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あらためて「いま」をたいせつに

2023-05-20
多くの人々の「いま」が奪われた78年前の広島
ぼくたちは「いま」をいつまで生き続けられるのか
今日のかけがえのない「いま」を信じながら

「生命」とはいかなるものか?一人のそれはあまりにも尊く、あまりにも強く、あまりにも儚い。ある詩人は云った、「生命」と「いのち」とは違うと。生物として「生きる命」と、「コトバ」をもってこの不思議な世の中に永遠にあるだろう「いのち」。文学・文芸を信じているぼくたちは、後者の「いのち」の声を聴くために、様々な手段で「コトバ」を縦糸横糸を編み込むように「いのち」に聴こえるような詩歌を紡ぎだそうとする。それは自分の「いま」が健全にあることを確かめる行為でもある。あまりにも「いま」は尊く、強く、儚い、のである。

G7首脳が広島平和祈念公園や原爆資料館を揃って訪問するのが「初めて」だと聞いて、正直なところ甚だ驚いた。1945年8月6日から78年の月日を要したことになる。慰霊碑に刻まれた「あやまちは二度とくり返しません」という「コトバ」の意味を、ご当地出身の我が国の首相は他の6カ国の首脳にどう「解説」したのだろう。「いま」起きている世界の紛争のすべてを無くすために、まずはG7のすべての国が軍縮の見本となるべきではないのか。広島の「コトバ」たちは、決して紛争の解決を標榜した内向きの結束を求めていないだろう。あの日の「いま」を奪われた多くの「コトバ」たち、原爆資料館で7人の首脳たちのわずか40分間にどう語りかけたのだろう。

今日も起きて「いま」がある幸せ
朝陽を浴びながら山からの草薫る風に鳥の「コトバ」を読み解こうとする
ぼくたちはどうしようもなく「いま」しか生きられないのだ。


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