だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉
2023-04-30
「時には母のない子のようにだまって海を見つめていたい」
(作詞:寺山修司・作曲:田中未知・唄:カルメン・マキ)
先ごろ、ある一人の今は宮崎を離れた卒業生がいささかの悩みを抱えていると連絡があったので、「海を見ればいい」と返信することしか僕にはできなかった。それから数ヶ月の月日が経って、卒業生は僕が言ったことを短歌に詠み、月例の会誌で特選となっていた。何事も月日というものは必要で、選歌・編集・出版の過程とともに年度が変わり卒業生の悩みも癒えてきたようだった。先週に機会があって東京で直接に会ってみると、一皮剥けたように成長した大人となっていた。寺山修司の言葉に「むかしのようにじめじめとした血縁的なつながり、人間相互の私有関係から、次第に社会のなかでの選択自由の愛情関係へとうつりかわりつつあります。」を読んで、僕にも少しは「父母」のような愛情関係を持てたものか?などと考えている。
1969年にカルメン・マキが唄い、その年の紅白歌合戦にも出場した「時には母のない子のように」。あのもの悲しげなメロディーは、幼少ながら僕もライブとして身体に残っている。前段の寺山の言葉の引用は、当該歌に対するエッセイからのものだ。「ひとは何時も、自分自身のものでしかないのであり、そこから出発した思い出だけが、コミュニケーションの回路に辿りつくことができるのです。」とも書いている。「私のお母さん」という個人的な思い出ではなく、「大きな思いやり」「もっと素朴な本心の声の中」にあって、「私の」がないことがむしろ「ほんものの情念が感ぜられるのです。」とも記している。親子関係に様々な様態が見られる昨今、芸術的な想像力によって、「時には母のない子のように」の詞を噛み締めたい。それでこそ真にみんなが生きるための「愛情」に近づくことができるのだろう。
母への愛情・義母への愛情
そして卒業生の「生きる」に一言の栄養を
「家事」は誰にでもできるが「愛は代用できない」のである。
- 関連記事
-
- 送り出す愛ある心を忘れず (2023/05/27)
- 母と離れるときの顔 (2023/05/26)
- あらためて「いま」をたいせつに (2023/05/20)
- ブロック学習と差込み効果 (2023/05/16)
- 「大切な人」とはどんな人か? (2023/05/11)
- あのころの夢・これからの夢 (2023/05/04)
- 一流に学ぶ宮崎国際JAZZ DAY2023ー「魂のキャッチボール」 (2023/05/01)
- だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉 (2023/04/30)
- 自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から (2023/04/29)
- ただ一問の質問に過ぎぬ (2023/04/27)
- 他人事 (2023/04/25)
- 抱擁 (2023/04/24)
- いま (2023/04/23)
- 「親しむ」と呼ぶ同化という作用 (2023/04/22)
- お湯割りは楽にこころを溶かし合う (2023/04/15)
スポンサーサイト
tag :
自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から
2023-04-29
「➖むしろ自分、ひとりでこそ。」「人生は一回っきりだから、ほんとうに生きたい。
明日死ぬとしたら、今日何をするか?」(寺山修司の言葉より)
