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半覚醒に言葉を捕まえるー俵万智さん #プロフェッショナル

2023-02-28
半覚醒でポコリポコリと浮かんでいる
言葉になっていないものを言葉で捉える
「むっちゃ夢中とことん得意どこまでも努力できればプロフェッショナル」

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」が、俵万智さんを密着取材した。宮崎在住の6年半は諸々な機会に交流させていただいたが、親しいながらもその私生活は月並みな言い方だがベールに覆われていた。一般の方々が観てももちろん短歌への興味が半端なく高まる内容であったが、歌を嗜みご本人をよく知っている者としてたぶん何百倍も楽しめる番組であった。短歌が生まれる端緒は机に向かうとかではなく、移動中とか蒲団の中で浮遊する言葉を捕まえるという感じ。よく小学校などでは静かな教室でノートに無言で向かわせて短歌(または他の詩歌や作文)を作らせているのが、いかに「創作」の態度と乖離しているかを痛感させられる。「素材は日常にある」が近現代短歌が成してきた「流儀」であるが、それをさらに具体的でより容易に身近な日常に近づたのが俵万智の1300年の短歌史上で他者にできなかった功績ということになるだろう。

以前から密かに思っていたが、俵さんと同じタイプの手帳を僕も使用し既に14年目となる。宮崎歌会などお会いする場でそれを確かめる度に、僕はニヤリと心の中でほくそ笑んでいた。その手帳は「何気ない一日が特別になる」というような制作意図を標榜しており、それが俵さんの歌作りの「流儀」に一致しているとも思っていた。今回はあらためて映像を見て、宝の持ち腐れにならぬように自らの使い方も変革すべきと考えた。などと思い昨晩の就寝時には寝床に持ち込み、今朝までに一首の歌ができた。俵さんは手帳に手書きされた「素の歌」を、次はPCに文字として打ち込んでいく。最終的に「活字」になるのが「短歌」であるとすると、この作業で歌を他者がどう読むかが次第に見えてくるかのようだ。その過程でも文字のみならず、声に出したり瞑想的になったり錯綜したりをくり返しているように見えた。短歌を投稿するまでの仕上げとして、打ち込んだ短歌を短冊にし、「最後のご馳走に涎が出てしまう」と冗談交じりに連作の並べ方と多めに作った歌の採否を決めていく。俵万智さんの学部卒業論文が「連作論」であるのは有名であるが、その秘訣にこうして「美味しく並べ方を楽しむ」という秘密があったのは、多くの短歌人にとっても目から鱗であったのではないか。とりあえず40分間を1回観たが、録画を何度も見返すとさらなる小さな発見として、自らが活かせそうな「流儀」が山積しているように思っている。

仙台への引越し直後からの取材
宮崎の大切な場所に立ち寄った場面も
しばらくして落ち着いたらぜひご本人に感想をお送りしようと思っている。


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牽引者の為すことーダルビッシュ有投手の存在感 #侍ジャパン

2023-02-27
技術の伝授はもちろん
前進するための雰囲気を作る
そして何事も「自ら買って出る」度量

WBC日本代表強化試合対ソフトバンク戦を、TV観戦した。前日に続き勝利したものの課題はやはり多いことを記してきたい。一つに「野手の悪送球」、この日は二死走者三塁から村上が一塁に悪送球をして相手に点数を与えてしまった。さすがに実況アナが「滑るボールか?」という言い方を今回はしなくなったが、前日から「野手の送球が指に掛かっていない」ことを痛感する。06年09年の2回の大会の折は、「WBC使用球の表皮が滑る」ことを盛んに実況アナが叫んだものだ。それはそれとして「プロの適応力」の上でいかがなものか?と思っていたが、今回の2試合連続失点につながる悪送球は野手の適応への疑問を感じさせた。TV解説(TBS系列)の内川さんは、2度のWBC大会経験者だが、「外野手からの送球が抜けないようにゴロになっても低く投げるよう合意があった」ということを明かしていた。未だに世界での使用球が統一されていないことにも大きな問題はあるが、日本野球が未だ「温室野球」な面を露呈する現象だ。

