宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第3章「眼のなき魚『路上』」
2023-05-28
「海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり」(若山牧水・第4歌集『路上』巻頭歌)
東京での懊悩による自虐ー旅に出れば魂が再生し歌が響く
昨年度から開講した宮崎大学公開講座「牧水をよむ」。今年度は各期の回数を減らしはしたが、没後95年という節目の年として牧水の命日に近い9月9日(土)には、特別公開講座を大学の木花キャンパスで開催(定員80名)する予定だ。その際は昨年度から読んで来た牧水第1期歌集(『海の聲』『独り歌へる』『別離』『路上』)を取り上げ「若き牧水から現代へのメッセージ」というトークを伊藤一彦先生に加えて若手歌人とともに展開するつもりである。今回はその前提として「第3章ー眼のなき魚『路上』」として昨年度までのように「まちなかキャンパス」にて開催した。牧水の同時代的な状況としては『別離』が青春歌集として売れ行きも好調となる中、恋人・小枝子との仲に終止符が打たれ約5年間にわたる苦悩の恋愛生活から抜け出した時期である。だがしかし、牧水の心は簡単には恋愛の深い淵から抜け出せず、さらには雑誌『創作』に意欲的になりながらも経済的な工面や編集の労で魂を擦り減らす東京生活が続いていた。今回の資料として伊藤先生と僕が共通して選んだ歌として、『路上』巻頭歌は冒頭に記した通りだ。
「眼のなき魚」とは「海底(うなぞこ)」の深海魚だろうが、何も見ないで生きているその「魚」が恋しいと詠う。過去のことが蠢くあらゆる現実がある中で、牧水は「眼のなき」状態で生きたかったということだろう。その懊悩の渦中で必然的に「酒」に身を漬す日々となり、歌の上でも単純に「酒」の文字が入る歌が「43例」と全歌集中で一番多い検索結果となる。歌集『路上』の収載歌を俯瞰すると二面性を読むことができる。前述した懊悩の現実がある「東京での歌」、それに対して信濃などに旅に出た際の「洗練な調べのある旅の歌」である。前者は自虐的な己の姿を客観視するような表現が多いが、後者は自然を身近に接することで清廉な調べが響き名歌とされる歌も多く詠まれた。例えば「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ」「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」などである。この状況は、牧水が「旅と酒の歌人」とされる礎が築かれたのだとも言える。旅に出ればさらなる旅へとあくがれる、酒を飲めばさらなる酒に心酔する、その心の躍動の中で「さびし」を洗練させたところにこの歌人の大きな詩境が生まれたのではないか。他にも「市街の電車」「かなしむ匂い」「(自殺を思い)砒素をわが持つ」さらには「病む母」など、多くの懊悩が牧水調の韻律に載せられていく。また特筆すべきは「大逆事件」の死刑囚の一人が牧水の『別離』を読んでいたという歌もある。今回も伊藤一彦先生とともに受講者の歌への感想も交えて、対話的な講座を展開することができた。
「さびし」の語の数も大変多くなる歌集『路上』
青春の苦しさの中から歌人としての礎石を築いた牧水
次回(9月9日)は第1期4歌集から「現代へのメッセージ」を読み解いていく。
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