今日も変わらず大学へ行って、次々に着信しているメールに返事を書き、講義の準備をして教室に行って学生たちに会う。規定通りの予定調和な1日が阻害されなけれさればれないほど、それぞれの行為の濃度が薄くなるような気がする。朝刊紙面で心を煽られる短歌に出逢えば、予定通りの「論理」のような日常生活からはみ出して「生の自分」の生命に出逢える余白が生まれるようだ。簡単に言えば、単調で変化がなく刺激のない日常など生きていたくない。短歌はきっと己の生命に共鳴するから、やめられないということなのだろう。小欄そのものは駄弁ではありながらも、魂が震えるものを書きたいと願う。
歯科医に行った。3ヶ月に1回のお決まりの定期検診。3ヶ月に何をどれほど喰ったか?その影響をどれほど排除し清潔に保つ行為をくり返しているか?歯茎に出血はなく正常に歯牙を支えているのか?口腔内のほぼあらゆることが、明らかにされる。その結果も「自分」の「生きる」ことの一部である。生涯を通して美味しく食べられるよう、こうして自らの一部を保全している。こう考えると、「美味しく食べる」ことは最上の幸福だ。そんな時間をどれだけ楽しめるか?あらゆる行為は、自分のためであり自分のためが身近な人のためになる。ああ、人と話したい。人と話すためにも、僕らはひとりでも歩かねばならない。
寺山修司没後40年
彼の刺激的で挑発的な言葉に耳を傾けている
『群れるなー寺山修司強く生きぬく言葉』(興陽館 2017)
- 関連記事
-
- 母と離れるときの顔 (2023/05/26)
- あらためて「いま」をたいせつに (2023/05/20)
- ブロック学習と差込み効果 (2023/05/16)
- 「大切な人」とはどんな人か? (2023/05/11)
- あのころの夢・これからの夢 (2023/05/04)
- 一流に学ぶ宮崎国際JAZZ DAY2023ー「魂のキャッチボール」 (2023/05/01)
- だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉 (2023/04/30)
- 自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から (2023/04/29)
- ただ一問の質問に過ぎぬ (2023/04/27)
- 他人事 (2023/04/25)
- 抱擁 (2023/04/24)
- いま (2023/04/23)
- 「親しむ」と呼ぶ同化という作用 (2023/04/22)
- お湯割りは楽にこころを溶かし合う (2023/04/15)
- 凧は逆風に顔を向けるー「非戦」を思わせるために (2023/04/10)
tag :
「呑気はそれだけで傲慢だ」ー自由がなかった世の中から
2023-04-28
自由民権運動の指導者が豪語する「呑気はそれだけで傲慢だ!」
それを聞く牧野富太郎が「雑草にも名前がある」と
朝の連続テレビ小説「らんまん」は、植物学者・牧野富太郎の生涯がモデルになっている。文久2年(1862年)土佐は佐川の造り酒屋の生まれ、幼くして両親を次々に亡くし祖母に育てられ6歳で明治維新を迎える。酒造りに興味を示す姉は「女」という理由で麹作りの蔵にも入れず、植物に甚だ興味がある弟・富太郎が後継として「当主」と担がれる。寺子屋→藩校(名教館)→小学校へと進んで学ぶが、植物と外国語だけは深く興味を持ち他の学習は身が入らず2年間で小学校中退。独学で植物の採集・調査に熱中する。これまでの数週間で、概ねこのようなあたりまでが連続テレビ小説で描かれてきた。
