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海鳴り地響き「狐の裁判」

2022-12-18
夢か現か地響きのような音の後に
突き上げるような揺れに襲われる
夢の世界では動物たちが裁判沙汰にも

午前3時06分、防災速報の表示がスマホに残っている。日向灘震源による震度4の地震が、宮崎南部平野部を中心に地を揺らした。深夜ですっかり寝入っていたが、夢か現か地響きのような音を揺れの直前に聞いたのは、僕だけだろうか?海から約3.7Kmほどの高台に住んでいるもので、日常から「海鳴り」と呼べばいいのか、「海の声」を寝床でよく耳にしている。子どもの頃から寝床で「取り囲まれている世界の音」を聞くことを意識していたが、宮崎に住むようになってさらに鋭敏に自然の呼吸のような音を聞いている。ある意味でこうした感覚を研ぎ澄ますと、人間でも地震予知ができそうな気にもなってくる。「夢か現か」という感覚は、寝呆けるということではなく、普段は自覚しない動物的な感覚を味わう境界に入ることができているのかもしれない。地震の後に再び寝入ると、仙台にいる夢を見た。東北地方の海溝型地震と呼応するかのような感覚。まさに動物的な察知逃避行動なのかもしれない。

前日の宵のうち、劇団ゼロQ第26回公演「狐の裁判」を観た。ゲーテ作・樋口紅陽訳をゼロQの原口奈々が潤色した作品である。悪知恵狐ライネッケが、獣王である獅子のもとで東西南北から集まった鳥や獣との間で裁判沙汰になる物語である。古今東西、「狐」という動物は「ズル賢い」という性情を帯びている。人間が長い年月の間に捉えてきた、動物に対する洞察の傾向を思う。動物間のそれぞれの行動というのは、人間にとって忘れられた真実を伝えてくれるものだろう。ゲーテが、子どもにも理解できるように書いたであろうことも容易に想像できる。日本の教科書でも、小学校中学年ぐらいまでは「動物」が主人公の物語が多い。「いたずらな小狐」と思われている「ごん」が「兵十」と心を交わす物語は、双方の「償いの物語」として循環的な作用を我々に感じさせる。SDGsが叫ばれる今、人間の強欲でこれまでに絶滅してしまった動物の存在を思う。やっと動物としての人間が滅びるかもしれない、ということにこれほど近現代科学を駆使してようやく気付き始めた愚かな動物が人間に他ならない。裁判という場で公正に解決するのではなく、今でも傲慢に我欲が蔓延る世界情勢は、たぶんこの地球を滅ぼしてしまうかもしれない。せめてゲーテ作の芝居を観て、僕たちは動物と親和性をもって同化する意識を持つべきではないだろうか。

人間と人間が争い滅ぼし合う愚かさ
自らが動物であることを忘れたことを裁かれるかも
自然の声に耳を傾けて生きていたいものだ。


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