スーパーヒューマンー常識を超えていけ!
2023-05-31
大学の研究を広く紹介する「イブニングセミナー」特別支援教育・工学機器開発・リハビリテーションが横断的に
連携してこそ発芽するものがある
現在の役職上の分担として大学が広く研究内容を内外に紹介する「イブニングセミナー」をコーディネートし、この日の夕刻にオンラインにて本番が開催され司会を務めた。報告者選定の契機は、自らの所属学部の特別支援教育である。肢体不自由児の教育現場経験があり、さらに国際的な活動を含めて研究を展開している先生を起点とし「異分野」をつなぐ先生方を学内に求めた。工学部には「視線入力装置」という工学機器を研究開発している先生がいる。肢体不自由者が「視線」でキーボードを打ち込み、コミュニケーションが可能となる夢の装置である。さらには大学には附属病院もあり、整形外科リハビリテーション科には「パラスポーツ」に関わる先生がいた。「教育・工学・医学」という三分野が学内で連携する契機として、新しい芽が出ることが期待される内容となった。
教育の面では、現場で肢体不自由児の身体を揺らし副交感神経を優位にし様々な効果を求める方法が紹介された。特別支援の教員が人力でこれを実践するのは大変ゆえに、揺動ベッドを導入する効果検証について報告された。どうやら教員なども揺さぶられることで、腰部への負担軽減やメンタル回復の効果もあると云う。また東アジアに支援の範囲を拡げた活動にも、大きな期待が持てる。ICT機器やAI(人口知能)の開発が進む中で、「視線入力」への挑戦というのは誠に夢のある未来が実感された。僕など文学を研究・創作する者からすると、やはり「目は口ほどに物を言う」の格言通り「心」は「眼」で表現されるのだ。肢体が不自由でキーボードが打てない人でも、眼で注視することで「コトバ」を発信できる。ぜひこの装置で打ち込まれた「短歌のコトバ」を読んでみたいものだ。最後にリハビリテーションに関わる先生からの報告にも、大いなる希望が持てた。むしろ障害がある方がパラスポーツに前向きに取り組むと、ある特定な機能が高度化するというのだ。英国では彼らを「スーパーヒューマン」と呼ぶ。健常者が自らの「できる」ことに甘えているのだとすると、困難な障がいをむしろ糧として夢追う人たちがいることを知った。人間の可能性とはまさに限りないものだ。社会が作ってしまう「常識とされる壁」を超え、個々人がその可能性を最大に引き出す平和な社会を、宮崎から創っていきたいと願う。
3名の報告者の研究がこれを契機につながる・ひろがる
実は学問とは如何様にも連携できるものだ
可能性を狭めているのは健常に甘えた思い込みであることを肝に銘じよう!
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教師だけが知っておく厚みー言葉の「リズムが良い」とは?
2023-05-30
授業に臨む際の教師の「メモリ(作業台の大きさ)」小学生にそのことは直接教えないが知っておきたいこと
背景と奥行きを知っていてこそ「楽しい授業」を演出できるものだ
今週はゼミ4年生が公立(応用)実習の2週目となり、それぞれ研究授業の視察に訪問する。今年度の4年生は6名いるので、一週5日間となるとどこかで2校を訪問するハードな日程となる。それでもゼミ生たちが実習校と入念に調整してくれ、また仲間同士が連携して僕の訪問に支障のないように予定を組んでくれた。まずは「実習校との交渉力」という面においても、応用実習としての学びを経験させることは重要だと思っている。教員の仕事は決して「教科指導力」のみにあらず、組織としての学校内でいかに支え合い学び合いを念頭に振る舞うかが肝要である。僕自身が初任校に赴任した頃から、学校での人間関係を重視していた経験は現在のゼミ生の指導にも大いに役立っている。昨今、教員に就職しても休職や離職に追い込まれる人の数が多いと聞く。あまりにも厳しい時こそ、学校の「チーム」に助けられ上手く心を癒したり休めたりする適切で人間的な環境に身を置けるならと願う。そんな人間としての繋がりを、ゼミ生には大切にしてもらいたい。
さて初日月曜日は、大学から概ね1時間は要する小学校を訪問した。ゼミ生の研究授業は4年生の「俳句」教材。自ら音読をすることができそのリズムの良さを体感し、好きな一句を理由とともに述べられるようになることを目標とするものだ。肝心なのは「俳句のリズム」を「調子が良い」ものとして学習者がいかに音読しそれを経験できるかである。授業を参観していて思ったことは、学習者は「リズムが良い」ということを身体で感じ取ればよいが、指導者は「なぜリズムが良いか」という奥行きに自覚的であると、より学習者に体感させやすい授業にすることができることだ。中高専任教員を20年以上勤めてきた僕自身の実感だが、教材研究を「100」としたら授業で使用するのはせいぜい「3割から4割」である。あとの「7割6割」は授業方法の礎石として作用させることが望まれる。反転して述べれば教材研究の厚みと奥行きがないと、学習者が納得する授業をすることはできない。「音読で体感し楽しむ」授業であればあるほど、その「秘密」を指導者だけが知っておく必要があるのである。
なぜ俳句は日本語として「リズムが良い」のか?