「長男は家業を継ぐ」江戸時代から明治の社会的慣習は、人々を縛り付けた。明治18年生まれの若山牧水はやや時代は先だが、やはり家業としての「医師」を継ぐことを求められ深い葛藤に悩み尽くす。富太郎の場合もそうだが、学校で「主体的に学びたいものを学ぶ」ことさえも許されない時代。牧水は短歌に、富太郎は植物において自らが「やりたい道」を貫き通したのはただそれだけでも深い尊敬に値する。連続テレビ小説ではさらに、「自由民権運動」の志士たちと富太郎が遭遇する。明治7年(1874)に始まり同21・22年あたりまで続いた、藩閥政治に反対し国民の自由と権利を要求した政治運動だ。本日の標題はその富太郎が出逢った志士の指導者の言葉。政治・社会・旧弊に拘束されていても何も声を上げず自由を求めないのは、それだけで「傲慢だ」と断じた言葉だ。「自由」が当たり前すぎる現在だからこそ、「自由」の獲得には命がけであったことを知るべきだろう。意識なき者は「傲慢」なのである。
「家業との葛藤」は今でも
反対に今でも残る世襲という旧弊の傲慢
「自由」に学問ができる社会を高めていかねばなるまい。
- 関連記事
-
- 「呑気はそれだけで傲慢だ」ー自由がなかった世の中から (2023/04/28)
- 歩行者優先を当たり前とせず (2022/10/13)
- 「ゴールデンウィークが終わっちゃいました」ーその由来とは? (2022/05/10)
- 「在庫なし」ああ「残り1点」 (2021/12/16)
- 生の声を聞くということ (2021/12/09)
- 家電品を購入する当事者として (2021/11/03)
- 〆切にどう向き合うか? (2021/10/19)
- 時間をかければいいわけじゃない (2021/05/15)
- 身だしなみを気遣ってくれる人 (2021/04/19)
- 身体は嘘をつかない (2021/01/28)
- 口コミや評点をどう扱うか (2021/01/17)
- 人につられず我が道を行け (2020/12/21)
- まずは検温を習慣に (2020/04/02)
- 前提たる理解なき無惨 (2020/03/14)
- 気にするかしないかー花粉症とホワイトデー (2019/03/15)
tag :
ただ一問の質問に過ぎぬ
2023-04-27
「人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ」(「煮ゆるジェム」寺山修司)今日も朝がやってきた
ツバメが驚くほどの速度で眼の前を飛びゆく
「今日は何を書こうか?」目覚めると自分の脳に問いかける。白湯を飲みながら、珈琲を用意しながら、あまり悩んだりせず素直に脳内にあるものを言葉にし始める。それが「いま」こうして文章を書き進めている状態だ。人は誰しも「自分に質問をしている」のである。「何が食べたい」「まだ眠りたい」「誰と逢いたい」など「欲求」という名の衝動的に疼く感情の波を言葉に換えて自他に問いかけるのだ。人に質問すれば「会話」が始まる。朝のウォーキングで偶々会った人に「おはようございます!」に続け「今日は冷えますね?」と言えば、僕より薄着のその人はしみじみと「寒いですね」と応じてくれる。大きな自然のご機嫌について、人は言葉による「質問」という方法で確かめ合って自らの存在を証明する。
「生きるとはなにか?」親友の死が、僕にこの質問を投げかけ続ける。死期がちかづく3週間前まで仕事場に立ち続け、きっと「生きるとは?」を問い続けたのであろう。すると「人生」というものは「生きるとは?」=「わたしは誰ですか?」の問いにすぎないのかもしれない。「すぎない」と書くと儚く響くが、その「一問の質問」こそが自らに問いかける尊大で躍動的な問いなのである。冒頭の寺山の著名な短歌をよむと、きっと誰しもが考えさせられ戸惑い自らの存在を問い直すであろう。今日の僕自身がそうだが、「ただ一問の質問にすぎぬ」とこうして何らかの方法で「書けば」という状況に置かれる。寺山の歌の結句「二月のカモメ」は、あまりにも映画の1シーンのようで海と港など昭和感ある光景が想像される。「二月」と「カモメ」の取り合わせをどう読むか?考えさせられるが、僕の場合は昨日、「四月のツバメ」の飛ぶ速度に驚きながら彼らも新たな命を育むために飛んでいるのだと思ったりもした。
「ただ一問の質問」
人生は複雑なのか?それとも至って素朴なのか?
