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「親しむ」と呼ぶ同化という作用

2023-04-22
親友のことは自分の身の上のことのように
親族は生涯を通じて相互に同化しているか
人の立場になりきって物事を考えることの大切さ

「・・・に寄り添う」政治家などがよく「(弱い立場の人々に)思いを致している」などという意味で使用する言い方がある。もちろん教育の場でも「児童・生徒に寄り添う」とは、念仏のように唱えられる標語である。だが正直いってこの言い方には、ある種の偽善的な胡散臭さを嗅ぎ取ってしまうことが多い。「思いやり」もそうなのだが、あくまで自己は自己として「(こちら側から)心は向けている」ということで、本心から他者の立場になっているとは思えない趣旨を感じてしまうからだろう。同様に「親しむ」という言い方にも、その次元には大きな幅があるように思っている。ゆえに「親族」とは?「親友」とは?という問いを僕などはいつも抱えてしまっている。

牧水の短歌には「自然と親和性がある」と指摘される。「親しみ和する」わけで「和(あ)える」という動詞が加わることで「自然と同化してそのものになる」という趣旨が含まれる。あくまで「自然に寄り添った」という次元に留まらなかったところが、牧水の徹底したところだ。1週間前から、親友のことで甚だ辛い思いを抱えている。明らかに彼を「親友」と呼べるのは、こうして当人に同化して深く心が痛むからだ。用件あって宮崎の「親友」にも電話連絡をすることがあった。すると彼は、僕の親友の立場にまさに同化するようにその辛さを口にした。自分の友においても同様の経験をしたとも言った。もはやこれは「寄り添う」などという甘ったるい話ではない。「親友」たちに新たに教えられながら、僕自身は真の「親」を見つけ出そうとしている。

厳密に言えば決して「同化」などできるものではない
だが文学で鍛えた想像力はかなりの次元で作用する
人生の旅には親族と親友が不可欠なのだから


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