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ただ一問の質問に過ぎぬ

2023-04-27
「人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ」(「煮ゆるジェム」寺山修司)
今日も朝がやってきた
ツバメが驚くほどの速度で眼の前を飛びゆく

「今日は何を書こうか?」目覚めると自分の脳に問いかける。白湯を飲みながら、珈琲を用意しながら、あまり悩んだりせず素直に脳内にあるものを言葉にし始める。それが「いま」こうして文章を書き進めている状態だ。人は誰しも「自分に質問をしている」のである。「何が食べたい」「まだ眠りたい」「誰と逢いたい」など「欲求」という名の衝動的に疼く感情の波を言葉に換えて自他に問いかけるのだ。人に質問すれば「会話」が始まる。朝のウォーキングで偶々会った人に「おはようございます!」に続け「今日は冷えますね?」と言えば、僕より薄着のその人はしみじみと「寒いですね」と応じてくれる。大きな自然のご機嫌について、人は言葉による「質問」という方法で確かめ合って自らの存在を証明する。

「生きるとはなにか?」親友の死が、僕にこの質問を投げかけ続ける。死期がちかづく3週間前まで仕事場に立ち続け、きっと「生きるとは?」を問い続けたのであろう。すると「人生」というものは「生きるとは?」=「わたしは誰ですか?」の問いにすぎないのかもしれない。「すぎない」と書くと儚く響くが、その「一問の質問」こそが自らに問いかける尊大で躍動的な問いなのである。冒頭の寺山の著名な短歌をよむと、きっと誰しもが考えさせられ戸惑い自らの存在を問い直すであろう。今日の僕自身がそうだが、「ただ一問の質問にすぎぬ」とこうして何らかの方法で「書けば」という状況に置かれる。寺山の歌の結句「二月のカモメ」は、あまりにも映画の1シーンのようで海と港など昭和感ある光景が想像される。「二月」と「カモメ」の取り合わせをどう読むか?考えさせられるが、僕の場合は昨日、「四月のツバメ」の飛ぶ速度に驚きながら彼らも新たな命を育むために飛んでいるのだと思ったりもした。

「ただ一問の質問」
人生は複雑なのか?それとも至って素朴なのか?
90分の講義に「一問の質問」それがせいぜい教える限界なのかもしれない。


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