90分の講義に「一問の質問」それがせいぜい教える限界なのかもしれない。
- 関連記事
-
- あらためて「いま」をたいせつに (2023/05/20)
- ブロック学習と差込み効果 (2023/05/16)
- 「大切な人」とはどんな人か? (2023/05/11)
- あのころの夢・これからの夢 (2023/05/04)
- 一流に学ぶ宮崎国際JAZZ DAY2023ー「魂のキャッチボール」 (2023/05/01)
- だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉 (2023/04/30)
- 自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から (2023/04/29)
- ただ一問の質問に過ぎぬ (2023/04/27)
- 他人事 (2023/04/25)
- 抱擁 (2023/04/24)
- いま (2023/04/23)
- 「親しむ」と呼ぶ同化という作用 (2023/04/22)
- お湯割りは楽にこころを溶かし合う (2023/04/15)
- 凧は逆風に顔を向けるー「非戦」を思わせるために (2023/04/10)
- 反抗のちからー適時に必要な対話として (2023/04/05)
tag :
テーマ詠「花」ー宮崎大学短歌会新歓歌会(3)
2023-04-26
今月は毎週火曜日が歌会新歓の春にちなんでテーマ「花」
「花」といえば「桜」という古典を抜け出して
「恋において『名前』とは?」そんなことを考える講義を3限に。短歌では寺山修司の「夏美の歌」、若山牧水の「小枝子」という恋人の名前をそのまま詠み込んだ歌を紹介。併せてサザンの「いとしのエリー」を中心に、甲斐バンドの「杏奈」ばんばひろふみの「SACHKO」など名前が楽曲題に入るものを紹介した。僕はかねてから「名前は命そのもの」だと思っている。「呼び捨て」にすることにこそ親愛の情が湧き、「家」を示す「姓」よりも明らかに「名」で呼ぶことに愛が見える。また前週の課題秀作を4点紹介した。その中に「いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるふたり」(浅井和代)を題材にした2点があり、大切なパートナーを病で失うラジオドラマがあった。朗読して紹介してのち、「医学部のみなさん、どうか癌に苦しむ人を助ける研究・医療を。その他の学部の人たちでも機器開発・支援・地域活動で人々の苦しみを救える人材になって欲しい」と全学部対象科目ならではの訴えをした。生きることが「花」であるとするならば、「名前」があるのがその証である。
話題は講義に迂遠したが、この日はなかなか僕自身が歌会に辿り着けなかった。講義後の1コマは翌日の非常勤講義の準備。その後に会議、新年度初であったため報告内容も多岐にわたり定刻には終わらずにかなりの時間を延伸する結果に。春4月にしては冷たい雨が降りしきる中を附属図書館まで歩み、歌会に顔が出せたのは8時を過ぎていた。出詠11首、出席7名、新入生一人を迎えたが彼が最高得票歌となっていた。題材は「アンスリウム」「不香花」「カーテン柄」「桜花」「花火」「花」「バラ」「花びら」「薄紅の花」「献花」「ヤマトグサ」であった。僕たちにとって「花」とは何か?ある意味で「生きている」ことが「花」なのだろうか?植物の命にも思いを致し、「花」が咲いている時以外にも「花」を支える営みがあることを知る。宮崎では、多くの花に囲まれて生きることができる。「命」を尊むという意味で、この日も短時間ながら歌会に出席できてよかった。
「花に嵐の喩えもあるぞ
『サヨナラ』だけが人生だ」(井伏鱒二「勧酒」翻訳詩*表記を改めています)
春は穏やかな顔をしているが花を散らす季節でもある。
- 関連記事
-
- テーマ詠「本気」ー宮大短歌会23年度12月歌会(2) (2023/12/05)
- テーマ詠「鍋」ー宮大短歌会23年度11月歌会(2) (2023/11/25)
- 自由詠ー宮大短歌会23年度11月歌会(1) (2023/11/07)
- テーマ詠「結婚式」〜宮大短歌会23年度6月歌会(2) (2023/06/28)
- 自由詠ー宮大短歌会23年度6月歌会(1) (2023/06/14)
- テーマ詠「旅」ー宮大短歌会23年度5月歌会(2) (2023/05/24)
- テーマ詠「揚げ物」ー宮崎大学短歌会23年5月歌会(1) (2023/05/10)
- テーマ詠「花」ー宮崎大学短歌会新歓歌会(3) (2023/04/26)
- テーマ詠「学校」ー宮崎大学短歌会4月歌会(2) (2023/04/19)
- テーマ詠「夢」ー宮崎大学短歌会2023年度歌会始 (2023/04/12)
- 学長表彰への思いー学生・久永草太さん歌壇賞 (2023/03/01)
- 宮崎大学短歌会令和4年度追い出し歌会ー題詠「草」 (2023/02/24)
- 辱(はじ)を雪(すす)ぎ続けて功を成すー歌壇賞受賞のことばから (2023/01/21)
- 題詠「初」ー宮崎大学短歌会2023新年歌会 (2023/01/14)
- テーマ詠「サンタ」ー宮崎大学短歌会12月歌会 (2022/12/20)
tag :
他人事
2023-04-25
搭乗待合室にアナウンスが流れる「トイレに紙袋をお忘れにお心あたりの方」
聞き流せばそれで大切なものを置き去りにした
だが聞き耳を立ててもおらずに僕だとわかった
ことばとはわかるためにあるのだが
学校ではすべてがわかるようになるのだろうか?
