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寒さに強い身体ー筋肉を鍛える生活習慣トレーニング

2023-01-31
朝のコアトレ・ウォーキング
昼は職場での階段登り
夜は風呂前の自宅筋トレ

感染拡大3年目の春も近い。この間の大きな生活の変化として、トレーニングジムを辞めたことがあげられる。人生を振り返れば、大学卒業頃からジムの会員になっており、初任勤務校では運動部のためのジムやプールが整っていたので、常にトレーニングを継続することができていた。そのおかげで体重はほぼ学生時代と変わらず、歩行する力などは同年齢の人からするとかなりのものだと自負できる。だがこの丸3年間は、さすがにジム会員を辞めた。肝心なのはこうして途切れた時に、どのように対応するかであろう。「自宅」という「生活の場」でいかにトレーニングを続けるかが問われた3年間でもあった。小欄を執筆後は朝のトレーニング、大学での昼食後は構内の階段登り、そして夕食後に風呂の掃除をしつつできる範囲の筋トレをすることが習慣となった。市内のジムまで通っていた際は片道を車で30分、計1時間を要する。音楽を様々に聴けるという利点のみで、プライベートの時間に制約を受けていた印象もあった。

今年のような寒い冬であると、筋肉の多寡でその感じ方が異なると思う。かつて有酸素運動を優位にしていた頃は、(体脂肪が12%前後であったか)寒さが身に沁みた。だが現在は下半身をはじめ筋肉を保っているので、それほど寒さが応えることはない。1日1万歩の歩行量は、基礎代謝も上げてくれて身体の活性化に有効だ。そしてまた年齢とともに、あまりに過剰な激しい運動を控えたのも得策だと思っている。様々な健康記事を読むと、過剰な運動も身体に悪影響を与えるのだと云う。BMI(肥満率)も少なければ少ないほど良いわけではなく、「標準体重」よりやや多いあたり(25前後)が「死亡率」が少ないのだと云う。(ちなみに僕は現在「22」)要は適度な栄養を身体に蓄えつつ、常に筋肉を活性化し心肺も含め動き続けることが肝要なのだろう。最近は、中年層の癌の報告などもよく耳にする。トレーニングを特別なことと考えず、まずは日常生活の中に浸透させることが大切だろう。この3年間も身体を維持できたのは、こんな心得があってのことである。

こだわり過ぎず日々できることを積み上げる
自宅で風呂掃除などやるべきこととともに朝・夜の時間に組み入れる
Web上に様々なトレーニングメニューの手ほどきもある


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極端な気候が生存を脅かす

2023-01-30
地球温暖化がもたらす極端な寒さという矛盾
偏西風の蛇行を北極の解氷が助長していると云う説
寒暖差による心の面の不調を訴える声も

宮崎は南国で北国よりも恵まれている、とはいえ今年の寒さはやはり身に沁みる。少なくとも宮崎に自宅を構えて10年目となるが、水道管の凍結を心配し対策を取ったのは初めてである。TV報道でもトップニースにて、豪雪や寒さによる自動車の立ち往生や交通機関の乱れなどを報じることが珍しくなくなった。思えば真夏においては最高気温の報道がくり返されているわけで、我々は確実に「地球温暖化」のニュースを毎年のように重ねて受け止めていることになる。暑さ寒さの問題は日本に四季の観念が浸透し、いつかは「春(暖)・秋(涼)が来る」と待望する心があるためにむしろ「一時凌ぎをすればよい」と考えがちなのかもしれない。だが極端な寒暖差によって、人は心の面の不調をきたすのだと心理学での指摘もあると云う。

矛盾のようだが現在の際立った寒さは、「地球温暖化」の一現象であるらしい。概ねそんな予想はして小欄にも匂わすことは書いていた。この日に朝の報道番組を観ると、明らかにそれを指摘していた。本来は北極上空に留まるはずの強い寒気が、偏西風の蛇行の影響で日本付近まで南下してくるのだと云う。しかも北極の氷が溶けてしまうことが、偏西風の蛇行を助長しているという専門家の指摘を番組は紹介していた。確かに日本のみならず、この冬の立ち上がりは米国東海岸での極端な寒さが報じられていた。特に北半球の国々が、地球温暖化によって変質し「北極の寒さを被っている」状況が現在なのである。この気候変動は人間の生存を脅かし、まさに人類の存亡を危機に曝す大問題である。地球規模であるゆえにあらゆる国の連携・協力が不可欠である。ところがむしろ現在は地球温暖化を加速するともいわれる戦争が勃発し、各国が武器供与をするのみで終結への道筋は見えない。地球の「滅亡への時間時計」はあと「1分30秒」に迫ったのだと発表された。もう時間はない、地球を終わらせないために人類の叡智が試されている。