教科書には「いろはうた」の音読補助教材もあり
教員養成課程で僕自身が何を教えておくべきか?を深く学んだ機会になった。
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苦悩は短歌にし包み隠さず
2023-05-29
牧水が歌人として成長に至るための深い苦悩恋愛・故郷の両親・稼ぎ・雑誌編集のことなど
個別の苦悩が多くの人たちの共感を呼ぶことに
若山牧水の物事への心酔の徹底ぶりというのは、見事なばかりである。牧水を研究し知れば知るほど、そのような思いを強くしている。なぜ複雑な事情のある恋人を5年間も追い続けたのか?明らかに恋に身が救われることより、苦悩極まりない時期の方が長い。恋人が東京を去ってから、いつまでも未練がましく彼女のことを思い続けている。そのやり場のない辛さが、今度は自らを陶酔へと導く酒に心酔するようになる。昨日の小欄に記したことだが、「酒樽をかかえて耳のほとりにて音をさせつつをどるあはれさ」「徳利取り振ればかすかに酒が鳴る我が酔ひざめのつらのみにくさ」など酒にまつわり自虐的な歌が第4歌集『路上』には多く見られる。その一因として「君住まずなりしみやこの晩夏の市街(まち)の電車にけふも我が乗る」など恋人への未練が見え隠れする歌も見られる。
だが牧水が歌人として名を遺したのは、苦悩をそのまま放置はしなかったからだろう。あまりに心が追い込まれることから、牧水の身体は自ずから旅に出たのだ。前述した「自虐」の歌がある一方で、旅先で名歌と言われる歌が生まれたのは昨日の小欄に記した。苦悩は苦悩のままに包み隠さず歌に詠む、自らの「あはれさ」を臆さず短歌に表現し公刊される歌集にも入れているからこそ、自己内の摩擦が熱量になって名歌が生み出されるということかもしれない。同様のことを、俵万智さんから感じることもある。6年半の宮崎での交流があったゆえに、僕などはより実感したことなのかもしれない。『サラダ記念日』の頃から素材は様々に展開したが、物事への全肯定とも言える「受け入れ方」は生き方の見本とも思えてくる。きっと、あれほど著名歌人であるゆえの苦悩も少なくないはずだ。先日の「あさイチ」へのTV出演でも語っていた短歌に対して「肩肘張らない」こと、臆さず短歌に表現をすることが俵さんの生きる大きな力なのだと思う。固まって硬直すれば、物はひび割れ壊れやすくなる。苦悩を多く抱え込みながら、どこか純粋さを失わず短歌に表現し続けた牧水を愛す。
果たして苦悩を短歌にしているだろうか?