記した本人がわからないことも表わしたのが文学
それを他人事のようにわかったかのような正解を求める試験
あなたの生活に直結する課題を決める
決める人たちを選ぶはずなのに半分以上が他人事
あなたの生活が大変になってからでは遅いのに
その日になって文句を言うだろう人が選ぶ権利を放棄している
他人の気持ちを自分のように
あなたはいまこの時にどうしているか?
また逢おうねという友のこれ以上ない顔
眼の前にいる人の気持ちをいつも自分のように思えるために
寺山修司に教わった
「もともと言葉というのは日常的な倫理の立場ではすべて嘘であって、
簡単に言えば『二度目の現実』にすぎないと思うんです。」
(ー鉛筆のドラキュラー)
僕は思う
「嘘」は悪いものではなく
「二度目」にくり返されるから響くのかもしれない
だからこうして言葉を吐き続けている、、、
- 関連記事
-
- ブロック学習と差込み効果 (2023/05/16)
- 「大切な人」とはどんな人か? (2023/05/11)
- あのころの夢・これからの夢 (2023/05/04)
- 一流に学ぶ宮崎国際JAZZ DAY2023ー「魂のキャッチボール」 (2023/05/01)
- だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉 (2023/04/30)
- 自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から (2023/04/29)
- ただ一問の質問に過ぎぬ (2023/04/27)
- 他人事 (2023/04/25)
- 抱擁 (2023/04/24)
- いま (2023/04/23)
- 「親しむ」と呼ぶ同化という作用 (2023/04/22)
- お湯割りは楽にこころを溶かし合う (2023/04/15)
- 凧は逆風に顔を向けるー「非戦」を思わせるために (2023/04/10)
- 反抗のちからー適時に必要な対話として (2023/04/05)
- いまが永遠ーこの一点に生きて (2023/04/03)
tag :
抱擁
2023-04-24
親しき友の悲しみを僕は本当にわかっているのだろうか?
自分の胸に 友の胸に 聞いてみるために
その悲しみは当人でなくてはわからない。
どんなに長く、どんなに気が合っても、どんなにお互いを知っていても。
だが、あらゆることをさて置いて同じ気持ちでいたい友がいる。
逢った瞬間にもはや理性などない
名前を呼んだらもう次の瞬間は抱擁
互いの耳元に泣く声が聞こえている
他の手段ではとうてい叶えられないこと
呼吸と声と涙とともに互いの胸の鼓動を確かめる
親友とてそれしかできない、だがそれができる人は世界で他にいない。
- 関連記事
-
- 「大切な人」とはどんな人か? (2023/05/11)
- あのころの夢・これからの夢 (2023/05/04)
- 一流に学ぶ宮崎国際JAZZ DAY2023ー「魂のキャッチボール」 (2023/05/01)
- だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉 (2023/04/30)
- 自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から (2023/04/29)
- ただ一問の質問に過ぎぬ (2023/04/27)
- 他人事 (2023/04/25)
- 抱擁 (2023/04/24)
- いま (2023/04/23)
- 「親しむ」と呼ぶ同化という作用 (2023/04/22)
- お湯割りは楽にこころを溶かし合う (2023/04/15)
- 凧は逆風に顔を向けるー「非戦」を思わせるために (2023/04/10)
- 反抗のちからー適時に必要な対話として (2023/04/05)
- いまが永遠ーこの一点に生きて (2023/04/03)
- 人生は螺旋状に #舞いあがれ (2023/04/01)
tag :
いま
2023-04-23
「いま」とはなんだろうか?「いま」といえるおのれがいるから