こうした状況を回避するためには、使用球に適応した経験のある者が牽引者となって助言を深める必要があると思う。今回の日本代表チームにとって、その役は明らかにダルビッシュ有投手である。その証に、投手陣で使用球に適応していない選手は殆どいない。敢えていうならば、昨日の試合で制球の定まらなかった松井裕樹投手ぐらいだろうか。むしろ「スライダー」の切れが多くの投手において昨年よりも増した印象がある。これこそはキャンプ中の「ダルビッシュ塾」ともいえる、助言者として投手陣を中心に牽引した成果ではないか。それに比して、野手陣の牽引者が見当たらないのである。06年09年は明らかに、イチローがチームにいたことは監督の存在以上に大きかった。打撃守備のみならずメンタル面での助言も多かったことだろう。確か準決勝のロスに入ってからもイチロー主催の「チーム結束焼肉会」があったと記憶する。09年に若手投手のメンバーであったダルビッシュ有投手は、明らかにその時の経験から今回は自らが牽引役を買って出て投手陣会・野手との交流会など食事機会を設けている。昨日の試合では終盤に周東選手の俊足を武器に決勝点をもぎ取ったが、チーム残塁10を記録し前半の好機で一打が出ないという短期決戦では厳しい状況があることを忘れてはなるまい。宮崎合宿も今日で打ち上げ、さてMLB組の合流があって野手にどのような化学反応が起こるのか?期待したい。

攻めの投手陣が野手を奮起させる図式
TV解説は前述の内川さんと槙原寛己さん
ダルビッシュ有投手が宮崎合宿に志を持って参加してくれたことが日本野球の財産である。


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短所こそ刻み込めー野球日本代表壮行試合に思う #侍ジャパン

2023-02-26
プロの守備としての守備の乱れ
投手陣の好調さに比して野手陣の様々
「世界一」への道を宮崎キャンプにどう見るか

僕自身が教育面で心がけていること、から話そう。中高教員時代から大学教員である今に至り「まずは生徒・学生の長所を伸ばす」ことを第一に考える。「短所を指摘」して直そう直そうとすると、次第に本人も萎縮して長所さえかき消されていくからだ。「長所を伸ばす」とその波及効果で次第に「短所が短所で無くなる」ことが多い。ある意味で「長所短所はお腹と背中、表裏一体の関係」にあると考えている。現在は「個別最適」で「協働的」な教育が求められているゆえ、長年のこの方針は誤りでなかったと思っている。だがしかし、「プロ」の世界はそうではあるまい。特に世界一を目指す野球日本代表チームであれば、いかに隙を見せず「短所を無くせるか」が重要であるように思うのだ。それでもなお、プロ野球各球団(今回はMLBを含め)を代表する優秀な選手が集まっても「短所が無い」ということはあり得ない。試合を重ねながら「短所をどう補うか」いやむしろ「長所に変換していくか」がチーム作りという上で大切だと考えている。

試合展開を全て映像で観たわけではないが、この日の日本代表壮行試合初戦では「連続失策」という「短所」を露見した。野手に比してダルビッシュ効果もあってか好調な投手陣が、打ち取った当たりを失策し失点を許した。招集メンバーが発表された折から、野手の各球団における通常の守備位置の重複や中堅を専門とする選手がいないことなどが指摘されていた。MLBの野手が未だ参加していない現状にあって、内外野の守備位置は誠に流動的である。オールスターなどの祭典であればこうした状況も一興であるのだが、勝負に出ようとしている「チーム」としては不安材料が多い。キャンプでも内野外野の併用練習など、野手は様々な機会に挑んでいた努力は買うとしてもその移動先で「プロの守備」ができるかどうか?は大きなこのチームの「隙」ではないか。06年09年の世界一2連覇を回顧しても明らかだが、投手陣を中心に守り切るのが日本野球の真髄である。09年のロスでの決勝で思い出すのは、イチローさんの決勝打のみならず通常は内野であった内川さんの左翼ライン際の逆シングル止めという守備力である。また06年などは、本来は遊撃手の宮本慎也さんがチームリーダーとして三塁の守備固めに入るという安心感もあった。求められるのは、ダルビッシュが牽引する投手陣に比してリーダーのいない野手陣の守備を含めた奮起ではないのだろうか。

「短所」を露見する以上、「長所」が消されてしまう
日本代表が再び世界一になるためには、ファンの厳しい声も必要であろう
ゆえに敢えてチームの「短所」にこだわり指摘をし続けたいと思っている。


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NHK短歌3月号「覚えておきたい古典和歌」執筆 #NHK短歌