気候も感染症も人類への警告があるにもかかわらず
愚かで野蛮な諍いをしている場合ではないのだ
金持ちや横暴な指導者だけが生き残れる地球に未来はない。


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「話す」は「放す」ことでもある

2023-01-29
心の内に持つことは
誰かに帳面に短歌に「話す」
声や文字になった「心」は「解放」され自分の軸が定まってくる

珍しく仕事の予定がない週末を迎えた。冷える朝をややゆっくり寝て、時に身を任せるように過ごすのもたまには良い。昼過ぎから母と買物に出かけ、1週間分を目安に食材を調達する。母も至近のスーパーならば独りで買物に行けるのだが、やはり新鮮な野菜と精肉が購入できるスーパーを選んで行きたいという思いが強い。宮崎野菜と上質で良心的な値段の精肉などにより、自ら煮物などを作れる環境は、両親の健康を支えているように思う。正直なところコーラや甘い物を好む父の食生活には注文も多いが、それでも血液の状態が良いと医師に褒められたと云う。空気の良さのみならず、宮崎の生活環境は両親の健康長寿に大きな力を与えてくれている。

このような流れで、午後のひとときは暖かい陽射しが降り注ぐ自宅リビングで母とゆっくり話ができた。誰しもが年齢が上がるにつれて、先行きの不安がつきまとうのは当然であろう。過去の様々な岐路を思い返したりしつつ、現在の生活や今後のことなどあれこれと思いつくままに話す。「話す(はなす)」についてはよく短歌の座談などで、「放す」に通じる「やまとことば」であるという話題になることが多い。心の内に「不安」などがある場合、そのままにしておくと埃のように積もりに積もって自らの心身に不調さえきたしてしまう。ゆえに「放す」ために「声」や「文字」にして吐き出すのがよい。すると負のものはやがて「離す」ことに至り、心身が軽くなるものだ。良いものはいつまでも記憶に残り、次に進むための力になる。そういえば僕も中高時代に高価なノートに日記を書き続けていた。その際の「放す」は、どこか小欄の文章にも通ずる。そして論文・評論などの文章力として僕を支えてくれている。苦しい時こそ「放す」こと、さすれば必ずや光明が見えてくるはずだ。

夕食も両親とともに馴染みの洋食店へ
そして夜には著名な友人から宮崎来訪の連絡
1日中、「放す」ことで期待の新しい2月がやってくる。


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愛と残虐ーThe LEGEND&BUTTERFLY初日  #レジェバタ

2023-01-28
信長に抱く残虐なイメージ
濃姫と対立しながらも愛し続けた物語
権力を握った者の傲慢と孤独と・・・

東映70周年記念作品映画「The LEGEND&BUTTERFLY」が封切りとなり、珍しく初日のレイトショーに行ってみた。市内で夕食を済ませ、映画館の席は事前にWeb予約。最後列が好みなのでその中央で悠々と鑑賞することができた。話題を呼んだ作品の初日ではあるが、「レイトショー」であると混雑もしておらず料金も¥1300とお得だ。妻はかつてよくレイトショーを独りで観に来ていたのだと云う。金曜日の夜などは1週間の「疲れた」で終わってしまいがちであるが、こうした過ごし方は休日に向けて好ましい。封切りしたばかりなので、あまり映画の内容に触れることは控えねばなるまいが、「予告にある範囲」で語れそうなことを語ろう。織田信長に抱く我々のイメージは凝り固まっているようで、実はなかなか見えづらい。これまで大河ドラマで何人もの役者が信長を演じたが、果たして誰が一番腑に落ちるタイプなのだろうと思う。むしろ秀吉(竹中直人)や家康(津川雅彦)は概ね「こうである」というイメージがある。

