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「エンタメ×純文学」=相乗効果ー「短歌ブーム」に考える国語学習

2023-02-03
「『短歌ブーム』ブーム」(笹公人)
SNSとの相性×伝統的歌人
「分断を繋ぎとめる」その希望を短歌に!

世は「短歌ブーム」だと云われている。例えば、現在放映中のNHK朝の連続テレビ小説「舞い上がれ」でも、主人公の気になる相手は短歌作りを地道に続け「長山短歌賞」なる架空の賞を受賞し「歌集デビュー」するというストーリーが進行中だ。もちろん昨年1年を総括しても、歌集の売り上げやメディアの取り上げ方において、「ブーム」と考えたくなる流れがある。だが「本当にブームなのだろうか?」という疑問に正面から向き合っている議論が、小欄でも取り上げた「笹公人×渡辺祐真」のオンライントークでなされた。『短歌研究2月号』では渡辺による「短歌と考える現代」で昨年の総括が実に明快に批評されている。渡辺に拠れば、新しい出版社やSNSの存在が目立つのと同時に、「伝統的歌人」と呼ぶ良質な純文学的短歌をつくる存在があってこそのブームであると述べている。まさに本日の標題のように「エンタメ(的短歌)×純文学(的短歌)」の図式を提起している。それはまさに「西行×定家」であると、古典和歌の上でも同様の図式で和歌全盛期の時代が築かれたことにも言及していて興味深い。

詳細は渡辺の文章をお読みいただきたいが、この「ブーム」の図式は「国語学習」に応用できないものかとふと考えた。そこで早速、学部2年生の「国文学史Ⅲ」の総括となる最後の講義で学生たちに意見を求めてみた。こうした際の学生の発言で気になるのは、二項対立的図式を示すと「どちらかに決めなければならない」ような思考になることだ。少なくとも2年ほど前まで「受験生」であった彼らは、今も「共通テスト」の選択式思考にあるのかとその弊害を考えざるを得ない。「国語学習」が「純文学的」だからつまらないとして、「エンタメ」に移行すれば効果的な改革になるという発想だ。否、前述した渡辺の「短歌ブーム」の批評は、こうした単純な偏りに陥ることなく双方の利点が功を為した結果であると「脱構築」な発想で批評されていることが重要なのだ。僕などからすると36年前の「ブーム先取り」とも言える『サラダ記念日』こそが、相乗効果を一人の歌人・歌集の中で実に豪快に明快に巧みに結実させた歌集のようにも思えてくる。「国語学習」の「サブカル」分野の活用は従来から提唱されてきているが、その反面で「純文学的」と装いながら、その正体は「指導者が的確に捉えていない文法・文学史の押し付け」であったことを省みる必要があるのかもしれない。当該講義ではまさに「西行×定家」が成し得た『新古今和歌集』の日本文学史上の価値を考えることに、多くの時間を費やした。やはり指導者が「純文学とは何か?」という正統なる問題意識を持っていてこそ、「エンタメ」に踏み出し融合した学習を叶えることを忘れてはなるまい。渡辺の批評は、「国語教育」を考える上でも示唆的なのである。

講義の導入は「The LEGEND & BUTTERFLY」の予告動画
「エンタメ映画×歴史の学び」にどのように我々は折り合いをつけているか?
「短歌」を自ら創作する上での方向性も明らかにされたような気がしている。


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