2023-02-25
平安朝の歌人「伊勢」
2月号3月号と連載にて
宮中の恋愛生活と長恨歌屏風代作歌について

NHKテキスト「短歌」2月号3月号の二連載にて、「覚えておきたい古典和歌・伊勢」を執筆させていただいた。現在、3月号も発売になっているので、よろしければお読みいただきたい。もとより平安前期の宇多朝時代の和歌については専門とするところであるが、あらためて「伊勢」という宮中女流歌人の先駆けのような存在について、深く考える良い機会をいただいた。「伊勢」の和歌については『全注釈』もまとめられているが、読み直すと様々な問題意識が芽生えて来る。『百人一首』19番歌「難波潟短かき葦の」の歌によって「伊勢」を女流歌人と認識知る方は多いだろうが、私家集である『伊勢集』を紐解くと、当該歌は作者未詳歌で「伊勢」の歌とは断定し難い。また女性が宮中という場において歌を詠む行為そのものを、特に宇多帝の後宮における擁護によって進められたことも和歌史の上で重要である。

また当時にして「代作歌」が公の場で求められていたことは、3月号に書いた「長恨歌屏風」の歌の存在で知ることができる。中唐の詩人・白居易の詩文は平安朝に輸入され、貴族の間では大ブームとなった漢籍である。唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋物語を題材に、白居易が長編詩でその具体的な折々を物語的に語る漢詩文である。高等学校教科書にも現行までの「古典B」などでは必ず採録される教材だが、学部生に聞くと学んだ経験がある者は三分の一以下であり高校教員の意識を問い返したくなる。つまり『源氏物語』桐壺(特に冒頭)を学ぶには、『長恨歌』の由来を知ることが必須であるにも関わらずである。詳しくは今回、NHKテキスト連載に書いているので、ここではこのぐらいにしておこう。最近、興味深いのはNHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」の貴司くんや秋月史子の「代作歌」を俵万智さんが、Twitterにて「止まらない」などと衝動を持って投稿していることだ。ドラマを観るには感情移入が必須と思うが、まさに作中人物に成り代わって短歌で心の丈を述べるという高級な味わい方が素晴らしい。まさに「伊勢」が「玄宗皇帝・楊貴妃」の立場でその心を詠んでいるのと同様の楽しみ方が、短歌という1300年の歴史の上で行われていることに注目したい。

短歌の演劇的要素としての代作
人物のキャラをどう捉えて詠むか
和歌と短歌が通底する要素をさらに深く追究してゆきたい。


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宮崎大学短歌会令和4年度追い出し歌会ー題詠「草」

2023-02-24
歌壇賞受賞者の久永草太さんが6年目の卒会
大学院修了そして学部卒の計3名がこのほど
社会人の卒会生も集まり合計14首の詠草にて

2月も下旬を迎え、球春をはじめ春の足音が次第に大きく響く時節になった。卒業のことなどまだ先のことかと思いきや、宮崎大学短歌会の追い出し歌会が開催された。今年は農学部獣医学科で6年間在学し、歌壇賞を在会中に受賞した久永草太さんが卒業・卒会を迎える。『歌壇』の「受賞のことば」においても「宮大短歌会では好き勝手やらせてもらい」と本人は記したが、短歌会にとってはヨチヨチ歩きの赤児を立派に高校を卒業させてもらった、ほど育ててくれた功績があるといってよいだろう。月2回の歌会開催・会誌の制作発行・大学祭企画・日向市マスターズ短歌甲子園出場・角川大学短歌バトル出場・国文祭・芸文祭みやざき2020企画等々があり、その折々の取り組みは顧問としての僕自身を育ててくれたように思う。獣医学科における6年間在籍が短歌会にも活きて、在籍時の歌壇賞受賞に至った。会員個々が久永さんの存在を大きく受け止めているのだろう、今回の題詠は名前の「草太」から「草」となった。

出詠14首、参加14名、宮崎市中心部の中央公民館和室での開催となった。「草」の活かし方としては、「雑草」「若草(2)」「草々」「草笛」「草むら」「草ぐさ」「煙草」「草を結ぶ」「草姿」「七草粥」「緑草」「草原」「草」であった。趣向を凝らした最高点歌は、卒会者の名前の一文字を全て隠題に詠み込んでいた。また「草を結ぶ」という古代の呪術的な発想が詠み込まれた歌は、言葉の中に文化が宿っていることを感じさせた。「雑草」を「児童の頭髪」の比喩も映像的に秀逸であり、「前略、草々」の手紙文より「顔を見て伝える」ことを主張した歌も温かみがあった。社会的事情からすると「煙草」は詠まれないと予想していたが、貴重な人との貴重な機会での一服という場面で健在であった。「ツツジ」が「草笛」に適するか否か?という議論もあり、「七草粥」の歌には他者への思いやりが溢れていた。解題をすると多くの歌が「久永リスペクト」なものが多く、追い出し歌会の題詠として誠に盛り上がる歌会であった。時間もたっぷり3時間、外の雨を忘れるほど詠草に酔い痴れる時間であった。

