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ここが故郷ー求め続ける郷愁の彼方

2023-06-30
サザン45周年の活動
「故郷」としての茅ヶ崎に背を向けないで
やはりいつも考えたい「私の故郷」

6月25日でデビュー曲「勝手にシンドバッド」が発売されて45周年、サザンオールスターズの今年の活動が一気に明らかになり大ファンとして胸を躍らせている。新曲「盆ギリ恋歌」「歌えニッポンの空」などは来月より3ヶ月連続配信リリース(2曲目以降の配信日と3曲目は曲名未発表)される。既にラジオ放送でオンエアされたが、その曲調はいつもながら耳について離れがたい日々となった。そして9月末には茅ヶ崎野外ライブ4日間の開催が決定、こちらは10年ぶりでちょうど僕が宮崎に移住した年に開催され当時はチケット入手を断念した記憶がある。もちろん今年もかなりの高倍率の抽選になるだろうが、ともかくエントリーすることそのものにこの上なく胸が高鳴るのは間違いない。今年はサザンの夏が来たのだ。

新曲を聴いた印象として、深く「故郷」を意識した歌詞であることが挙げられる。桑田さん自身の「茅ヶ崎」という「故郷」が詠み込まれるのと同時に、僕ら聴く者個々の「故郷」観を揺さぶるものであるように思う。人は、生まれ育った「故郷」で生涯を過ごすわけではない。だからこそむしろ「故郷」ということばが大変に重要な思いとして心の中に樹立し続けるのであろう。僕などもむしろ宮崎で生きるようになって、「故郷」のことについて深く考えるようになった。その僕の「故郷」には、いま研究に向き合っている若山牧水の短歌にまつわる事柄が溢れ出している。宮崎から短歌を志して東京を目指した牧水、その居住地や関連した場が尽く僕の知り得る「故郷」の地であるという奇縁に恵まれている。牧水がいかに東京の地を歩いたか、その評伝を語ることは僕にとって今後の大きなテーマなのである。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
夏の日がまた僕の魂に誘いかける
サザンオールスターズとともに自らの「故郷」を考える夏だ。


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自律する音読ーやらされず自由に読むために

2023-06-29
「正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」(学校教育法1947)
「外部からの力にしばられないで、自分の立てた規範に従って行動すること。
(『日本国語大辞典第二版』)

学部附属学校との共同研究テーマが今年は「音読・朗読」についてということになり、この日は「問題提起」を行う機会を得た。しかも附属学校園全体のテーマとして「個が支え合うまなび」を掲げており、学校全体に行きわたる「積極的行動支援」を進めるべく活動している。自ずと「自律」や「自己調整」などを鍵としつつ、教科ごとの部会での共同研究が推進されている。それでは「国語」の学習における「音読」活動は、どれほどに「自律」が為されているであろうか?と考えてみた。学部に入学してくる学生たちに聞くと、むしろ「強制感」を伴った音読活動に嫌悪感を示す機会が多かった教育経験を語る。目的なく自らが教室で読む意味を自覚できない音読は、発達段階が上がれば上がるほど「強制感」のみが負の記憶として刻まれる結果となる。

「個別最適」と「協働」を掲げる「令和の日本型教育」を意識するならば、個々がさらに自律し主体的に自由に読むことができる環境を作らねばなるまい。漢字の読み方からして、教師から訂正され教え込まれるものではなく、「教材の文体に即して自ら試案が出せる」ことから周囲と確かめ合い一番適切な読み方を探究できるならば理想的だ。また物語・小説などでは「精査・解釈」をする段階で「この台詞はどんな言い方をしているのか?」という疑問を持ち、「登場人物の心情」を黙読的な思考の中に留めず、多様に「音読しながら考える」ことが求められる。「心情」とは「文字面」の上にのみあるのではなく、「言い方」の中に表現されるのは日常生活の常である。また物語・小説の「語り手」を意識して読むことも「音読」によってこそ小・中学生が自覚できる。自己調整しながら「声に出して探究する」、そんな新たな授業の手立てをさらに附属学校の先生方と開発してゆきたい。

「個別最適な音読」で相互の学びを支え合う
自由に縛られない声こそが豊かな想像を生んでいく
楽しい声の学びを創りたい!


