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せめてもう積極的行動支援(PBS)のある環境を

2023-06-01
ほめるくらいで子どもらはかわらないか?
「期待される行動」と「問題行動」は表裏一体
「頻繁な強化」の積極的環境づくりから自律的社会的つながりの自己管理へ

自分自身の小・中・高校体験として、「怒号」がある環境は身がすくむ思いであった。あまり自らが怒られる子どもではなかったが、教室内に先生の怒りの声が響くのが大嫌いだった。その習性は自分が教員になっても同様で、職員室などで同僚が「怒鳴っている」雰囲気が大嫌いだった。未だ1980年代だった初任時、「怒れないのは指導していないに等しい」ように周囲から言われ「真似事の怒号の演技」を試みたこともあった。部活指導なども同様で、他校と交流すると激しく生徒を怒鳴る監督が山ほどいて、その度合いを競うかのように「怒鳴るだけチームが強くなる」と信じ込まれていた。だがその都度、「僕には決してできない」と心の中で呟いていた。「怒鳴らない」でも子どもらが競技力を高める方法が必ずあると信じていた。2020年代になってようやく僕が教員として考えていたことは適切だったのだ、という機会を最近は多く見聞するようになった。それが「積極的行動支援(PBS)」である。

所属学部の学部附属学校園にて、この「積極的行動支援」がまさに積極的に試みられ始めている。この日は自らが委員長を務める「共同研究」の全体会が開催され、本年度の研究計画・日程等の協議・確認が行われた後に、「スクールワイドPBS」の講演を学部の先生が行った。積極的行動支援のある「環境(学校風土)」を創り出すこと、「強化」は頻繁にしつつ次第に「自律的」な支援に移行してゆき、「自己管理」へと「ポジティブな循環」を創り出すというのだ。「適切な振る舞い」がなかなかできない子どもらにそれを教え、「修復するアプローチ」をしていく。反対に「怒り」など「不快な刺激」に直面した子どもは、「不快な刺激(暴言・暴力)の出し方」を学んでしまうか「逃避・回避」に向かってしまう。「怒号」などで押さえつけると表面的に問題行動は起こりにくくなっても、他の場面で(隠れて)生じることになる。むしろ陰湿な「いじめ」などの温床になるのではないか。「その場で期待される行動を組織的に教える」ことがまさに「SW-PBS」のあるべき方向性だと学んだ。最後に「学校」と同様に、僕は家庭でも「怒号」が大嫌いだった。子どもながら父は矛盾していると、反抗心を持つことも多かったと記憶する。積極的行動支援は家庭でも有効だろう、などと思いつつ「怒鳴る」ことの愚かさを再認識している。

教員の意識が重要
そして教員自身も積極的行動を評価されるべきで
明治以降の近現代化の鬱屈した「国」としての風土が生み出した「怒号」から解放されよう。


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