この世に絶対は無しー「しらないきもちが かくれてて」
2023-06-08
「なかよくするって ふしぎだねけんかするのも いいみたい
しらないきもちが かくれてて」
(たにかわしゅんたろう「かんがえるのって おもしろい」より)
大学講義にて「音読の帯単元」を実践している。つまり、各講義の最初に一貫して系統立てた文学作品を「音読」する活動である。昨年度後期から久しぶりに「国語科教育法」を担当するようになり、あらためて小学校向けの詩歌の音読を実践している。これにはいくつかの目的があり、一つは学生が詩歌への興味関心を深めること、もう一つは学生が実習などにおいての「声の構え」を作ることにある。5分程度でも毎日、詩歌を音読することで口蓋周辺の筋肉が鍛えられ教育実習で声を潰すことも防ぐことができる。また現況ではマスクであまり動かさなくなっている口蓋や口唇を活性化する効果も期待できる。講義は小学校教員を目指す学生たちを対象とするので、冒頭のような谷川俊太郎さんのひらがな書きの作品を音読する。もう10年以上前になるが、谷川さんと直接にお会いする機会に、「どんどん音読してください。僕の詩も(教育現場だなんて)責任重大だな〜」と頭を掻いていたお顔が思い出される。
この日は特に、冒頭に記した詩の当該フレーズが気になった。詩全体から「かんがえる」ことの可能性が読み取れる。「どこかとおくへ いくみたい しらないけしきが みえてきて そらのあおさが ふかくなる」とある。この詩を読むと、人間が「かんがえる」ことに「絶対」がないことを考えさせられる。「絶対」と思い込みで「かんがえる」可能性を塞いでしまうと「とおく」「しらないけしき」や「そらのあおさ」も見えては来ない。現況のウクライナ侵攻を考えても明らかだが、「自己が絶対に正しい」と考えれば他者を攻めるだけで戦争はいつまでも解決し平和は訪れない。むしろ「絶対無理」だと考えてしまったことを、「いや!こうしたわずかな可能性があるかもしれない」と「かんがえる」ことが、過去の歴史でも諍いを鎮めてきたはずだ。もちろん戦争は、決してあるべきではない。だが人と人とが冒頭の詩のように「けんか」をした際には「しらないきもちが かくれてて」と新たな局面を垣間見ることができるのだ。物事は「絶対」と考えずに、小さな可能性を信じてみよう。これこそが人としての叡智の第一歩ではないか。
未来を信じるならば
あらゆる可能性を「かんがえる」
詩歌の音読から人が教えられることは数知れない。
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