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テーマ詠「結婚式」〜宮大短歌会23年度6月歌会(2)

2023-06-28
参列の経験がある人はどれほど?
時代感とともに変化している「結婚式」への見方
さらには「結婚式場」という言い方、「式」なのか「披露宴」なのか

宮大短歌会の今月2回目の月例歌会が開催された。出詠8首、出席6名、黄昏の明るさの残る附属図書館のやや大きな一室に集まった。今回はテーマ詠「結婚式」、現代の学生がどのような「結婚式観」を持っているか?大変に興味深い歌会であった。先日も「日本の恋歌」講義にて紹介した数字だが、「2022年度男女共同参画白書」に拠れば、2021年婚姻数は「51万4千組」で戦後最少、30代の4人に1人は「結婚願望なし」という状況が報告されている。未婚化・晩婚化の社会は少子高齢化社会に拍車をかけ、政府が「異次元の」などと言ったところで大きな改善への期待は望み薄というか手遅れな感さえ否めない。講義でもそうだが短歌を通じて、恋や結婚の素晴らしさを知る機会になればと、老婆心ながら考えている次第である。

歌の素材は「祝福の鐘」「激励」「来場の多さ」「司会者」「ブーケ」「結婚式場」「母親」「花束」であった。歌会では司会者が「結婚式に参列した経験がある人」といった問いも発し、その経験の有無をまずは披瀝する。僕などは自らのはもとより、友人知人の披露宴司会の経験が豊富であり、学生たちの経験とは大きくかけ離れていることが意識された。かつて昭和の華奢な結婚式のイメージは、既に時代を大きく隔てていることを実感せざるを得なかった。果たして「結婚式」とはいかなる存在か?「結婚」をそのものを選ばず、または多様な「結婚」を考えるべき時代、真に伴侶と結び合うとはどういうことか?どうやら戦後最少の数字の陰で、結婚式場も経営が厳しいはずだと気づきも。変な連想であるが、街中には「セレモニーホール」がかつてより目立つ世の中である。いくつかの歌から、そんな背景まで読んでしまう。だがこの現実を学生たちと共有しつつ、昭和の「結婚式観」を伝えることができたという意義が僕の中に生成された。

形式よりも「あなた」と生きるための意志こそ大切
少子高齢化を助長してきたこの国の社会のあり方として
やはり「恋」の素晴らしさを短歌によむ機会を学生たちと共有していきたい。


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「コンバート」に成功した憧れの人

2023-06-27
ロールモデル=「(他者の見本となる)役割モデル。」(『ランダムハウス英和大辞典』小学館)
このような人になりたいと上を目指す意志
分野などが違ってもその姿勢から学ぶものは大きい

中学・高等学校の専任教諭をしていた頃、「大学教員になりたい」と言うと「なんで中高の先生ではいけないの?」と疑問を投げかける人が何人もいた。確かに大学学部を卒業した頃は、「教育現場こそが面白い!」といきり立って教員になった。実際に高校生との熱い青春時代の延長のような仕事は楽し過ぎるほど楽しかった。だが10年ほどしてさらに学びたい、研究を活かして生きてゆきたいと思えるようになっていた。いわゆる人生の大きな「コンバート」であった。「コンバート」という外来語が、僕の中に大きな指標として樹立している。それは「野球で、専門の守備のポジションを変えること。」(『日本国語大辞典第二版』)と辞書にある。それは小中学校の時に憧れた「ロールモデル」と呼べる存在が、胸に焼き付いているからだ。

その名は「高田繁」、ちょうど昨日放映されていたNHKBS「球辞苑」が「コンバート」をテーマとしており、77歳となった高田さんのインタビュー映像が流れた。青いグラブ、強肩を活かした送球と俊足巧打、僕にとって巨人の背番号「8」は高田さんしかいない(現監督も現役時代は「8」であったが)ほどに思っている。左翼手として「塀際の魔術師」と呼ばれ本塁打を捕球するほどの好守を見せていたが、1975年当時に打率の低迷に苦しんだ。折も折、球界一の好打者・張本勲さんがトレードされ「左翼」の位置に来るという窮地に、長嶋監督の進言で「三塁手」に急遽コンバートされたわけである。当時は野球雑誌でその苦闘の姿を読み漁ったが、常にクールに自分ができる可能性を信じて取り組む姿勢に大きな憧れを抱いたものだ。野球少年だった僕は、いつか「コンバート」に直面したら自分も前向きに生きようと学んでいたのであった。

