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若山牧水全国顕彰みなかみ大会ー『みなかみ紀行』100年

2023-03-06
大正11年・牧水38歳
長野・群馬・今精峠を超えて中禅寺湖まで
人と出会い歌でつながる旅を『みなかみ紀行』に綴り

「みなかみ町」は、僕にとって特別な処である。まだ小学生の頃、新潟の親戚へ父が運転する自家用車で行くことがよくあった。当時はまだ関越自動車道がなく、国道17号線を埼玉・群馬と抜け難所である三国峠を越えていく約7時間ほどの旅だったと記憶する。深夜2時ぐらいに東京を発つと、夏休みなのでちょうど明け方が群馬県「月夜野町」、そこから峠道に入り「猿ヶ京」「赤谷湖」という地名表示が不思議なほど心に刻み込まれた。「月夜野」という地名の美しさ、猿が出る京(みやこ)?とか、緑色に美しい湖面なのに「赤谷湖」などと当時から言葉に特段の興味があったと言える。国道17号線を左に大きくカーブするあたりに、赤い三角屋根のロッジがあったのを記憶するが、今回の宿泊先はそのロッジを見下ろす猿ヶ京ホテルであった。

顕彰大会初日は公募短歌の表彰の後、伊藤一彦さん・小島ゆかりさん・小島なおさん・田中吉廣さんのシンポジウム「みなかみ紀行100年ー牧水の旅と人と自然」であった。小島ゆかりさんは「大きな自然のスケールで人間は小さいことを自覚するすがすがしさ」が牧水の歌に読めることを指摘。小島なおさんは、「おおらかさと明るさ、秘めていることも歌に詠ってしまう」牧水の自然さを指摘。田村さんは「子どもが大好きで優しい視点がそこに注がれる歌」について好きな歌として挙げられた。伊藤一彦さんは「単なる旅好きではなく、人間にとって旅とは何かを考え続けた」のだと指摘、同じように命とはどういうものか?を理屈ではなく「しらべ」で伝えてくれるのが牧水の歌だと小島ゆかりさん。「孤独だが孤独でない、心が親和する歌人」とは小島なおさん。以上がシンポジウムで僕自身が気になった発言の覚書である。

新型コロナ感染拡大の当初から丸3年。今もなお十分な対策を取りつつ、懇談会が開催された。牧水が歩いた全国の各所から顕彰会の方々などと、あらためてつながることのできる機会であった。牧水は「ただの酒呑み」ではなかった、各所で短歌を学ぶ人たちに乞われ短歌について語り、酒を呑むことで人間的な肌の付き合いを深めた。ゆえに顕彰大会では、同じような意識で多くの人々とつながる場となるのが何より大切だと考える。今回は実行委員会の方々の並々ならぬ企画と準備と心遣いによって、「牧水先生の志」が叶えられたような気がする。牧水は「太陽」のような存在であるとともに、自然そのもののような懐の深さのある存在でもあり、今もこうして住む土地を越えて人と人とを結びつける。

2日目(3月6日)は、赤谷湖畔に新たに建てられた牧水歌碑の除幕式。
「高き橋此処にかかれりせまりあふ岩山の峡のせまりどころに」
今はダム補修工事のため水位が少ない赤谷湖は、むしろ牧水が訪れたダムのない時代の想像を容易にした。その後は、牧水が当時逗留した部屋がそのまま残る金田屋旅館へ。果たして牧水は、此処でどんな会話を楽しみ酒を呑んだのだろう。かくして楽しい1泊2日が過ぎ去り、上毛高原駅で実行委員会の方々に深く御礼を述べて、一路東京への新幹線に乗り込んだ。

没後95年の今年、さらに諸々の機会を持ちたい
そして生誕140年、さらに没後100年
牧水は、図らずも混迷の世紀になってしまった「いま」をどう生きるかを教えてくれる。


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