積極的行動支援で生きてみよう
2023-03-31
「✖️」「ダメ」「罰」を与えるのではなくできること・やってみたことを肯定的に
真の前向きとは何か?今あらためて考える
大学院教育学研究科修士に在籍していた時、「共通科目」として自らの専攻以外の単位を取得する必要があり「発達障害論」を選択した。当時は中高現職専任教員だったので夕方遅い時間枠だったというのが選択の一義的な理由であったが、履修していくうちに担当の先生の特別支援教育への情熱とどんな分野へも開いて考えるべき思考であることに魅せられ、かなり入れ込んで学びを深めた。履修している学生も多様な専攻の者がいて、次第に毎回のように講義後に先生も伴い呑みに行くようになった。そこで学んだことは決して「障がいのある方」への「特別」な教育ではなく、あらゆる「教育」いや「社会」で必要な考え方だと常識を正されることが多かった。単位取得が成された後も、先生や履修者の仲間と呑み会をすることも多く、現在でも先生や数名の仲間とは連絡を取れる関係である。前置きが長くなったが、そんな意味で現在所属の学部でも「特別支援」に関することには、思いを寄せてみたくなることが少なくない。
大学院で学んだ当時は「ノーマライゼーション」という概念で、健常者と障がいを持つ人がともに学び合う環境のことが語られていた。最近は「PBS(積極的行動支援)」という考え方が、大変に気になっている。健常者も障がい者も分け隔てなく、「主体的」で「できることを伸ばす」姿勢で教育に向き合うことだ。従来はむしろ、「ダメ出し」することが「教育」というような考え方が横行していた。例えば「国語」でも、間違った漢字を書いたら「✖️」を付け、授業中に音読して読み間違ったら「ちがう!」と言われて訂正される。誤解のないように言っておくが、何も「誤り」をそのままでいいという訳ではない。「書いたこと」「(音読)で読めたこと」を「積極的行動」として褒めつつ、何が「誤り」なのかを主体的に気づかせることが大切だということだ。「ダメ出し」をすることで「漢字を書き、文学を音読することの楽しみ」を子どもたちから奪ってしまいかねない。従来から「学校」では、「清く正しく」のみが強制され過ぎたのだ。いや、「学校」のみならず職場でも家庭でも仲間や家族を、「できることを伸ばす」姿勢で「ダメ」と言わないことが、生き生きした環境を作る秘訣であるのは確かだろう。
「罰を与える」と子どもらは周囲に同じような仕打ちをするらしい
家庭でも誰彼を問わずに考えてみたい「PBS(積極的行動支援)」
久しぶりに大学院の恩師に連絡を取ってみようと思う。
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