ひととあいひととかたらむ
「いま」がれんぞくしている。
その「いま」がかけがえもなくたいせつ。
こうしてぶんしょうをつづっても、
こうしてぶんしょうをよんでいても、
わたしとあなたのそれぞれの「いま」がある。
なにごとも「いま」のつみかさねでしかなく、
「いま」いがいをどうすることもできない。
いまも「いま」がおとずれ、すぎさってゆく。
その「いま」をともにすごせるひとがいるいみ。
あなたとであえてよかったとおもえる「いま」、
この「いま」がえいえんであるとおもいたい「いま」。
だが「いま」はどうしようもなくながれをとめることはなし、
ぼくらの「いま」はどこへいってしまうのだろう。
だれにもそれはわからない、だから「いま」をたいせつにするしかない。
けふの「いま」にありがとう
あなたとかたれてよかった
あすの「いま」をしんじるならば。
- 関連記事
-
- あのころの夢・これからの夢 (2023/05/04)
- 一流に学ぶ宮崎国際JAZZ DAY2023ー「魂のキャッチボール」 (2023/05/01)
- だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉 (2023/04/30)
- 自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から (2023/04/29)
- ただ一問の質問に過ぎぬ (2023/04/27)
- 他人事 (2023/04/25)
- 抱擁 (2023/04/24)
- いま (2023/04/23)
- 「親しむ」と呼ぶ同化という作用 (2023/04/22)
- お湯割りは楽にこころを溶かし合う (2023/04/15)
- 凧は逆風に顔を向けるー「非戦」を思わせるために (2023/04/10)
- 反抗のちからー適時に必要な対話として (2023/04/05)
- いまが永遠ーこの一点に生きて (2023/04/03)
- 人生は螺旋状に #舞いあがれ (2023/04/01)
- 明るさと暗さを受け止めてー宮崎の空 (2023/03/29)
tag :
「親しむ」と呼ぶ同化という作用
2023-04-22
親友のことは自分の身の上のことのように親族は生涯を通じて相互に同化しているか
人の立場になりきって物事を考えることの大切さ
「・・・に寄り添う」政治家などがよく「(弱い立場の人々に)思いを致している」などという意味で使用する言い方がある。もちろん教育の場でも「児童・生徒に寄り添う」とは、念仏のように唱えられる標語である。だが正直いってこの言い方には、ある種の偽善的な胡散臭さを嗅ぎ取ってしまうことが多い。「思いやり」もそうなのだが、あくまで自己は自己として「(こちら側から)心は向けている」ということで、本心から他者の立場になっているとは思えない趣旨を感じてしまうからだろう。同様に「親しむ」という言い方にも、その次元には大きな幅があるように思っている。ゆえに「親族」とは?「親友」とは?という問いを僕などはいつも抱えてしまっている。
牧水の短歌には「自然と親和性がある」と指摘される。「親しみ和する」わけで「和(あ)える」という動詞が加わることで「自然と同化してそのものになる」という趣旨が含まれる。あくまで「自然に寄り添った」という次元に留まらなかったところが、牧水の徹底したところだ。1週間前から、親友のことで甚だ辛い思いを抱えている。明らかに彼を「親友」と呼べるのは、こうして当人に同化して深く心が痛むからだ。用件あって宮崎の「親友」にも電話連絡をすることがあった。すると彼は、僕の親友の立場にまさに同化するようにその辛さを口にした。自分の友においても同様の経験をしたとも言った。もはやこれは「寄り添う」などという甘ったるい話ではない。「親友」たちに新たに教えられながら、僕自身は真の「親」を見つけ出そうとしている。
厳密に言えば決して「同化」などできるものではない
だが文学で鍛えた想像力はかなりの次元で作用する
人生の旅には親族と親友が不可欠なのだから
- 関連記事
-
- 一流に学ぶ宮崎国際JAZZ DAY2023ー「魂のキャッチボール」 (2023/05/01)