この映画は、木村拓哉と綾瀬はるかという豪華キャスト。果たしてキムタクがどのような新しい信長像を見せてくれるか楽しみでもあり、綾瀬の毅然と侍立しつつ主張しそうなキャラとの関係性が楽しめる映画である。信長はどうしても残虐なイメージがあるのだが、果たして人間はどれほどまで残虐になれて、どれほどまでに愛を身に受け止められるのか?を考えさせられる。史実からすれば残虐に残虐を重ねた権力の暴走が、やがて家臣から夜襲(本能寺の変)を受けるという悲劇の最期となる。「天下を取る」とはどういうことなのか?信長の言動の多くを秀吉・家康は学んだのだろう。家康がようやく「いくさのない愛に溢れた平穏な時代を築く」ことになる。だがしかし、果たして信長に「愛」は無かったのか?徳川幕府が採った鎖国政策とは真逆の「異国文化好み」の好奇心は、もしかするとその後の日本に大きな進展をもたらせたかもしれない。しかしやはり人を愛することに従順でなければ、一番の「忠臣」に命を取られるという結果となる。「愛憎」というように愛と憎しみは表裏一体であり、現代でも起きている様々な残虐の悲劇はその表われである。こうした映画を契機に、歴史から個々人が多様なことを学ぶべきなのだろう。

「喧嘩するほど仲がいい」
権力者の暴走はいつの時代も己の思うがままを通して急襲される
平和な社会を築くには「愛」が不可欠だと誰もが知っているはずなのであるが・・・


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「ねばならない」から抜け出そう

2023-01-27
「学校」で言われる「・・・ねばならない」
「多様性」と言いながら「横並び」と「空気」の社会を作る
やりたいこと言いたいことをやって個性が光る社会へ

「主体性」は、現在の学習指導要領でも筆頭に求めている個々人の多様性ある資質である。OECD(経済協力開発機構)の「PISA」と呼ばれる学力調査で、2000年代になってから、「読解力」など日本の子どもたちの世界における学力の低下が大きく問題視されてきた。その結果、現在の共通テストのような形式となるなど「対策」を講じたがゆえに「読解力はV字回復をした」などとメディアなども報じる時期もあった。だが真にこの20年間ほどで、日本の子どもたちの学力は回復したのだろうか?日頃から問題に感じるのは、「対策」を取ったから「テスト」では一定の成果を上げるが、個人の資質・能力を真に開発しているのかという点である。昨今でも「全国学力テスト」の過去問を授業で実施するなど、「対策」を実行していた学校があったと報じられた。「テスト」とは、あくまで日頃の学習成果を測るものさしであるはずだが。

学力以上に、いつも僕が問題に思うのは「主体性」である。子どもたちは「対策」を「やらされて」いる。やりたくなくとも「・・・ねばならぬ」と学校で強制される。その図式は私立中学校受験などでも同様で、真に「子どもたちがやりたい」ことなのかどうか?甚だ疑問である。いつしか「ねばならぬ」受験対策に翻弄され自らの興味や関心のある学びをすることから遠ざかる。もとより多様性と言いながら「学校」という制度の中では「ねばならない」が多過ぎる。「国語」において考えても、「音読」「漢字」「感想文」「暗唱」「鑑賞文」などあらゆるものが「ねばならない」ものとして強制されるので、主体的に自らの興味関心を活かした選択の学びにはならない。人間は往々にして「ねばならない」と強制されたり、「空気」に支配されるとそれに反抗したくなるものだ。「国語」の「音読嫌い」「感想文嫌い」はこうした点に起因すると思われ、決して教材そのものが嫌なわけではない。大学となればより主体性ある個々人の選択を尊重し、広く大きな視野で将来を見据えた学びを選びとってもらいたいと思う。学生たちはその特権ゆえに、もっと自由でよいのだなどと昨今は強く実感する機会は多い。

自らがワクワクするものを選び取る
心が燃える自然と向き合えるものは何か?
この3年間で社会に「ねばならない」が増えたが、今こそ自らの頭で考えたい。


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「寒いね」と答える人のいるー群読・朗読・音読の使い方

2023-01-26
「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」(俵万智)
声で学ぶことで生まれる「あたたかさ」恋の歌を考える「あたたかさ」
そして、群読・朗読(劇)・音読の使い方のことなど

宮崎市最低気温マイナス3度、日中の最高気温5度。さすがに南国宮崎でも厳しい寒さに見舞われた1日。素人の勝手な考えであるが、地球温暖化が進行することでむしろ異常な寒波が冬の北半球を覆っているような印象である。朝からついつい「あたたかさ」を求めてしまう気温であったが、思わず俵万智さんの冒頭に記した歌の奥深さが感じられてくる。仕方ないながらあまりの寒さに「寒い!」と声に出せば、呼応して「寒いね!」と言ってくれる人が傍にいてくれてこそ「あたたかさ」が得られるものだ。この日は寒いながら多くの「声」に触れて「あたたかさ」を得られた。小学生を対象とする模擬授業を行う学生たちの希望に満ちた「声」、「短歌のリズムに気づく」という目標の授業は熱を帯びていた。また「恋歌」ばかりを8首の資料から、1首を選んで「いいね」の要点を「声」で述べる講義では、熱い恋心が学生たちの心の中に踊ったことだろう。いずれにしても短歌は人に「あたたかさ」をもたらせてくれるものだ。