自己の可能性は自らが開く
野球から学ぶものは技術だけではない
僕の中ではいつまでも「高田さん」は輝いている。


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野生馬とサザン45周年

2023-06-26
「野生」とはどういうことか?
母馬から離れた1頭が僕らの車に身体をこすり付ける
そして夜はサザン45周年「それ何年?そうねだいたいね」

現地に赴き確かめたいことがあり、雨模様の都井岬に出向いた。妻の実家まで行けばそこから車で40分ほど、双方の母も連れ立ちいざ岬へと海沿いの道を走らせた。途中、沿道には猿や狸の姿も珍しくなく、「野生」の実態に触れながらのドライブが続く。駒止の門で管理協力金400円を支払うと、「馬がいるのでスピードを出さずにお願いします」と係員さんが言った。先日、車がある馬1頭に接触し左後脚を骨折してしまった事故があったと報道されていた。雨が断続的に降る天候のせいか、この日は馬の姿が当初はほとんど見られなかった。確かめたいことも終わったので、最後に岬先端の燈台まで車を走らせていた時のことだ、路上に子馬を連れた母馬を見ることができた。まさに、この日に見たかった光景なのである。さらに帰路につこうとした路上で何頭かの群れに遭遇、その中の1頭が妙に僕の車に好意を示し車輪や車体に身体を捻り寄らせた。群れの中でもその馬の母馬の存在は定かではなく、野生馬の世界にも「孤独」で悲しみを人間に訴える者がいるのだなどと想像を膨らませた。僕たちはあらためて、この地球に生きている「野生」であることの生物としての意味を考えねばなるまい。

この日は45年前に、サザンオールスターズがデビュー曲「勝手にシンドバッド」を発売したという記念日である。この土日には何かあるのではないか?と数ヶ月も気を揉んでいたが、やはり9月末の茅ヶ崎での野外ライブが発表になった。さらに45周年記念日としてYouTube当日限定にて、過去10年間のライブ映像を組み合わせた45曲ライブが配信された。デビュー当時、僕は中学生で秋の1日遠足のバス車内では、「ララララララ・ラララ」の大合唱になったのを鮮明に覚えている。この45年間は、まさにサザンとともに生きてきたと言っても過言ではない。孤独な身を持ちこたえようとした時、叶わぬ恋に身悶えた時、耐え難き悲しみを消化したい時、いつもサザンの1曲が僕を支えて来てくれた。1曲1曲の背景にある我が人生の軌跡、どこか懐かしく感じられるメロディライン、さらにはグッと心に沁みわたる歌詞の一節、45曲3時間半の至福を僕は味わい続けた。配信映像がとりわけこの10年間のものだったことは、宮崎に僕が移住してからの期間と重なる。福岡などこの10年間で訪れたライブのことも思い出しながら、「今此処」の時を自覚していく。茅ヶ崎ライブへ向けて、チケットの幸運を祈るしかない宵のうちであった。

この地球に生きている自覚
大自然の中で「話す」ならば、嫌なことを「離す」ために
ああ!サザンの45周年は始まったばかりである。


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あなたがいて友がいてサザンがいる

2023-06-25
あなたがいてくれるから
友がすぐそばにいてくれるから
サザンがそこにいてくれるから

ひとりでは勇気が出ないことも、あなたがいてくれたら前に進める。僕にはない何かを持っていて、ここぞという時に力を存分に発揮してくれる。時に、それに気づかないで過ごしてしまうこともある。一番近くにいるからこそ、見えないことがたくさんある。だが神様は、気づくための機会を僕らに与えてくれる。「あなたがいてくれたから」という感謝を、妻へいつも伝えられる人でありたい。自分ひとりでは生きられない、あなたに助けられて生きている。だからあなたのできないことは、僕がどうしたって助けてあげたい。