ようやく普通にできるようになった追い出し歌会
そして次の世代の1年生会員たちが今後を逞しく受け止める
卒会生の個々の思いを存分に受け止める会であった。


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追われず心の余韻をひびかせる

2023-02-23
仕事・会議・仕事・来訪者・仕事
終わらせど終わらせど我が仕事終わらず
それゆえに心の余韻を響かせるささやかな時間を

仕事の季節性という意味でいえば、僕の場合はこの時期がピークであろうか。卒論をはじめ学期末の評価・年度末へまとめの書類・次年度への企画立案・その準備等々と誠に切れ目のない仕事が綿々と続いている印象だ。それに加えて外部編集委員会の仕事など、研究者としてやるべきことは山積している。そんな中でも若山牧水賞授賞式は、多くの歌人の方々ともお会いできて誠に心に栄養を注入してもらうような機会であった。その場にいて確実に心の養分となるような機会、人生には明らかにそんな場所との出逢いが必要である。短歌が「余韻のひびき」の文学であるとすれば、生き方にも同様な時間が必要なのだと思う。

授賞式及び祝賀会で得られた多くの方々の言葉は、確実に養分となって僕の心を刺激している。受賞者の奥田亡羊さんと酔いに任せて交わした言葉の一つひとつに沁み入るものがあり、その背後には佐佐木幸綱先生や伊藤一彦先生の歌が立っているような感覚になる。選考委員の栗木京子さんにも宮大短歌会のことについてお褒めいただき、また小島なおさんとはニシタチ餃子談義に花が咲いた。こうした誠にありがたき宮崎の短歌環境を、僕自身がどう受け止めて行くかが大切なのだろう。肝心なのは、1日の中で「余韻がひびく」時間をささやかでも持つことだ。あらためてそんなことを考えて、今日の朝を迎えている。

新たに出逢った方々もあり貴重な機会に
片やWBC日本代表合宿は終盤を迎えつつある
さて、今日の「余韻」はどう響かせて生きようか?


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第27回若山牧水賞授賞式・祝賀会ー奥田亡羊氏『花』

2023-02-22
幅広いお仕事とご経験
読者の想像力をどう導き出すか
短歌の進化・攻めの歌集 等々・・・

定例の時期に恒例の会場で、3年ぶりに牧水賞授賞式が挙行された。この3年間は延期や少人数での実施、または時期をズラし別会場での挙行などが続いていた。だがやはり宮崎の季節の風物詩とも言えるこの行事は、この時期に開催されるのが望ましい。今年はさらにWBC熱で観光客も多く宿泊事情もままならない中ではあったが、県外からも多くの方々がこの式典に集まった。受賞者の奥田亡羊さんは、結社を同じくし心の花の同人である。また母校・学部も同じくし以前から親しみ深い受賞者であった。既に10月の決定に際してSNS上でお祝いを述べ、今月10日の歌壇賞授賞式では東京で席をともにした。しかし、この授賞式の場でリアルにお祝いを申し上げるといのが、何にも代え難いものだと「3年ぶり」の感慨を深くする機会であった。

冒頭に記したのは選考委員の先生方の講評の要点である。伊藤先生からは「幅広い仕事とご経験」の作者であることが紹介された。またこれまで多くの受賞者が牧水にあやかって酒呑みであるが、佐佐木幸綱先生は「昨夜は亡羊さんが酒を飲んで驚いた」と語った。さらには、アイディアのある方で短歌二行書きの工夫によって様々な読み手が違って読んでも構わない想像力を導き出す歌であると指摘した。また高野公彦先生は、語彙はやさしいがわかりにくい歌が多いと語り、上句下句の関係性をどう結びつけるか?に短歌の進化があるとも述べた。また栗木京子さんは、テーマ・文体、表記の面で攻めの歌集であると述べ、感情はリアルだが行動があって歌に輪郭があり現場があり包容力があるとも指摘した。これらの講評を受けて亡羊さんご自身は、作品を読んでくれたことへの感謝を述べ、「自分でもわからない」部分があるとも言う。「作品に自己表現はなく、そこに問いがある」という芸術作品の作者の思想も紹介し、「見る人がそこに参加する」ものだとも語った。