「肩肘張る」ことで格好をつければ他者には伝わらない
その恋愛生活の深淵が明らかにされてこそ牧水の短歌はさらに愛されるのだ。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第3章「眼のなき魚『路上』」
2023-05-28
「海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり」(若山牧水・第4歌集『路上』巻頭歌)
東京での懊悩による自虐ー旅に出れば魂が再生し歌が響く
昨年度から開講した宮崎大学公開講座「牧水をよむ」。今年度は各期の回数を減らしはしたが、没後95年という節目の年として牧水の命日に近い9月9日(土)には、特別公開講座を大学の木花キャンパスで開催(定員80名)する予定だ。その際は昨年度から読んで来た牧水第1期歌集(『海の聲』『独り歌へる』『別離』『路上』)を取り上げ「若き牧水から現代へのメッセージ」というトークを伊藤一彦先生に加えて若手歌人とともに展開するつもりである。今回はその前提として「第3章ー眼のなき魚『路上』」として昨年度までのように「まちなかキャンパス」にて開催した。牧水の同時代的な状況としては『別離』が青春歌集として売れ行きも好調となる中、恋人・小枝子との仲に終止符が打たれ約5年間にわたる苦悩の恋愛生活から抜け出した時期である。だがしかし、牧水の心は簡単には恋愛の深い淵から抜け出せず、さらには雑誌『創作』に意欲的になりながらも経済的な工面や編集の労で魂を擦り減らす東京生活が続いていた。今回の資料として伊藤先生と僕が共通して選んだ歌として、『路上』巻頭歌は冒頭に記した通りだ。
「眼のなき魚」とは「海底(うなぞこ)」の深海魚だろうが、何も見ないで生きているその「魚」が恋しいと詠う。過去のことが蠢くあらゆる現実がある中で、牧水は「眼のなき」状態で生きたかったということだろう。その懊悩の渦中で必然的に「酒」に身を漬す日々となり、歌の上でも単純に「酒」の文字が入る歌が「43例」と全歌集中で一番多い検索結果となる。歌集『路上』の収載歌を俯瞰すると二面性を読むことができる。前述した懊悩の現実がある「東京での歌」、それに対して信濃などに旅に出た際の「洗練な調べのある旅の歌」である。前者は自虐的な己の姿を客観視するような表現が多いが、後者は自然を身近に接することで清廉な調べが響き名歌とされる歌も多く詠まれた。例えば「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ」「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」などである。この状況は、牧水が「旅と酒の歌人」とされる礎が築かれたのだとも言える。旅に出ればさらなる旅へとあくがれる、酒を飲めばさらなる酒に心酔する、その心の躍動の中で「さびし」を洗練させたところにこの歌人の大きな詩境が生まれたのではないか。他にも「市街の電車」「かなしむ匂い」「(自殺を思い)砒素をわが持つ」さらには「病む母」など、多くの懊悩が牧水調の韻律に載せられていく。また特筆すべきは「大逆事件」の死刑囚の一人が牧水の『別離』を読んでいたという歌もある。今回も伊藤一彦先生とともに受講者の歌への感想も交えて、対話的な講座を展開することができた。
「さびし」の語の数も大変多くなる歌集『路上』
青春の苦しさの中から歌人としての礎石を築いた牧水
次回(9月9日)は第1期4歌集から「現代へのメッセージ」を読み解いていく。
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送り出す愛ある心を忘れず
2023-05-27
家を出るときなら見えなくなるまで今日の安全を、明日への希望を祈りつつ
とりわけ手術に送り出すのならば・・・
父の手術の当日となった。前日に病棟の看護師さん曰く「朝一番の手術ではないので、定まった時間がわかりません。11時半とか12時ぐらいに来ていてもらえば」確かに僕もその弁を聞いた。僕は諸々の仕事と講義もあるので、この日は病院まで行けない。母が一人でタクシーで病院まで、それも「言われた時間」に余裕をもって11時過ぎには到着したという。しかし、父は既に病棟から手術へと向かっていて会えなかったと母からLINEが届いた。父より前の方の手術が終わり次第という事情も理解はできる、だがどんな手術であっても家族の立会いがないままに敢行されるということには疑問をもった。僕自身が父であったら、きっと「妻が来るまで手術には行きません」と主張するかもしれない。こうした際、本人も家族も当事者は過剰なほどの不安に駆られるものだ。麻酔の加減、緊急に不測の事態に陥ったら、など想像は負の方向に拡大していく。
古典文学を読んでいると、一つの別れの機会を「今生の別れ」のように惜しみ心を交わし合う。旅に出れば常に旅先で生命の危険に曝される。日本語の「さようなら」というのは、どこか突き離す趣旨があってよろしくないと思うことがある。「See you(英語)」「再見(中国語)」のように「また会おうね」という趣旨が不足している。語誌を辿ると「さようならば」が中古中世頃より、その後「ごきげんよう」「のちほど」などの別れの表現と結びつき、近世後期に「さようなら」が別れの言葉として独立し一般化したと『日本国語大辞典第二版』に教えられる。そういえば東京で非常勤講師をしていた私立中高では、授業の開始時など日常から「ごきげんよう」という習慣が根付いていた。僕が家を先に出かけるとき、妻は僕が路地を曲がり見えなくなるまで玄関で見送ってくれる。僕もまた妻が先に車で出かけるときは、車が路地を曲がるまでかなり距離があっても見送るようにしている。「ごきげんよう」そして「のちほど」お互いに希望の明日と出逢って、また逢うためにである。