午後の昼下がり、急に電話して「今晩呑もう」と気軽に言ってくれる友がいる。宮崎で偶然出逢った最良の親友夫妻は、いつも笑顔で僕らと人生を語り合ってくれる。僕ができなかったような人生を歩み、だからこそ僕の発想に爽やかな風が吹き抜ける呼吸の穴を開けてくれる。友と語り合う時間は、お金では買えない。良き友がいて、良きお店があって、宮崎の良き酒がある。友のいない人生なんて、決して考えられるものじゃなし。お互いにとって大切なのは、互いに辛い時に何を言ってくれるかだろう。親友夫妻の言葉に昨夜も支えられて、来月の海の日の楽しみを決めた。美味しいものを食べないと、人生は半分を損してしまうと彼は言った。

そして本日デビュー45周年を迎える
サザンオールスターズがそこにいる
9月末の茅ヶ崎ライブ2023が発表されて胸が高鳴る夜更けであった。


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ああ川の流れのように

2023-06-24
「おだやかにこの身をまかせていたい
 移りゆく季節 雪どけを待ちながら」
(作詞:秋元康・作曲:見岳章・唄:美空ひばり)

先週も土曜日に書いたが、「川」というものへの思いが浮上する。たぶん金曜日の「国文学史」の講義が中世文学を扱う回であり、『方丈記』の冒頭に示された「無常観」に心が呼応するからだろう。若山牧水がそうであったように詩歌とは旅の上に起動し、人生という長い「流れ」の線上の一点を言葉で捕まえる行為である。過去から未来永劫にどんな権力や財力の権化でも、何があろうともその「流れ」を止めることはできない。こう考えていると、美空ひばりの「川の流れのように」の歌詞を反芻したくなった。「でこぼこ道や曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生」とあり歌い出しは言わずと知れた「知らず知らず歩いて来た 細く長いこの道」と前述のようなモチーフによる1曲である。

「細く長い」うちの「今日」の「道」をどう歩くか?「雨に降られてぬかるんだ道でも いつかまた晴れる日が来るから」ともある。どんなにズブ濡れになろうとも、僕らは歩みを止めることはできない。昨日は、実に1日の「流れ」がスムーズだった。最近心がけている「すぐやる→ゴールを決める」は「川の流れ」のうちに即座に自ら身を任せ、そして船着場を設定しておく。淀まず「川の流れ」にむしろ背中を押してもらう。すると自ずから清流に身を任せたような自然で硬直しない動きができるようになる。だがしかし油断は禁物、清流に見えていてもいつ上流から濁流が流れ来るかはわからない。それも覚悟の上、美空ひばりが唄う「おだやかにこの身をまかせてみたい」という潔さがいい。明けない夜はなく、雪どけの来ない冬はないのだ。

「振り返れば遥か遠く 故郷が見える」
「青いせせらぎを聞きながら」
とりわけ「おだやかに」というところの美空さんの唄い方にいつも支えられる。


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人生の旅はまるで雨のHighway

2023-06-23
「何故!?Oh 神様!助けてよ
 人生の旅はまるで雨のHighway
 明日を憂い」(桑田佳祐『平和の街』より)

「本当に人生色々だけど…前向きに自分にふりかかる出来事を受け止めて行くしかないですね ファイトだよ!」40年来の親友がこんなメッセージをくれた。彼とは若い頃から様々な時間を共有して来たが、これほど心強い仲なのかとあらためて感謝の涙が溢れた。ともに明後日6/25でデビュー45周年を迎えるサザンオールスターズ・桑田佳祐の大ファンであるゆえ、僕の中では思わず冒頭の歌詞が思い浮かんだ。これまでの人生の随所でも、お互いが困難な状況に陥るとどこかで桑田佳祐さんの音楽に救いを求め、励まされて来た約40年間でもある。走り続ける「人生」、時に見通しは悪くまさに「雨のHighway」のようだ。曲中には「己の魂も 失ったみたいに やがて目の前が 暗くなる時もある」とある。親友ともお互いに、こんな人生色々に出逢っているのだ。

1日の仕事をこなして帰宅すると、以前にも増して心が疲弊している自分を発見してしまう。講義も会議も、どこか「上手くいっていない」ような負の捉え方ばかりが心をよぎる。そんな自分を、いつも妻が励ましてくれる。この日も夕食後に実に必死な思いで、僕を淡々と励まし続けてくれた。まさに「わたしはひとりじゃない」と実感できる貴重な時間である。前述の『平和の街』では「いつの日か 大好きな人に巡り会える someday 平和の街で ともに生きよう」と結ばれる。まさに僕にとってのそれは宮崎なのである。「自分にふりかかる出来事」は、時に予想もできず過酷なことが少なくない。だがしかし、「雨のHighway」は独りで走るわけじゃない。妻にも親友にも「大好きな人に巡り会える」道なのだ。「Highway」だからといって速くばかり走らなくてもよい。これもまた宮崎が、僕に教えてくれたことである。

