一番近きところに死角ありー己の心身に正直に
2023-03-14
自動車にモニターがあり後方はよく見えるだが肉眼に一番近いミラーを見落とす
自らの心と身体を見つめるためにも
自家用車を公共の駐車場に停車させる際に、こだわりたいことがある。左右前後の車がどう動くかを想像し、配慮して停めるということだ。枠内であっても、微妙に左右の位置が重要になる。昨日も停車後に降車すると、左隣の車との距離が大変に近過ぎることに気がついた。しかも隣の車は高齢者マーク付き、自らの父母が乗降することを思い浮かべると到底この幅では乗り込めないと想像し再び自家用車を他の場所に移動することにした。移動先では横の車との意識が過剰になったのだろう、端に寄せすぎて右側のミラーを柱に当てて破損してしまった。幸い軽傷で済んだが、大変に重要な教訓をもらったと考えるようにした。バックモニターがあるため車の後方はよく確認できるが、むしろ肉眼に一番近い右ミラーが死角になったのだ。そう!人は近くて見やすい場所こそ、見るのが難しくなるのだろう。正直なところ、当該駐車場の車幅枠そのものが狭過ぎて、SUVにはやや無理があるのだという条件なのも確かだったのだが。
僕たちにとって一番に近いのは、自らの心身である。だが真に自らの心がわからないことも多く、自らの身体は予想もしない傾向を示すことも健診などではよくあることだ。「わかっている」と思うものが、実は一番「わかっていない」と考えた方がよいのかもしれない。特に身体の場合は、その把握に自らの「心による偏った解釈」が加わることになる。病気が発覚すれば「怖い」という心が、正確で適切な診断結果を拒否したり診断そのものを疑ったりしてしまう。癌などは早期発見で治療できる病になりつつあるが、健診や診断への拒絶によって発覚後の手遅れにもつながりかねない。僕たちが一番知らないのは、自分自身の心身であることを今一度自覚するべきではないか。例えば、小欄にも前述の「ミラー破損」のことを記した。自らの負の行動を書くのは、ある意味で憚られる。だが自らの短所や失敗や苦悩なども、短歌にすることで他者の共感を呼ぶことは少なくない。お読みいただいた方には、まず「自らの近くこそが死角」であることを心に留めて行動していただきたい。
真の勇気とは自らを丸裸にして知ること
そして心身に不浄なものを溜め込まないことだ
人間の身体は常に新陳代謝をくり返しているのだから。
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