- だまって海を見つめていたいー「私のお母さん」寺山修二の言葉 (2023/04/30)
- 自分ひとりでも歩かねばならないー寺山修司の言葉から (2023/04/29)
- ただ一問の質問に過ぎぬ (2023/04/27)
- 他人事 (2023/04/25)
- 抱擁 (2023/04/24)
- いま (2023/04/23)
- 「親しむ」と呼ぶ同化という作用 (2023/04/22)
- お湯割りは楽にこころを溶かし合う (2023/04/15)
- 凧は逆風に顔を向けるー「非戦」を思わせるために (2023/04/10)
- 反抗のちからー適時に必要な対話として (2023/04/05)
- いまが永遠ーこの一点に生きて (2023/04/03)
- 人生は螺旋状に #舞いあがれ (2023/04/01)
- 明るさと暗さを受け止めてー宮崎の空 (2023/03/29)
- 宮崎在住10年目の日にー生きる出逢いのすべてに感謝 (2023/03/26)
tag :
「日常」を創り出すために
2023-04-21
人からの隔絶が求められた3年間飛沫・マスク・距離・手洗い・換気
まだまだ流行も懸念される中で「日常」を創り出す
この3年間、「日常」の概念が大きく変化した。メディアなどで囁かれてきたのは、「日常を取り戻す」という言い方だった。もとより季節性インフルエンザは、100年以上も近現代人を苦しめ続けてきた。約1000年前の『源氏物語』には「わらはやみ」(マラリヤ性の熱病)に光源氏が感染して加持祈祷を施すために京都北山に籠るという筋書きは有名である。人類の歴史において「感染症」は必然なものであり、むしろどう付き合うか?が常に問われてきたと考えた方がよい。人は独りでは生きていけない、それゆえに他者と接触しお互いに助け合って生きる。多くの動物にも仲間と相互扶助の関係が見られるように、人は「言語」という高度なコミュニケーション手段を持ち高度な助け合いの中で生きる動物である。
「思考」一つをとってみても、独りで考えていては視点が狭く高次元なものは生まれない。他者と話すことで、自分の殻の中だけでは考えられないことに気づく。他者とその違いを認識することで、「自分」というものも鮮明に自覚できるようになる。そんな交流がこの3年間は「隔絶」されてきてしまった。なるべく人との飛沫接触機会を減らすことが、唯一の感染拡大への対策と云われた。ここで書き連ねてきたように、人間が人間らしく生きるための「接触」が忌避されてきた。だが、新たな100年はもう始まっている。恐れてばかりいずに、「取り戻す」という後退ではなく「創り出す」という気概が必要であるように思っている。オンラインでは決して聞くことのできない、学生たちの生の声を聞くことのできる「日常を創り出す」、その意志を持とう。
「教室」での生の反応
マスクなき顔のあらゆる表情から得られる理解
ゼミ生たちを育てるための日常を創り出す
- 関連記事
-
- 「日常」を創り出すために (2023/04/21)
- 口を開き蛸壺から出て大海を見る (2023/03/30)
- あたたかき陽射しのめぐみー換気に十分な気温ながら (2023/01/13)
- 自制するこころ (2022/12/04)
- 仮面としてのマスクを考える (2022/09/22)
- オンラインはコロナのためならず (2022/08/27)
- 何を大切にすればいいのだろう?ー島国らしき鎖国の中に (2022/08/12)
- 清潔一掃を求めすぎた近現代ーカビ取りの理屈 (2022/07/26)
- 何もしないという方法ーどうなるこの感染 (2022/07/22)
- コロナ禍で失っている身体性ー声と表情 (2022/06/14)
- オンライン・ハイブリッド・顔合わせ (2022/04/13)
- ワクチン副反応奮闘記 (2022/03/26)
- 新たな動詞で生きるー福祉国家デンマークから学ぶ (2022/02/02)
- 感染のゆくえをどう考えようか? (2022/01/20)
- やがて夕凪その次の波 (2021/09/08)
tag :