「大切なことは目に見えない」ー若松英輔『読み終わらない本』
2023-05-09
「むしろ言葉は、考えや思いにならない何かを、こころからこころへ運ぶもの」
若松英輔『読み終わらない本』(角川2023/3・P12) より
自らが「国語教師」になりたくなって文学の道を志し、大学学部を卒業して念願を叶えた。しかし、真の意味で「国語教師」であったかというとそう言い切れない20代だったと思い返している。「国語」のみならず「学校」内外で行われるあらゆる活動が楽しかった。それゆえにしばしば「国語」の杜を抜け出して、「スポーツ」の杜に興じたあの頃がある。その果てに10年が経過し「僕は文学をまったく読み終えていない」とやっと気がついた。「大切なものは目み見えない」どころか、「大切なものは目に入らない」ような経験だった。その後、研究と経験を重ねつつ今や「国語教師」を育てる立場になった。ゆえにこれまで自分が得てきた「大切なもの」以外も含めてあらゆるものを「手紙」など、あらゆる形式を用いて「誰かに手渡して」いかねばならない時にあるのだろう。日常に行う「講義」も公的な「研修」も、ある意味で「手紙」のように具体的な対象を意識して伝えるという、人生を賭したものでなくてはなるまい。
標題の若松英輔のエッセイを読み始め、こんな気持ちになった。そして上質なエッセイをすぐさま「国語教師を目指す人たち」に伝えたくなった。なぜ教材として「物語」を読むのか?「国語教師」として真の根本的な問いに答え得る人になってもらいたいと願うからだ。若松の著書の最初の章にこんな一節があった。「物語を読むということは、あらすじを追うことじゃない。それならほかの人でもできる。ほんとうの意味で、君が『読む』ということは、君が自分で見たもの、感じたものを受けとめる、ということだ。」(同書P19)そしてサン=テグジュペリ『星の王子さま』の著名な一節「大切なことは目に見えないんだよ」が引用されている。巷間では定式的・合理的・論理的に文章をデータのように読み取ることを「読解力」と呼び始めている。だが物語も詩も歌も、現在言われている「国語」の読み方では、ましてや入試対策の受験勉強ではまったく「大切なもの」へは届かない。若松はまた「孤立」ではなく「孤独」が必要だとも云う。「孤独」が保障されてこそ、真に「個」を尊重したということだろう。ゆえに僕自身の孤独な「書く」という行為は、いつまでも「終わらない」のである。
宮崎で短歌を紡ぎ始めてさらに「大切なもの」へ
「こころ」が読めからこそ「国語」を選んだのだ
「文学」だ「教育」だと分け隔てのない「生きる希望」を手渡してゆきたい。
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