生徒・学生の方を向いているといふこと
2022-12-27
初任の高校に勤務した時「生徒の方を向いている先生」と言ってくれた先輩教員
向き合う心なくして自らの心も見えない
クリスマスが終わると、一気に年末モードになる日本社会。「もういくつ寝るとお正月」と言うための狼煙(のろし)が日本のクリスマスともいえよう。講義は先週で終わっている大学に行くと閑かな佇まい、〆切原稿1本といくつかの残務を集中して終わらたいと思っていた。だが今月21日付小欄に記したように、この時期は「卒論」の追い込み時期である。学部の最終〆切は1月末日だが、ゼミでは「仮提出」を毎年「成人の日」明けに設定している。あと2週間というこの時期にあって、凝り固まった頭をほぐす必要のある学生がいる。というわけで、オンラインを活用して午前中にゼミ生1名の卒論に対する「対話時間」を設けた。本来なら自らの仕事を集中して終わらせるとも考えたくなるが、学生の要望には極力応えたいと思っている。「対話」の時間を進めると次第に自らがこのクリスマスに考えていたことと重なる点が炙り出され、日本の近現代社会における「アイデンティティ(自己同一性・この用語の翻訳自体に大きな問題を孕む)」の問題について興味深く話している自分がいた。学生にはいつも教えられる、と考えるのが教員としての学びだ。
午後にはゼミ卒業生が帰省し「夏に出産した赤児を見せたい」と家を訪ねてくれた。昼食がてらいったん帰宅し、彼女を出迎えた。年末の予定としてこの日しか合う日がないこともあったが、1時間でも再会の時間を取ることが大切なのではないかと思った。「教員」としての最上の喜びは、卒業生が立派に活き活きと生きている姿を見ることだ。この日もすっかり「お母さん」になった彼女の姿に、大きな元気をもらった。再び大学に戻り事務関係にご挨拶もして、原稿の最終仕上げに入る。午前・午後と時間を限定したことで、むしろ原稿の執筆具合は良好となった。我欲ばかりで「この日は自分の時間」などと思うと、むしろダラダラと頭が凝り固まることもある。学生・卒業生に元気をもらい、集中モードを作るのがむしろ得策だった。冒頭に記したように、初任校に勤務した際に採用面接から担当してくれた国語科の先生が「生徒の方を向いている」という賛辞を僕に送ってくれたことがある。考えてみれば、その先生も「生徒」や「後輩教員」の方を向いてくれていたのだ。その先生が「教員1年目」にして僕の目指す目標でもあった。既に鬼籍に入られたと聞くが、あらためてこの日は先生のことを思い出した。こうして「教員が後輩や生徒の方を向く」という姿勢が、受け継がれていくのだ。少なくとも僕は今、「教員養成」の最前線にいる。この大切な「リレー」のバトンを、次の世代に確実に渡さなければならない。
今この時を生きて
日々に向き合う人々からいただくちからがある
生徒・学生の方を向かなくして、どうして自分なりの短歌ができようか。
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