説明したがるゆえに授業はつまらない
2023-05-23
『伊勢物語』第9段の折句の和歌を高校生に紹介する文章という課題
多くの学生たちが「説明的」に「修辞技巧が・・・な歌である」と
「説明的」と言われると短歌の批評としては、ダメ出しされたことになる。同様な批評としては、読者に伝えて想像を委ねる余地があるのではなく「自分で結論を言ってしまった」などとも言われる。特に感情語は自分で言わず読者に感じさせるために入れるべきではなく、丁寧で具体的な描写により読者がイメージしやすくすることが肝要であると入門書などでは説かれている。教材としての文章の類別に「説明文」があるが、これと「文学」特に「短歌」はその表現において根本的に違うといえる。前者は文字による「情報」であるが、後者は「コトバ」として文字を扉に声にして心を開き、作者が言い得なかったことを読まねばならない。だが多くの小中高の「国語」の授業では、この大きな違いが認識されていないことが多い。あらゆることに「わかりやすい」を念頭に置きがちだ。
冒頭に記した課題を講義で課した。すると多くの学生が、実に「説明的」な紹介文を提出してきた。「高校生に古典和歌の魅了を伝える紹介文」と課したのだが、読んでみて「魅力」に心を踊らせる可能性のある内容は少なかった。若山牧水は前項で述べた「説明的な短歌」のことを、「そうですか歌」と呼んで批評している。その歌を読んだ読者が「そうですか」との感想しか持ち得ず、イメージが広がらない歌のことだ。残念ながら学生たちの課題は「そうですか紹介文」がほとんどであった。入試対策ということもあり、高等学校では「小論文の書き方」を教えることが多い。「客観的」などと格好をつけた言い方で、「説明的そうですか文」を書かせることに躍起だ。その反面、「文芸的表現」にあそぶ機会は少ない。だが現行の指導要領になって、「創作」を言語活動にする方向性が明らかに打ち出されている。これについては僕も研究学会のパネリストを担当し、その内容は論文化した。ゆえに、これから教師になる学生たちには、ぜひとも「文芸表現」を学ぶ時間が大学時代に必要になる。「説明的」がいかにつまらないか、それは90分間を話だけを聞く講義を体験すれば、彼らが一番よく知っているのだから。
「魅力」は各自が「こころ」で感じられること
広島平和記念資料館でG7首脳が「説明」を受けたのでなく「こころ」で感じたことを願う
なぜ教師は「説明」したがるのか?「コトバの経験」になるような学びの場を創り出せ!
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