人はなぜ恋に心を乱すのかー「非戦」であるためのうた
2023-05-17
「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」(『古今和歌集』恋歌巻頭歌)
自分以外の身の上のことを自分のことのように感じるために
幼少の頃から「争い」が嫌いである。街で老人の姿を見たりすると、「大丈夫かな?」と思いを致したくなってしまう。小学校の時に住んでいる街の樹木に囲まれた閉鎖的な公園で、理不尽な言いがかりをつけられたことがあった。相手は自分たちより年下だったが、その一人の兄が異様に攻撃的な人間で小学校でも幅を利かせていた。奴らはその「虎の威を借る狐」となって、僕らを攻撃してきた。頭の中では砂場の砂をかけて契機を作り、年下の奴らを打ちのめして解放されることを妄想した。だがどうしても僕はその「戦い」ができず、自分の情けなさと「兄の威を借る」行為が許せずこれ以上ないぐらいに泣き叫んでしまった。焦った奴らは僕を即座に解放し、涙が止まらないまま家に帰った。情けない幼少時の経験に映るかもしれないが、僕が暴力の連鎖を絶ち「非戦」を貫いた最初の記憶であるかもしれない。
眼の前の人を自分のように大切に思うこと、それを人は「愛」とか「慈悲」とか呼んできた。「慈悲」とは「慈=楽を与える」と「悲=苦を除く」という意味で構成された仏教由来の漢語である。自分自身を外に開かず内に閉じこもり壁を作り、外側の者は理解できないと排斥する考え方が「戦」を生み出してしまう。閉じこもった中の世界では正当に勇敢に見えるようだが、広く開放された世界からは狭量で残忍で「愛」や「慈悲」のない獣性のある人物にしか映らない。要は「自分自身が排斥され攻撃される側になったら」という想像力がない。その「想像力」を養うのが「恋」なのではないかといつも思っている。言い換えれば「自分以外で自分と同等に大切に思える人と生きる」ことなのだ。この日の「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」講義では、冒頭に記した『古今集』歌も引きながら、自著を使用して「人はなぜ恋をするのか?」を全学部から受講する120名余の学生たちと考えた。「恋」を説くということは、自ずと「非戦」を説くことに他ならないという矜持を持ちながら。
「あなたがいつも笑顔でありますように」
(桑田佳祐『ほととぎす』より)
「花」を「愛」を「うた」を、あなたは大切にしていますか?
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