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関東大震災100年に考えること

2023-08-31
1923年(大正12年)9月1日(土)午前11時58分
相模湾北西部震源マグニチュード7.9の大地震
直接死・行方不明10万5千人(うち焼死9割)

明日で関東大震災から100年目となる。僕の世代であれば小学生の頃からよくこの震災を教訓とせよと教えられ、当時の2学期始業式である9月1日には必ず防災訓練が行われていた。いざというときの避難用荷物をリュクにまとめ、小学生の頃はベッドの下に保管していた記憶がある。また震災発生時間が昼食時で大規模火災が起きたことから、「揺れたらまずは火を消す」ということも徹底して教えられた。関東大震災は相模トラフを震源とする海溝型地震であり、東京直下というわけではない。などと考えてもその海溝のプレートがその後100年間は動かずに来たことをまずは驚くべきかもしれない。次はいつ動くのだろうか?という不安は、東京に行く際にいつも抱いている。もちろん宮崎では、日向灘震源を常に想定しつつである。

昨日放送のNHKクローズアップ現代では、「集団の”狂気”なぜ〜関東大震災100年”虐殺”の教訓〜」が放映された。今年、存在が明らかになった当時の小学生の未発表作文の中に朝鮮人などの殺傷に関する記述が多数含まれていることがわかった。当時の現実を、どう受け止めておくべきなのだろうか。また映画監督・作家の森達也さんが行商の日本人を朝鮮人として殺害してしまった千葉県福田村(現・野田市)の悲劇を映画化しており、森さんが描きたかったことへのインタビュー取材の内容に胸が傷んだ。「集団」になった際に「暴徒化」する人間の宿命、生きるために助け合うための「集団」には副作用があり「みんなが同じように動く」のだと云う。この「同調圧力」に対して政府の広報やメディアの喧伝が作用すると、臨界点に達していたものが一気に暴徒化する怖さがあると知った。また排外主義的に「敵」を作ることで、自らが多数派となりより強く連帯する。小さな「村」で起きた悲劇は、その範囲をさらに「国」までに広げていくことで「戦争」と化すのである。「戦争」は実際に「国」が起こすものだろうが、実は私たち個々の行動の中に火種があることがよく理解できた。現在でもそうだ、果たして外からの声に私たちは冷静に耳を傾けているのだろうか?

個人的には「千葉県野田市」の悲劇の歴史は衝撃だった
集団に属して自分を捨てないために「僕」「私」という主語を維持する
まずは身の周りの小さな「集団」に属する際の自らのあり方を考えてみよう。


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新刊『牧水の聲』最終校正を終えて

2023-08-30
約7年間の牧水研究の成果を1冊に
最終校正を出版社に手渡すときの感慨
そして予想以上に素晴らしい表紙に感激!

来月に牧水没後95年を控え、急ピッチで新刊本出版の準備が進んでいる。校正等に十分な時間はあったが、僕自身が6月以降にペースダウンしたこともあり没後95年には間に合わないのではと懸念していた。ところが地元出版社の熱意ある好意で、来月の公開講座そして9月17日に間に合わせてくれるというのだ。今回は宮崎に足場を置く地方の出版社にお願いし、数年かけて構想をお伝えして来た。当該出版社は「みやざき文庫」という選書版シリーズを展開しており、今回はその1冊に自著を加えてもらうというありがたいお話で、いよいよ完成間近となった。

著書出版のたびにそうだが、「校正」の作業は際限がないスパイラル(螺旋階段)のようなもの。入念に見尽くしたと思っても、「まだ間違いがあるのではないか?」と不安がよぎる。特に引用部分など文献を引っ張り出し、あらためて見比べる地道な作業だ。明治時代の文章では「送り仮名」の原則が違っていたりして誤りが出やすい、それだけにあらためてその文章の「呼吸感」に出逢えたような思いを校正しながら抱くこともある。さて装丁(表紙)にはある程度の希望を編集者に伝えておいたが、予想以上に見事な案をいただき感激した。少々予告しておくと、まるで牧水が語り掛けてくるような表紙だ。没後95年当日を発行日とするが、事前に「特別公開講座」にて出版社が販売ブースを設ける予定。今から9月が楽しみである!