ありがたき親友よ!
自らの大きな苦しみを乗り越えつつ
「負けないで baby! Da-da-da-da-da」


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タイパー時間が何を生み出すか

2023-06-22
「コストパフィーマンス」=費用対効果
「タイムパフォーマンス」=時間対効果
効率化・時間消費などの志向から和製英語の造語として

もう15年以上になるだろうか?基本的に「朝型」の生活を送っている。確か当時、脳科学者の茂木健一郎氏の著書やSNS発言に啓発され、「脳のパフォーマンスが一番高まるのは朝から午前中」という指摘を実践したからだと記憶する。小欄もその一環で始めたわけで、前日に心に残ったこと・成し遂げたこと・経験したこと等々の「効果」を文章化して自分のために保管し役立てようと思ったからだ。「効果」としては、考える習慣がつき、文章は抵抗なく「約1000字前後=30分」で書き綴ることができる心身になった。また睡眠時間も脳は作用していて、朝起きてすぐの脳は前日の記憶で必要と思われるものが整理され残っているという脳科学の理屈で小欄を実践しているわけである。

NHKクローズアップ現代6/20放映で、冒頭に書いた「タイパ」のことを扱っていた。日々の流れに身を任せるのではなく「自ら積極的な行動を起こすための時間」というような意義が番組全体から読み取れた。自らがルーティンと決めていることは、果たして「タイパ」の良いものなのか?と省察する機会にもなった。誰しもが人生の時間が限られているならば、なおさら公平な「持ち時間」から何かを生み出したいと考える。研究・創作・趣味・健康・交流(対話)あらゆることが、どれほど・どのように「時間」をかけるかの産物である。最近の若者は「倍速視聴」などを好むと云う。読書も画像視聴も慌ただしいのは嫌な性分からすると、やや疑問を抱かざるを得ないが、「倍速」でこなした方が得策な行動があることも意識した方がよさそうだ。などと思いながら小欄というパフォーマンスにかけられる時間が残り僅かとなった。

「せかせか」ではなく「小さなゴール」の達成感
朝の使い方を再考しつつ
決して焦らず見逃さず豊かな時間を生きてゆきたいと思う。


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母のカレーライス

2023-06-21
「カレーライス」と「ライス」とまで言いたい
世界で此処にしかない味を実感し
「ふるさと」はいつも母の手の中に

研究者として生きてきたせいか、時に自らの意固地で頑固な性分が嫌になることがある。例えば、手作りにこだわりコンビニ弁当などは避けようとする、食材でも自分なりの根拠を持って「食べない」と決めているものがある。飽食の時代、周囲に便利な食べ物が溢れているからこその「精選」だとは思いながら、様々なこだわりを持つ。カレー作りにしても「製品の『作り方』通りに作るのが一番美味しい」という情報を得てからというもの、僕なりのこだわりに「うるさく」なってしまった。だが「作り方」一つでも「世界で此処にしかない味」があることをあらためて実感した。

いつ以来のことか、母が作ったカレーライスを食べた。その色や香り、野菜の煮込み具合、そして味まで、どこか懐かしく「この味だ!」と思えて、旧友に再会したような気持ちになった。市販のルーを使用していながら、母独特な「作り方」が「世界で此処にしかない味」を醸し出すのだ。きっと僕が幼少の頃から、この味を食べ続けて来たのだろう。僕自身が再現して作れ、と言われてもなかなか作ることはできそうにない。こうした「ささやかな今」があることが、この上なく幸せなのだと最近は思う。生まれ故郷とは離れた宮崎であっても、確かに僕のふるさとは母の手の中にあるのだ、という思いに至った。

牧水は常に故郷を離れようとしない母を慕いつつも
桑田佳祐「MY LITTLE HOME TOWN」に出てくる「ママのカレーライス」
いま、今、を大切にできる時間


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