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この時季が来るとー卒論に向き合うこと

2022-12-21
12月19日・20日学生時代の卒論提出日
非常勤時代に指導した熱心な学生たちと
現勤務校で指導してきた10年間の学生たち

12月20日という時節になると、どうしても「卒論」に向き合う自分がいる。大学1年のこの時季、忘れることのできない出来事があり僕の中に「卒論という壁」が刻み込まれた。何をどのくらい書けばよいのか?完成までにどれほど苦しいものか?未だ大学で学びはじめて8ヶ月しか経たない頃ながら、様々な妄想が僕の中で渦巻き始めた。不安が大きい反面、当時から研究者を志向していたこともあり楽しみに感じる面も少なくなかった。自分が自由にテーマを選択し、自由に調査を進め書き上げる達成感を想像しワクワクしている自分がいたわけである。ゴールを意識したことで様々な先生へアプローチを頻繁に行うようになり、研究室などを訪ねる機会も増えた。3年後の自分の苦闘と達成に希望を見出したわけである。案の定、大詰めを迎えた4年生のこの時季はかなり苦しかった。当時はまだパソコンではなく、全てが手書き原稿。既に400字詰250枚ほど下書きを書き上げていたが、その清書には半端がなく苦労しペンだこの指を癒しつつ三日三晩寝ないで仕上げたことが、今では良き思い出となって刻まれている。

文学を志す者にとって、まとまった論を書く経験というのは貴重である。再び「卒論」と出逢うのは大学院後期課程が満期になった次年度、指導教授の急逝に直面し先生が担当していた卒論ゼミの学生たちを僕が非常勤として代講で担当することになった。彼らは平安朝物語・日記に対して並々ならぬ情熱があり、自分たちで熱い議論を毎週くり返していた。この時季の提出に際しても最後まで指導を乞う者もあり、その熱心さに打たれて大学教員になりたい思いが募った。それから5年、僕はその志を遂げることになり現勤務校の専任准教授に採用された。初年次から3年生のゼミを担当することになり早速、卒論に向けて学生への指導を始めた。前述したような思いが強いため「卒論」に向き合う姿勢においては、妥協を許したくない思いが強い。早めに自ら進めて仕上げる者もいれば、背中を常々押さないと進まない者もいる。向き合う姿勢は様々であり、そのあり様が学生そのものの性質や資質を顕著に表わしている面白さを知った。この日もまた「仮提出」前の最後のゼミ、現況の仕上がり具合には個性がある。「ゼミ仮提出」まであと20日、一生に一度ぐらいはクリスマスも暮れも正月もない経験をするのも悪いものではない。

「卒論」に向き合う力こそが
教師になってからの自信と資質に大きく影響する
人生には自らの力で越えるべき壁がいくつかあるものだ。


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