編集担当者のご厚情に感謝!
地域の出版社を愛せよ
新刊『牧水の聲(こえ)ー短歌(うた)の朗誦性と愛誦性」9月17日発行 鉱脈社


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「エンジョイ」と「楽しむ」のあいだ

2023-08-29
「エンジョイベースボール」の受け止め方
同様に「楽しい授業」とはかくあるものか?
基礎基本骨格なき活動は果たして楽しいと言えるのか

慶應高校の甲子園優勝にあたり、チームが掲げていた「エンジョイベースボール」という方針が話題になっている。野球評論家の上原浩治さんが記事やTV出演を通じて、「エンジョイ」の真意を取り違えるなという趣旨のことを述べた。当該記事をSNSに引用したところ、懇意にする声優さんが「芸事の世界にも言えること、エンジョイの陰には、どれだけの努力が積み重なってきているのか、そこなくして、奇跡は生まれないと思うのです。」という返信をいただいた。それぞれの分野で同様に「エンジョイ」への反響は大きい。

スポーツ選手が「楽しもう」というようになったのは、この20年ぐらいであろうか?たぶん英語の「enjoy」の翻訳から来たのではないか。英語圏に行くとレストランでもホテルでも、ともかく「enjoy」と声を掛けられることは多い。詳細を調べたわけではないが、英語の「enjoy」と翻訳日本語の「楽しむ」ではやや言葉の趣旨が違うような気もする。僕なりに考えると、明治時代以降の翻訳で趣旨が歪んで捉えられ続けている語彙が思う以上に多いのではないかと思う。「授業を楽しもう」も同様に、基礎基本骨格なき学びは「楽しめる」はずはないのである。

安易な精神論に回収すべきではなく
あくまで個々の主体が尊重され才能を発揮するための環境を
「人生を楽しもう」ということが日本人は下手なのかもしれない。


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4年ぶりに噛み締めるハンバーグ

2023-08-28
飲食店とか花火大会とか
歴史的な3年間を乗り越えて
4年ぶりの夏そして秋へ

今年は「4年ぶり」に行われることが多い年である。感染状況がほとんど水面下になり見えない中で、感染拡大の3年間は中止にされていた行事が復活しているからだ。各地の花火大会・夏祭りなど、盛況のうちに行われている。あらためて人が集まる大きな行事は、積み重ねの努力があってこそ成されるものと思い直す機会でもある。それはあらためて「人が集う」意味を、僕たちに考えさせる。Web上のオンラインで事足りることと、どうしても人間として集まらなければならないものとの精度の違いを認識することが大切かもしれない。

まさに4年5年ぶりに馴染みの飲食店を訪れた。宮崎に移住した頃から懇意にしかつては自宅から近い街にあり、日常の食事はもちろんゼミのクリスマス会やカラオケ前のランチ会など盛んに利用していた店だ。店主のデミグラスソースは絶品で、僕にとってハンバーグはどこか幼少の頃に食べたレストランの味に類似している。食べると、なんとも懐かしく嬉しくなってくる一品である。この日はゆったり港の景色を眺めながらのランチ、店主も4年以上も訪れなかったが深く歓待してくれて感謝。大きな行事のみならず、小さな飲食店への「4年ぶり」を叶えていかねばなまい。

味わい深いドレッシングをお土産に
宮崎での10年に深く思いを致す
ありがたきお店の存在を大切にしたい。


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未来のために地球のために

2023-08-27
「科学的根拠」はどれほど信じられるか
戦争が続き戦争の火種が絶えない21世紀の現実
僕たちはどう生きるか?

果たして世界の海洋に「まったく影響がない」など、誰もわからないだろう。「フクシマ」からの放射性物質の冷却水を処理は施しながらの海洋放出についての真実は、きっと誰もわからないのではないか?この方法が未来のために地球のために唯一無二で最善なのか?まさに地球規模で議論をすべきことではないのか。SDGsなど叫ばれる中、未来へ向けて持続可能なのかという視点が何より肝心なのではないか。

少なくとも僕らの時代は「公害」による人体への被害を具体的に学び、海や川への排水投棄という行為自体が問題ではないかと思ってしまう。九州では水俣病が大きな問題となり、会社も政府も「排水と病気の因果関係はない」と言い続けたことで被害は拡大したという経験を持つ。水俣は3度ほど訪問しているが、地域住民たちの被害やその後の歴史を目の当たりにした。地域のみならず昭和の学校では、世界的に戦後の負の歴史として学ぶべき事例であった。