無事に父の手術は終わり主治医は「成功」との言葉を母に
教師はもちろんだが、医師・看護師など「師」たるもの相手の心の想像が重要
あらためて全学基礎教育科目の講義で医学部の学生たちに学んで欲しい大切な「心」である。
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母と離れるときの顔
2023-05-26
父が入院する病室まで行けない母と僕が声をかける
その瞬間の寂しそうな表情は僕が幼稚園のときのよう
父がいささかの手術が必要だという診断を受けて、1週間程度の入院をすることになった。診断を受けたのは3月、術前検査を4月に受けて順番待ちであったのだろう、この日を迎えるまでに2ヶ月以上を要した。高齢になるとなかなか自らの身体の状態を本人が把握するのも難しいが、父にとっても大変に不安な2ヶ月であっただろう。当初は手術への拒否反応もあってか、なかなか精神的に落ち着かない様子だった。だが次第に本人も身体上の苦しみもあったのだろう、僕からも「病院を信じればいい」という趣旨の話をしてようやく気持ちも落ち着いて来た。何よりそばにいる母は、毎日のように父の葛藤によるイライラにも付き合い説得的な対話を続けて来た。こうした意味で、本当に父は幸せ者なのだと思う。
新型コロナ5類移行後ながら、入院に際しての付き添いはナースステーション前まで。僕らも検温消毒に簡単なアンケートを施されつつも、この3年間で「ゾーニング」が明確化された病室には立ち入ることはできない。母と僕が見守るなかで病室に向かう父の表情は、なんとも寂しそうな顔をしていて僕の眼に焼きついた。ついつい思い出したのは僕自身が幼稚園に入園した当初、送って来た母から離れられず泣き出すことが多かったときの自らの表情である。もちろん、その時の「自分の表情」が見られたわけはない。だが当時の写真とか母から聞いた話とかで、僕自身がどんな泣き顔を見せていたかを想像する機会が大人になってから多かったからだろう。まさに「母から離れるときの顔」のイメージを僕は持っているのだ。我ながらこれこそが「文学的想像力」なのだと思うのだが、「国語」ではこんな力を多くの子どもたちが身につけて欲しいと願う。それにしても、父の一瞬の表情と自らの遺伝子的な類似がこんな場面で顕に露出するのかという心を揺らす発見であった。
手術はそれほど時間を要さず
父がさらに楽に幸せに生きるための1週間
母の偉大さをあらためて感じる機会でもある。
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ほったんかけたかーほととぎすの初音
2023-05-25
春うぐいす、夏ほととぎす「田長」として田植え時期を知らせるとも
牧水が好きだった鳥として
若山牧水の鳥の歌に関する評論を書くため諸資料を読んだので、自らの鳥への興味を掻き立てられた。現在の朝の連続テレビ小説では、日本の植物学の父・牧野富太郎がモデルとなっている。幼少の頃から学校の勉強よりも植物を調べることが大好きで、小学校中退ながら当時の東京帝国大学植物学教室に出入りが許され、教授とともに研究に取り組もうとする過程が描かれている。藩閥の権威主義的な名残も色濃い当時の日本唯一の大学では、助教授や一部の学生らが職階や出身だけをかさにきて彼に対して妬みをもった接し方が甚だしい。だが学問というのは「権威・出自」ではなく、「造り酒屋の息子」であっても向き合う姿勢が大道を成すものと考えさせられる内容だ。どれほど対象にしたい存在に対し、同化し愛好し夢中になれるか?「研究」の原点とは、こうした姿勢に他ならない。
話は迂遠したが、牧水のように鳥が鳴く音で認識できたらとても素敵だと思うようになった。牧水を研究するからには、牧水の感覚そのものに迫りたいと「牧野」の姿勢を見習いたいと思う。幸い現在はWeb上に豊富な資料があり、検索すると「鳥百科」なるサイトが運営されていて鳥の特徴や鳴き声までを知ることができる。以前より小欄に記して来たが、現在の自宅周辺には今現在も鳥の鳴く音が絶えない。多くは雀なのだが時折、違った鳥の声が聞こえることも少なくない。お目当の鳥としてその鳴く音をWebサイトで予習していたこともあるが、昨日は小欄を執筆中に「ほととぎす」の初音を聞いた。そして、大学研究室でもまた聴くことができた。情報通り渡来初期には昼夜を問わず鳴き、まさに夏の到来を告げる鳥なのであった。古来からその鳴き声を様々なオノマトペ(擬音語)で表現して来たわけだが、「ほったんかけたか」というのが多くの地方の方言にあるようだ。「八音四拍」まさに短歌の「七音分」と同じ拍節である。鳥の囀りの響きは、僕たち人間にどんな影響を与えて来たのかと興味が広がった。
「ほととぎす鳴くや皐月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」
(『古今和歌集』恋歌一巻頭歌)
今もまた違う鳥の鳴く音が聞こえた、新たなあの友は何鳥なのだろう?
