤独なさびしさを覚える、だが自分の周囲を見回し友だちのような百合の花をさがして前へ後ろへと歩を進めるという、やはり牧水の「あくがれ」の歌である。人は生きていれば、否応無しに「よくないこと・嫌なこと」に出会う。だがその「さびしさ」を吐き出して、「よかったこと・嬉しいこと」に向かって「あくがれる(在処離れる)」ことが必要だ。奇しくもWebで、1日の終わりに「よくなかっやこと・よかったこと・明日の目標」を箇条書きにすると、精神が落ち着くという記事を読んだ。牧水の歌には、そんな人を励ます力があることを再認識した。

日々「歌ごよみ」を声に出して読む
牧水も多くの苦しみを乗り越えるために歌を詠った
人は言葉にすることで新たな希望を見出すものである。


関連記事
tag :
<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>