昼食は馴染みのうどん屋さんへ。天ぷらとおにぎりがセットになる「生姜葱うどん」を注文。ふんだんに盛られた生姜が別添えで来るのが嬉しい。もちろん全てをうどんの中に入れて食すと、生姜の暖め効果は抜群。「(あまりに寒いので)朝からお宅のうどんをと思っていました!」と奥様に言うと「温まりましたね!」と嬉しそうな笑顔をくれた。うどん屋さんはありがたき「あたたかさ」を人々に提供している。その後、附属中学校で研究授業。『走れメロス』の群読を実践するというので、これは僕の得意分野と期待して教室へ。小説全体から「問い」を立て、自ら探究し見解をプレゼンしつつ、その根拠となる群読を披露するという授業内容。僕自身は中学校教員の頃から、「朗読劇」という方向性を展開し考察してきたが、この日の授業では「多様な声の使い方」を選択して実践することの大切さを学んだ。「小説」の読みは多様であるべきだが、「声の使い方」も同様である。「音読」で論理を感じさせるように読む、小説場面を動画再生のように挿入する朗読劇として読む、なぜ複数人で声を寄せ合う「群読」をするのか?その実践自体を押し付けず、学習者が自ら考えて選択することが大切であろう。「声」の「あたたかさ」の中で実に学びの多い1日であった。

帰宅して牛しゃぶ鍋
格別なあたたかさだが、再び夜は気温が氷点下まで
「寒い」ことがむしろ「あたたかさ」が貴重であることを自然は教えてくれる。


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「か・ち・も・な・い」を心に留めてー寒気襲来も情報をどう読むか

2023-01-25
「か」=「かいたのは誰?」「ち」=「ちがいは何か?」「も」=「もとネタは何か?」
「な」=「なんのためか?」「い」=「いつの情報か?」
ネット記事を読むときに気をつける要点5つ

「10年に1度程度の低温」そんな言い方を気象庁が発表するのだろう、特にNHKの天気予報で盛んに喧伝されている。確かに昨日は朝の気温から風が吹くことで次第に気温が低下していく1日であった。「九州地方の平野部でも雪に見舞われ」と云うが、どうやら宮崎の平野部だけは例外なのだろう。ただチラチラと舞い散るものを、大学に向かう坂道で感じたのも確かだ。夕刻に帰宅する際は既に、スマートウォッチの温度計は「氷点下表示」になっていた。帰宅後は暖房をつけ主要な部屋の雨戸を閉めて家を寒さから守るようにした。就寝前は自宅水道管の配線を考えて、2系統の蛇口からチョロチョロと水を出しっ放しにしておいた。自宅の屋根には太陽光温水器があるのだが、夜に風呂に入れようとすると既に蛇口から水が少量しか出ず、しばらくすると氷のような固体が流れ出て、その後にぬるい温水が出るようになった。こちらも一晩、少しずつ水を出しっ放しにすることで保全できたようである。今のところ、自宅の水道管に問題はなく朝を迎えている。

前述のような対処法は一部のTVでも報じられていたが、最後は自らの頭で考えて実行した。特に溢れかえるネット情報は、どれを選別しどれが適切か?を判断することに気を留める時代だ。この日の昼休み、ネットでNHKEテレ「今日の健康」を観た。すると病気(癌)の治療情報などについての見極め方を特集していた。「癌治療」の場合は命に直接に関わる問題であり、情報の精査をしないと大変な目に遭うかもしれない。だがこうした命に関わる情報であっても、ネット上には信頼できないものが8割9割なのだと云われていた。冒頭に記したのは、ネット情報を読む際の心得だそうだ。「癌治療情報」に限らず、勝手にスマホに表示される芸能記事などを読む際にも心得ておきたいものだ。検索をして上位に表示される情報は、多くが病院・クリニックが対価を支払って掲載する有料広告なのだと云う。こうした情報に惑わされぬように、「かちもない」を心得るとよいと云うこと。ネット記事は常に誰かの立場で、他に特化して、何らかの元ネタに発し、何らかの目的で書かれている。書き手に騙そうとする思惑があれば、巧みな表現を多用する。誰もがスマホの情報を見られる時代、ゆえに心得を持って情報に接することを忘れてはならないだろう。

