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ど真ん中ストレートー貴司くんの苦悩 #舞いあがれ

2023-02-21
編集者リュー北條
「ど真ん中、ストレート、投げるつもりで書けよ!」
彼自身も酔ってこそ言えたストレート助言

朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」は、先週の最後に結ばれた舞ちゃんと貴司くんが、めでたく結婚式を挙げた。舞ちゃんが亡き父・浩太さんに花嫁姿を報告するシーンには、これまでの苦労とともに掴んだ幸せが凝縮されているようだった。こうして幸せに至るまでに、先週の小欄に記してきたような貴司くんの短歌に向き合う苦悩があったドラマストーリーは誠に秀逸であった。「短歌ができない」ということそのものが、「伝えたい思いを伝えられない」ことと同質のように描かれたことは、「和歌短歌1300年」の歴史の上で穏当な位置づけであったといえる。「人の心」は言いたいことで溢れていて、その「種」が発芽して「さまざまな言の葉」になるのだと「古今集仮名序」に紀貫之は宣言した。「言いたいこと」を「訴え」気持ちを誰かに伝える、俵万智さんが「短歌は日記ではなく手紙です。」というのも誠に至言である。だが、人はなかなか心の底にある「種=思い」をストレートに表現して伝えることができない。それは恋心のみならず、貴司くんが「怖いんです」と言っていたことには、どこかで共感できるのだ。

休日の過ごし方を含めて、様々な場面に向き合い多様な「脳の使い方」をしているように我ながら思う。事務処理脳・研究脳・学生教育脳・協調脳・社会適応脳・夫婦脳・親子脳・友人脳・野球脳・音楽脳、そして短歌脳である。どれも使う脳の部分が違うのではないか?と思うこともしばしばで、ある脳を使っている際に他の分野の脳が気になると無性にムシャクシャしてしまうことがある。まさにドラマで貴司くんが短歌ができず、ノートに書いた一行をグシャグシャに鉛筆でかき消してしまうような気分である。限られた時間の中で、こうした多様な脳の力を常に適切に発揮するのは難しい。だからこそ仕事も私生活も、適切なメリハリをつけることが望まれるのだろう。そんな錯綜した己さえも、天からの視点をもって客観視できたらよい。ムシャクシャが思わぬLINEの連絡によってリフレッシュすることもある。要は「生きる」とは、混沌とした山登りなのかもしれない。歩みを止めて景色を眺めてもよい、多視点になることで救われることもあるのだから。

ど真ん中ストレートを投げる怖さ
それを超えるための言の葉を紡げ
「一瞬を永遠にするのが短歌やで」(舞ちゃん)


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