「ヒロシマ」「ナガサキ」「オキナワ」
「MINAMATA」の映画も観た
個々人が安心して暮らせる地球を護らねばならないのだが・・・


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別の見方もあるよね

2023-08-26
「そうかもしれないが、別の見方も」
いけないのは「決めつけ」「かくあるべし思考」
「別の可能性・別の視点」を考えること

「歳をとると頑固になる」一般的によく言われることである。これほどまでに世間で言わているのに、なぜ多くの人々がその状態を避けられないのかと不思議に思う。「頑固」という要素の中に、「自分だけはそうではない」という思い込みがあるからではないか?「そうではない」に固着すれば「自分が頑固かもしれない」という可能性を削いでしまい、否定の感情の中で「頑固」そのものになってしまうからだ。ある意味で「老化」とは、このような精神的作用になることだとWeb記事に学んだ。あなたも「自分だけは」という枕詞をつけて、諸々のことを当て嵌めることに心当たりはないだろうか。

では頑固を回避するためにはどうしたらよいか?それは冒頭に書いた言葉を念頭に置くことだと云う。「そうかもしれないが、別の見方もある」と思うこと、「別の可能性・視点」を避けずに考えることだそうだ。反対に「かくあるべし」という枠にこだわると、自らの幸福な可能性も削いでしまう。「信念」は誠に大切であるが、視野を狭め固着してはならないということだろう。要は「頑固」と「信念」の微妙な違いに、適切に向き合えるかではないか。甲子園で優勝した慶應高校の「エンジョイベースボール」が讃えられているが、そこにも「楽しむ」ことへの誤解はないか?と野球評論家の上原浩治さんが注意を促していた。「自由奔放」と「主体思考」の差がそこには歴然としてあるはずだろう。当事者でない場合は特に、あらゆる面で「別の見方」が大切である。

郵便だとロスがあるなら直接に伺う
そこに空港に見送りができる可能性が生まれる
心身の状態はいかがなものか?と別の可能性として夜はyogaへ


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壮大な馬鹿が好き

2023-08-25
「らんまん」で描かれる「槙野夫妻」
叔母から「壮大な馬鹿」と言われ
社会的地位や経済的なことよりもやりたい道を生きる

一昨日の小欄に、朝の連続テレビ小説「らんまん」の「田邊教授」のモデル・矢田部良吉のことを書いた。あくまで「モデル」なので実際に矢田部の生き方がそのままとは思わないが、社会的地位を競う政争に奔走し自らを追い込んでいくような生き様がドラマでは描かれている。一方で日本の植物の父・牧野富太郎をモデルとする「槙野万太郎」は、学歴も経済的な面にもこだわらず大好きな「植物」のためだけに野望を持って生きている。その妻「寿惠子」は当時の名が知れた実業家から妾の要請を受けたが断り、「万太郎」と結婚し経済的に苦労しながら長屋で3人の子どもを育てている。そんな「寿惠子」を新橋で料亭を営む叔母は「壮大な馬鹿」と呼びつつも、金銭的に支援の手を伸ばす。このような人間模様の中で、人はどんな生き方をすれば幸せか?という命題をこのドラマは僕らに提供してくれている。

前述した「寿惠子」の叔母は仕事柄、政界・財界の人々との付き合いも多く、姪が「玉の輿」に乗れればと意識してきた。それゆえに経済的に困窮しても「植物学」を追い続ける姪夫妻を見て「壮大な馬鹿」と呼ぶのである。だがその趣旨には存分に賞讃が含まれると考えてよいだろう。自らが夢中になれる決めた道を歩むという意味では、若山牧水も同様である。妻・喜志子は自らも歌人で牧水を一流歌人に育てるために経済的な面も含めて支え続けたという点も「槙野夫妻」と共通している。などと考えているところに、昨日は僕の姪夫妻が宮崎を訪ねてくれた。遡れば小欄にも記しているが、姪は「イルカのトレーナー」になる夢を叶え施設でも花形でショーを展開していた。だが永続的に続けられる仕事ではなく、海に関する仕事をしている旦那と結婚をした。もちろんこの旦那は経済的にも立派であるが、何より「海の男」であり姪の人生としてはこの上ない存在である。自由奔放な九州の旅をするあたりも、まさしく姪ともども「壮大な馬鹿」の部類である。もちろん、僕自身もかなりの「壮大な馬鹿」であるゆえに「文学」に向き合い生きていることを踏まえてこう思うのであるが。