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テーマ詠「旅」ー宮大短歌会23年度5月歌会(2)
2023-05-24
「人生は旅」と読める歌が多く学生の等身大の歌は少なかった
現代において「旅」とはなんだろうか?
宮大短歌会今月2回目の歌会を開催、出詠8首、参加者5名であった。テーマ詠「旅」コロナからも解放されつつある今、学生たちはどんな旅を詠うのか大変に興味深かった。概ねこの100年ほどの歴史において、「旅」がこんなにも制限されてしまった3年間を僕たちは体験した。「旅=移動」が感染を拡大させるゆえに、罪悪視もされ各人の行動範囲が自ずと制約された。2020年3月頃から最初の1年間は、僕も東京へ行くことも憚られた。教職員も学生たちも、県外に出る場合は大学に申請して許可が必要だった。学生時代には自らの持っている感覚を打ち破るような「旅」が必要だと思われるが、現在の4年生などは今までなかなかそれも儘ならなかった。こんな意味で、今現在の学生の「旅」への感覚を短歌にすることは貴重な機会だと思えた。
詠歌の素材は、「地図」「ガタゴト」「凧」「星の瞬き」「この星」「・・・ロード」「缶コーヒー」「雪山」であった。概して実際の「旅」というより「人生は旅」という前提を読みたくなる歌が多かった。Web機器や情報が格段に進化したこの15年ほどで、「旅」の手段・方法から楽しみ方も変わって来ているのだろうか?そんな現状において偶有性のある旅、牧水の「あくがれ」に近い感覚の歌が見られたのは頼もしくも感じた。また宇宙観をもった壮大な旅を希求するような歌もあり、人間にとってこの地球に生きることそのものが「旅」なのではないか。大空の星を意識すれば自ずと「亡き人々」への想いも募り、大切な人たちが楽しく旅を続け僕らを守ってくれているような感覚にもなる。せめてこの地球上では、「旅」が制約されることなく自由に思いのままにあらゆるところに旅ができる「平和」を求め続けなければならないだろう。
景色や季節描写の歌や
交通機関の歌は少なかった
さあ!学生よ!自らの常識を超える「あくがれ」の旅をしよう!