果たして「10年に1度」に我々はどう対応したらよいのだろう?
自らの命は自らで護る、生き物としての本能も衰えていまいか?
何事も自らの頭で考えることを忘れてはなるまい。


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この手紙赤き切手をはるにさへー郵便事情と牧水のときめき

2023-01-24
「この手紙赤き切手をはるにさへこころときめく哀しきゆふべ」
(若山牧水『別離』より)
手紙・葉書を出すことの幸福

スマホ全盛の時代にあって、手紙や葉書を出すことはさらに貴重な思いが増すようになった。即座に相手にメッセージが届くわけでもなく時間差があり、いつ届いたかもわからない。SNSであれば「既読」かどうか?と相手が受け止めたどうかがいつでもわかるのと比べ、使用率が下がるのも無理はないのかもしれない。だがその時間差とか届いたかどうかを想像することが、むしろ豊かな心にさせてくれることも少なくない。今年は年賀状の販売数も大幅に落ち込んだと聞いたが、この物理的な1枚が届く感覚は他に代え難き思いを持つ。さらには郵便の配達事情が、著しく悪化している。週末の配達はなし、ゆえに土日を挟んで宮崎から東京などは下手をすると5日ぐらいは要するのではないか?前述したSNSへの皮肉なのか、民営化したにも関わらず郵政会社の怠慢なのか、使用する判断に困惑することも少なくない。荷物などは民間宅配業者が希望配達時間に忠実なのに比べ指定外での配達も目立つなど、その基礎体力の差も目立つようになった。

さて、冒頭に記したのは牧水の第三歌集『別離』にある歌。自らの「手紙」に「赤き切手」を貼るという行為に「こころときめく」としている。たぶん最愛の恋人への「手紙」ということなのだろう。しかし「ときめく」と言いながら、結句では「哀しきゆふべ」と反転するような思いに着地している。恋人への募る想いとともに、「この手紙」をどのように受け止めてくれるか?という行き場のない恋心が「哀しき」につながるのであろう。それにしても現代にして切手のデザインも豊富であるが、明治時代にあっても「赤い切手」を選ぼうとする牧水の洒落た思いも読み取れる。前述した郵便事情が影響し、毎月の短歌結社への歌原稿の郵送も投函日を早くせよと促されるようになった。この日にSNSを見ていると、「新幹線」のデザイン切手を貼れば「早く着く」との洒落に満ちた投稿もあった。結社への短歌を送る方法が、手書き歌稿に郵送というのも深い思いが重ねられてワクワク感に満ちている。届いたかどうか?は3ヶ月先の結社誌に自らの短歌が掲載されるのを確認するまでわからない。自らの短歌が「読まれる」のにこれほどの時間を要し、「ときめく」時間があるのも粋なものだと思っている。

SNSメッセージの手軽さ
手紙文を物理的に手にする重厚さ
「ときめき」を失わずに他者との交流を楽しみたいものだ。


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群読フェスティバルーワークショップその1

2023-01-23
「感情」と「動作」
「演劇は関係性の芸術」
複層的に関係が連携し人は自らを表現する

前日の公開講座の余韻が冷めやらぬ中、日曜日ながら附属図書館で標記のワークショップが開催された。この事業は「令和4年度ひなたの文化活動推進事業採択」の企画で最終的に2月12日(日)に宮崎大学まちなかキャンパスにおいて「声でつながるフェスティバル」を開催予定となっている。もとより僕の講義で「群読」の〈教室〉での効用を学んだ学生の一人が、学部コースにおいては僕のゼミ生ではないが、自主的にゼミにも参加し学内朗読会などを経験し今回の企画を県に申請して実現したものである。ゼミにおいてもそうだが、学生時代に「お勉強」以外の分野で諸々の経験をすることは大変に貴重である。特に「教育」以外の世界の人々と関わり、社会性を学んでこそ一人前の「教師」になれるものと考えている。こうした意味で4年生で卒論も忙しい中、この企画を進めてきた学生の代表者には今後も大きな期待をもつことができる。