授賞式後の祝賀会では、伊藤一彦先生のご指名で僕もスピーチの機会を得た。宮崎日日新聞「牧水の明るさ」に名前入りで研究内容を紹介いただいたことに感謝を述べ、「牧水の朗誦性」に注視したことを受け、亡羊さんご自身の歌にはどんな「声」が描かれているかを語った。

かけていく子どもの声は遠く近く
風にちぎれて耳に咲く花

かと思えば、エロスを感じさせドキリとさせられる身体性に寄り添う次のような歌がある。

ほのぼのと真白きほとを洗いやる父と娘の一日
のおわり

二行書きは「虚構性」、一行書きは「私性」といった「あとがき」の記述が、さらに読者の謎を深めさせる仕掛けになっている。さらには「「花」という言葉とともに多い「石」という言葉。

にんげんの心は退化してゆけよ
石割れば石あたらしくなる

僕のような研究者の「石頭」を割れば「あたらしくなる」ことを教えられるようであった。
概ねこんなことをスピーチとした。

さらに宴席は重ねられ
最後は伊藤一彦先生と久永草太さんらと
ニシタチの夜まで亡羊さんとの語らいは続いた。


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ど真ん中ストレートー貴司くんの苦悩 #舞いあがれ

2023-02-21
編集者リュー北條
「ど真ん中、ストレート、投げるつもりで書けよ!」
彼自身も酔ってこそ言えたストレート助言

朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」は、先週の最後に結ばれた舞ちゃんと貴司くんが、めでたく結婚式を挙げた。舞ちゃんが亡き父・浩太さんに花嫁姿を報告するシーンには、これまでの苦労とともに掴んだ幸せが凝縮されているようだった。こうして幸せに至るまでに、先週の小欄に記してきたような貴司くんの短歌に向き合う苦悩があったドラマストーリーは誠に秀逸であった。「短歌ができない」ということそのものが、「伝えたい思いを伝えられない」ことと同質のように描かれたことは、「和歌短歌1300年」の歴史の上で穏当な位置づけであったといえる。「人の心」は言いたいことで溢れていて、その「種」が発芽して「さまざまな言の葉」になるのだと「古今集仮名序」に紀貫之は宣言した。「言いたいこと」を「訴え」気持ちを誰かに伝える、俵万智さんが「短歌は日記ではなく手紙です。」というのも誠に至言である。だが、人はなかなか心の底にある「種=思い」をストレートに表現して伝えることができない。それは恋心のみならず、貴司くんが「怖いんです」と言っていたことには、どこかで共感できるのだ。

休日の過ごし方を含めて、様々な場面に向き合い多様な「脳の使い方」をしているように我ながら思う。事務処理脳・研究脳・学生教育脳・協調脳・社会適応脳・夫婦脳・親子脳・友人脳・野球脳・音楽脳、そして短歌脳である。どれも使う脳の部分が違うのではないか?と思うこともしばしばで、ある脳を使っている際に他の分野の脳が気になると無性にムシャクシャしてしまうことがある。まさにドラマで貴司くんが短歌ができず、ノートに書いた一行をグシャグシャに鉛筆でかき消してしまうような気分である。限られた時間の中で、こうした多様な脳の力を常に適切に発揮するのは難しい。だからこそ仕事も私生活も、適切なメリハリをつけることが望まれるのだろう。そんな錯綜した己さえも、天からの視点をもって客観視できたらよい。ムシャクシャが思わぬLINEの連絡によってリフレッシュすることもある。要は「生きる」とは、混沌とした山登りなのかもしれない。歩みを止めて景色を眺めてもよい、多視点になることで救われることもあるのだから。

ど真ん中ストレートを投げる怖さ
それを超えるための言の葉を紡げ
「一瞬を永遠にするのが短歌やで」(舞ちゃん)


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家族写真と和服

2023-02-20
家族が笑顔で揃う嬉しさ
和服を着た時の凛々しさ
思わずユーミン「卒業写真」など聴きながら

21度と春らしい気温となった宮崎、日々思うのは日本代表キャンプがどうなっているか?ということ。その活気と待望の春が重ね合わさって宮崎の賑わいが創出されているような気がする。この日は、妻の姪っ子が成人式を1年先に控え記念写真を前撮りするという機会に加わった。昨今の「サブスク(定額使い放題)」流行の一端であろうか?本人家族のみならず、親族が加わっても「定額」ということらしい。妻と義母とともに店に行くと大泉洋さんに似た店主が笑顔で応対してくれて、既に姪っ子らの撮影を楽しそうに行なっていた。これもカメラがフィルムからデジタル化した影響なのだろう、硬い表情で細部までこだわるというよりは明るい雰囲気での撮影が何枚も重ねられる。機器の進化は「記念写真」の性質さえも変化させているようだ。