夢を叶えるように生きる
夫妻で同じ星を綺麗だと思えること
「壮大な馬鹿」明治も今の時代もやはりこうありたいものだ。


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高校野球の新しい姿ーあの決勝から34年目の夏

2023-08-24
甲子園のベンチにいたかもしれない人生
新米教師3年目に抱いた将来像
「ああ 栄冠は君に輝く」

夏の甲子園決勝の仙台育英、この光景には並々ならぬ人生の感慨を抱く。1989年第71回全国高等学校野球選手権大会決勝は、東東京代表・帝京対宮城県代表・仙台育英の一騎打ち、その際の3塁側アルプススタンド帝京大応援団の引率教員として僕は熱い時を過ごしていた。結果、2ー0で帝京が初優勝、「白河の関越え」と騒がれた仙台育英の初優勝を阻んだ。あの夏から遥か34年目の甲子園の決勝である。右も左もわからず教師になって3年が経過した頃、僕は少年時代からの野球への情熱が再び燃え上がっていた。一教員ながら野球部の合宿に帯同させてもらったり、日曜日の関東圏の強豪校との練習試合にも連れて行ってもらっていた。ちょうど野球部コーチを同期の教員が務めており、彼との意気投合も野球部に身を寄せる大きな要因であった。「甲子園優勝」の感激を味わってしまった僕は、密かに人生の将来像を抱いた。いつの日か「部長(引率教員)」になって甲子園のベンチに入り、そして再び「優勝」を味わってみたいという夢である。その後、約10年間の同校での教員生活でその夢が叶うことはなく、僕は再び文学研究を志すため大学院への門を叩いた。現在の職業に就けたのも、この岐路における決断のためである。

昨日の決勝は、神奈川県代表・慶応が107年ぶりの優勝に輝いた。試合後の監督インタビューで「高校野球の新しい姿」という表現が聞かれた。前述した経験を経て、僕なりに「高校野球」とは何か?という大きな問題意識も常に持っていた。選手宣誓の際の怒鳴り口調、監督に隷属的な選手のあり方、その象徴としての坊主頭、外からは「爽やかに見える光景」が実は多くの問題を含み込んでいないか?理論上は明らかにセーフの確率が下がる一塁へのヘッドスライディングに顕著なように、世界を目指す野球になっていない要因が讃えられる矛盾にも疑問を抱いていた。もし僕が高校野球に関わってしまっていたら、眼には見えない「高校野球のもののけ」と闘って討ち死にしていたかもしれない。ゆえにこれまで甲子園を観る僕の心は、いつもある種の葛藤を抱えていた。しかし昨日の決勝で対戦した2校、慶応と仙台育英の野球に向き合う姿勢には「新しい姿」が存分に見られ好感が持てた。やっと選手たちがまさに主体的に「野球を楽しむ」ことができるようになった。今春のWBC優勝でも明らかだが、監督が選手個々の個性を大切にしてこそ野球チームとして輝くことを忘れてはならない。ゆえに慶応の監督さんから「選手がよくやってくれました」というよくある「高校野球コメント」は聞かれなかったように思う。「よくやってくれた」という趣旨には、どこか監督主導の隷属性が感じられるからだ。ここまで来るのに「平成」の時間を全て要したということだろうか?決勝の野球にある種の納得を覚えつつ、34年間の僕の生き方も間違ってはいなかったという思いに至った。