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説明したがるゆえに授業はつまらない
2023-05-23
『伊勢物語』第9段の折句の和歌を高校生に紹介する文章という課題
多くの学生たちが「説明的」に「修辞技巧が・・・な歌である」と
「説明的」と言われると短歌の批評としては、ダメ出しされたことになる。同様な批評としては、読者に伝えて想像を委ねる余地があるのではなく「自分で結論を言ってしまった」などとも言われる。特に感情語は自分で言わず読者に感じさせるために入れるべきではなく、丁寧で具体的な描写により読者がイメージしやすくすることが肝要であると入門書などでは説かれている。教材としての文章の類別に「説明文」があるが、これと「文学」特に「短歌」はその表現において根本的に違うといえる。前者は文字による「情報」であるが、後者は「コトバ」として文字を扉に声にして心を開き、作者が言い得なかったことを読まねばならない。だが多くの小中高の「国語」の授業では、この大きな違いが認識されていないことが多い。あらゆることに「わかりやすい」を念頭に置きがちだ。
冒頭に記した課題を講義で課した。すると多くの学生が、実に「説明的」な紹介文を提出してきた。「高校生に古典和歌の魅了を伝える紹介文」と課したのだが、読んでみて「魅力」に心を踊らせる可能性のある内容は少なかった。若山牧水は前項で述べた「説明的な短歌」のことを、「そうですか歌」と呼んで批評している。その歌を読んだ読者が「そうですか」との感想しか持ち得ず、イメージが広がらない歌のことだ。残念ながら学生たちの課題は「そうですか紹介文」がほとんどであった。入試対策ということもあり、高等学校では「小論文の書き方」を教えることが多い。「客観的」などと格好をつけた言い方で、「説明的そうですか文」を書かせることに躍起だ。その反面、「文芸的表現」にあそぶ機会は少ない。だが現行の指導要領になって、「創作」を言語活動にする方向性が明らかに打ち出されている。これについては僕も研究学会のパネリストを担当し、その内容は論文化した。ゆえに、これから教師になる学生たちには、ぜひとも「文芸表現」を学ぶ時間が大学時代に必要になる。「説明的」がいかにつまらないか、それは90分間を話だけを聞く講義を体験すれば、彼らが一番よく知っているのだから。
「魅力」は各自が「こころ」で感じられること
広島平和記念資料館でG7首脳が「説明」を受けたのでなく「こころ」で感じたことを願う
なぜ教師は「説明」したがるのか?「コトバの経験」になるような学びの場を創り出せ!
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「網目の法則」から平和を築ける世界へ
2023-05-22
「人はーほんとうは人だけでなくあらゆるものがー互いにある深度で交わりながら存在している。目にみえない関係のなかにいる。
それはまるで、網の目のようにつながりあっている。」
(『読み終わらない本』若松英輔 P92より)
冒頭に敢えて引用したのは、ここのところ一章ずつ噛み締めながら読んでいる若松英輔のエッセイから。有名な吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を紹介し、そこに説かれた大切な世界観を若い人向けに平易に説いている。世界を「体験」する「情報」だとしか考えない者に、この「網の目」は決して見えない。同書には「情報は道路の標識のようなもので、真の目的はその先にある。」(P81)ともある。その上で「真に経験と呼ぶべき出来事は、その人のなかで種になって時間をかけて育っていく。」(P82)ともされている。道路標識の「止まれ」を道交法上の「情報」としてだけ受け取っていては、その路地に子どもが飛び出してくるかもしれないという想像は働かない。「法律により引かれた白線の手前で車を一時的に完全停止させる」という行為をして「違反取り締まりに捕まらないため」というのは浅はかな体験的行動に過ぎない。「自分の母親がその道路を横断している」ことを想像し、「車を完全停止させて安全を確かめる」ことを思う人でありたい。
G7首脳の広島平和記念資料館での見学内容は「非公開」だと報道された。さらに昨日は、ウクライナのゼレンスキー大統領も緊急来日し平和記念公園を訪れる映像をみた。G7各国首脳らは果たしてどれほどの「深度」で見学し、「その人のなかで種になって時間を掛けて育っていく。」つまり若松のエッセイに云う「経験」にできたのだろうか?と疑問に思う。そこに「網の目」を見られたかどうか?その「深度」を世界に報じるのは、「不都合な真実」の箱が開いてしまうのだろうか?「非公開」と云うメッセージに、むしろ「だから核兵器は無くならない」という失望が含意されていないだろうか?前項で述べた「一時停止の路地」に「子どもや自分の母の横断」を想像する人間が本来もつべき「こころ」を、せめてこの地球で「先進国」などと呼ばれる国の為政者としてもっていただきたい。世界の「網の目」がどこかで破れていると、「次第に全体が壊れていく」(若松同書P92)ことになる。「G7の結束」否、人類の叡智とは、あらゆる世界の人々が文学的想像力で目に見えない「大切な人への愛情」を「一時停止」の際に思うべき社会を築かなくてはならないのだ。
祈れば必ず通じ合える「コトバ」
友とはお互いの「網の目」をわかり合える人のことだ
研究学会や友との大切な「網の目」を東京で感じ、夜に宮崎に帰り着いた。
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