妻の甥っ子も大学卒業を控えコロナ禍にあって正式な成人式の機会がなく、今回ともに撮影できたのは良かった。僕自身はやはりこの2年間、新年会などで和服を着る機会もなく久しぶりに袖を通した和服の着心地が良い。祖母の手縫いの和服を着ると、凛々しい気持ちに時を刻む節目を実感する機会にもなる。それにしても写真撮影という時間が、こんなに楽しいものとは思わなかった。スマホで同時撮影ももちろんOK、その雰囲気と制約のない写真スタジオを存分に楽しんだ感覚だった。夜は馴染みの和食店で宴、刺身に添えて日本酒「黒龍」を注文すると、早咲きの河津桜の枝が氷の中に挿されていた。この趣向には思わず『枕草子』の「雪月花の時、最も君を憶ふ」とある一節を思い出した。家族がそれぞれを憶ふ機会、季節の花が添えられ春本番も間近な宮崎である。

車窓には一面の菜の花畑も素晴らしく
2月もはや、下旬となる
日本代表キャンプも第1クールが終了した。


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みんな相聞歌を詠もう!ー伝えたい思い #舞いあがれ

2023-02-19
恋の気持ちを相手に訴える短歌
お互いに消息を伝え合う歌で肉親・友人などの間の贈答の場合も
『万葉集』における和歌類別の一首

朝の連続テレビ小説では、主人公の舞ちゃんが歌人で幼馴染の貴司くんと思いを伝え合うことで結ばれるという幸福な場面までが前週に放映された。その過程で貴司くんの短歌に焦点が当てられ、また秋月史子というすこぶる短歌に詳しい恋のライバルが出現するという「物語」として目が離せない展開であった。また放映直後の「あさイチ」に貴司くん役の赤楚衛二さんが出演し、司会の華丸大吉さんが「俵万智さんがTwitterで貴司くん(とリュー北條に捧ぐ・tweetにはこうあり)へ事前に歌を詠んでくれて」と振ると、赤楚さんが「貴司の心ですね」と反応する場面もあった。まさにドラマ(物語)の中に短歌の奥深さが「本歌取り」という手法をまじえて埋め込まれ、その秋月史子と歌集編集者・リュー北條のやり取りから視聴者が理解していくという短歌関係者にとってありがたい展開であった。僕らも「(ドラマで史子が指摘する歌は)本歌取りかどうか?」と先輩の研究者と議論したり、現代短歌における「本歌取り」をどのような精度で評したらよいか?など考えさせられる内容であった。

驚いたのは、僕自身がこの「本歌取り」の件について「史子が本歌取りを指摘した回」である2月16日10時台に「#舞いあがれ」を付けてTweetしたものが、33件リツイート1件の引用、132いいね、エンゲージメント(ユーザーがツイートに反応した回数)666、インプレッション数(ツイートが表示された回数)は何と「15710」にも達したことだ。中には「専門家が議論するほど微妙な線を突いているなら『史子の1ミリ』としてVAR判定でセーフとしましょう」などリプライ(返信)でサッカーになぞらえたものまであった。何より「本歌取り」について、多くの一般の方々が考えてくれたことは和歌短歌研究者としてありがたい限りであった。(「本歌取り」の詳細については2/17付小欄に記載した)視聴者の多くは「何とか舞ちゃんと貴司くんとの恋が実って欲しい」と願って視ていたはずだ。結局は秋月史子が「君が行く」の短歌を「情熱的な恋心を詠んだ歌の本歌取りなんです」と舞ちゃんに伝えることで初めて、「短歌の読者が本歌を知っていて、その情趣を含めて思いを受け取る」ことができ相聞歌として成立したことになる。史子は表面には出ないが歌に詠まれた「貴司の舞に対する恋の情熱的な思い」に圧倒され、「本歌取り」に気づいた者として「恋のオウンゴール」を決める結果となる。たぶん多くの視聴者が、この週のドラマテーマ「伝えたい思い」を持って生きている。

「目を凝らす見えない星を見るように一生かけて君を知りたい」(梅津貴司)
相聞歌は恋人同士に限らない、親子・兄弟・友人など思いを伝えたい人へ
そう!ならばみなさん!ぜひあなたも相聞歌を詠んでみよう!


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