さてこの日のワークショップには、懇意にするアナウンサーで劇団ゼロQ代表の前田晶子さんをお迎えした。語ること、そして身体表現をすること、その魅力を自ら経験的に助言いただける機会として貴重だ。前田さんは「教えるのではなく一緒に楽しく気づきましょう」といった趣旨のことを冒頭挨拶で語り、参加者・スタッフとの親密さも抜群にワークショップが進められた。「感情カード」「動作カード」の2枚を引き、二人の会話を表現する。決して「感情」と「動作」が一致するとは限らず、微妙な表現になることもしばしば。その複層的な機微によって、人は他社に複雑な気持ちを伝えている。同時に「感情」も一つの正解があるわけではなく、「辛いけど楽しい」とか「悲しいながらの喜び」など反転したり交錯したりするものと気づく。最後に「草野心平」の「おれも眠ろう」を三人一組で群読し、グループごとの多彩な読みに実に多くの発見がある機会となった。参加者とともに4時間があっという間に過ぎ去り、次回のワークショップに向けて声の連携の輪ができた。

次回2月5日(日)宮崎大学附属図書館にて
学生さんをはじめ一般参加者らの出逢いの場としても
やはり「群読は人をつなぐ」朗読を考え始めて20年目の境地である。


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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第2章「孤独と別離」その4

2023-01-22
「草ふかき富士の裾野をゆく汽車のその食堂の朝の葡萄酒」
「離れたる愛のかへるを待つごときこの寂しさの咒(のろ)ふべきかな」
「春白昼(まひる)ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり」
(牧水第三歌集『別離』より)

今年度公開講座も最終回となった。前期4回・後期4回と合計8回を、ゲスト講師に伊藤一彦先生をお迎えして(伊藤先生は所用で11月は欠席)開催することができた。今日本で考えられる一番贅沢な「若山牧水の読み」ができる機会であろう。8回の講座で第一歌集『海の聲』第二歌集『独り歌へる』そして今回は第三歌集『別離』までを読むことができた。『別離』は明治43年4月10日刊行で総歌数1004首新作133首、多くは『海の聲』と『独り歌へる』の再録歌が多い。だが第一・第二歌集が宣伝も行き届かず発行部数も少なく、ほとんど歌壇に知られなかった。しかし第三歌集は詩歌専門出版社である東雲堂の発行で、同出版社の詩歌総合雑誌『創作』の編集も牧水に任されていたことで大ベストセラーとなった。早稲田大学周辺の書店でも平積みの山が顕著に減り、どれだけ再版したかわからないほどの売れ行きであったと云う。しかも当時の若い人たちの間で盛んに読まれ、青春恋愛歌人として歌壇での地位を牧水が得た初めての歌集であった。

明治43年というのは、牧水と同年代の歌人たちの歌集出版が相次いだ年である。現在も「短歌ブーム」と言われているが、明治期に出版文化がようやく隆盛となり多くの人が短歌に親しみ出した近現代の始発といっても過言ではない。この日の講座では伊藤先生と僕とで10首ずつ歌を選び、受講者にもそこから各1首ずつを選んでもらいコメントをいただきながらの対話を展開した。僕は特に「葡萄酒」を詠んだ歌を3首、また「白鳥」を詠んだ歌を2首、そして『別離』という歌集名からもわかるように、「哀し」「寂し」が含まれる歌を選んだ。また「この少年にくちづけをする」という歌も選んだが、伊藤先生も再発見だと仰っていた。「葡萄酒」や「汽車の食堂」が当時どのようであったかは、かつてMRTラジオが「都農ワイン」を特集した際に調べた内容があると伊藤先生の弁。「上野精養軒」が営業し牧水の歌通り「葡萄酒」が出されたのだとすると、明治ハイカラな洋食が振る舞われたのであろうか。また伊藤先生が選ばれた歌は、あらためて自然に向き合う牧水の視点が鮮やかで、「秋くさ」「落葉」「栗」などの比喩から「別離」の情を深く読み取ることができた。冒頭に挙げた3首の3番目は、歌集巻末の歌。「ここの港に寄りもせず」という船の描写は、「春白昼」の気怠さと相まって牧水の恋愛の結末を思わせる。されど、恋人・小枝子への未練は簡単には断ち切れないことは、歌の中からも深く読み取れる。諸問題も勃発し歌集が好調なのに反して、牧水は心身ともに疲弊するということを併せて考えることができた。

終了後は伊藤先生と年間を通して受講してくれた方々と
牧水が苦労の末に歌壇で認められるようになった物語り
次年度も開催頻度は調整しつつ伊藤先生とともに講座を継続しようと思っている。


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