母校大学のライバル校ゆえに応援歌が歌えたり
新しい時代を模索してこそ「陸の王者」であろう
あらゆる分野で「世界に認められる」ために旧態から脱皮せねばなるまい。


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明治という近代の「矢田部良吉」を偲ぶ

2023-08-23
朝の連続TV小説「らんまん」
「万太郎」が接した「田邊教授」のモデル
「矢田部良吉」植物学者であり新体詩運動の先駆として

現在、歌人や詩人であり研究者でもあるという人は多いとはいえない。特に「文学」を専門分野とする研究者で、文芸分野でも著名な人はほとんど見当たらない。昭和・平成・令和と時代が進むに連れて研究分野が細分化され、なかなか相容れないものと化してしまったからだろう。むしろ研究対象は「文学」とはかけ離れているが、細胞生物学者で京都大学名誉教授の永田和宏さんや情報理工学者で東京大学教授の坂井修一さんらは、歌人としても結社の中心であったり受賞歴も数多い著名な歌人である。研究分野はむしろ「理系」、日本の高等学校教育では早期段階で生徒に「文理」を決めさせていることに大きな疑念を抱かざるを得ない。ある意味で「文学・文芸」こそが教養人に求められる資質の一部だとするなら、明治という時代の開拓期の研究者のあり方は興味深い。ちょうどNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」に登場する「田邊教授」の実在モデルが「矢田部良吉」という人物であることを、前述した坂井修一さんのSNS投稿により知った。

「矢田部良吉」という人物は「植物学」よりも、『新体詩抄』を外山正一・井上哲次郎らと著していることが知られている。当時の文部大臣・森有礼とともに渡米した際に、コーネル大学で学んでいる。その欧米志向から「ローマ字の普及」にも貢献した人物だ。ドラマ内で『新体詩抄』に関連した場面はほとんど無かったが(もしや見逃しているか)、「ローマ字」へのこだわりは会話の中で語られた。また東京帝國大学の後任教授・徳永政市も夕顔という植物から『源氏物語』への志向が強く描かれていた。ドラマ内で「田邊教授」は帝國大学をはじめとする人事に関わる組織的政争に破れ「非職」となる。その後、「鎌倉由比ヶ浜で海水浴中に死没」というのは「矢田部」の史実通りである。大学という組織の職階や人事に関する黒い闇については、その後の時代でもくり返されていることを思う。ドラマでの「田邊」と「槙野(学歴のない牧野富太郎をモデルとする主人公)」との関係を見るに、研究とは「自らが心をときめくものにただただ没入する」ことだという思いを新たにする。そしてまた「文芸」も同じ、政争に発展するような社会的体裁の上に「潤った詩歌」は生まれないのであろう。明治は明治で問題はあったが、新たな文化を開拓するという意味で豊かな志向があっただろう。些末に細分化されてしまった研究により、学校教育の中の「文学」への興味までも削いで来たような現状を考え直すヒントがそこにあるのではないか。

文化を開拓するという矜持
西洋の中での日本を強く意識してこその発展
「槙野」の生き様はいつも若山牧水に通ずるものを感じている。


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半覚醒で新しい朝に出逢う

2023-08-22
誕生の日付「21日」のちから
若者のちからをいただき新しい感性で
自分をまた追い越して

目覚めた時の感覚や思うことを、最近は特に大切にしている。睡眠中に脳内は整理され、己にとって必要な情報だけが残るという脳科学的な物言いに実感が持てているからかもしれない。よほどその後の予定に余裕がない時以外は、目覚めてすぐに起き上がることはしない。車の急発進が危険なように、適度なアイドリングにより身体に起き上がることを知らせてから起きるべきだと考えている。その一環として脳内を内観するとともに、外部から体温を客観的に測ることが習慣化している。さらに体温ばかりではなく、心身の状態を見つめていく。酒宴の翌日はそれ相応に、筋トレ効果が出ている日は筋肉に刺激があるなど、己の「新しい朝」のための時間である。

先日、歌人・馬場あき子さんのドキュメンタリー映画において「明け方の半覚醒ぐらいが歌を作るにはいい」というような趣旨のことを語られていた。微妙に感覚に揺らぎがあり適度に内観でき雑念がない状態ということなのだろうか。同様の趣旨を、NHK「仕事の流儀」で俵万智さんが語っていたことも思い出される。今回の第13回牧水短歌甲子園では、題詠に「新」があったせいもあるが「新しい」ということを考えさせられた。優勝した都立武蔵高等学校の歌は、今までの大会の流れの中でも「新しさ」を感じさせてくれた。あらためて「こんなに自由に生の自分を投影していいのだ」という若さの特権が十分に表れていた。いま「特権」と書いたが、「若さ」とは年齢ではない。常に自分を内から外から見つめ直し、新しい朝に出逢い続けることだ。僕の誕生日の日付「21日」は、いつも何か新しいものをもたらせてくれる。

「今日」という大切な1日
覚醒ののちに小欄に書き付ける
けふもまた「自分を追い越そう」!


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