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タイムラインを捕まえる

2022-12-09
Twitterという常に過ぎ去る時間の流れ
偶然にも目についたTweetにありがたき機会が
ご当人にすぐさま直接連絡しいただいた返信の嬉しさ

小欄を書き綴り始めて13年目、ほぼ同時期にTwitterも開始し本投稿は自動連携でタイムラインに掲載される設定になっている。少し遅れてFacebookを開始し、承認した友人のみであるが相互に日々の気づきとして有効に機能しているように思う。どの媒介も「せねばならない」と義務的になることはなく、小欄とて起床後の脳を試したいだけの副交感神経的というか緩いモチベーションゆえに長く続いているともいえる。Twitterはフォロワーのタイムラインゆえに自ずと偏りがあるのだが、それゆえに自分の考える傾向を有効に支援してくれることもある。しかも小欄の連携のみが定時に投稿されるので、読まれる範囲も限定的かもしれない。その偶有性の中にあってフォローしている人たちの投稿に出逢うのも極めて偶然であり、その「引きの強さ」が試されるようにも思っている。Facebookについては「・・年前の思い出」が表示されるので、当該の出来事からの時間経過を強烈に意識できるSNSとして重要だと考えている。

この日は、まさにTwitterのある投稿に出逢った。その時その投稿を偶然に見なかったならば、起こさなかった行動がある。旧来からの友人が公演中であることを知ったので、急遽チケットを求めてみると「あと7枚」のみ残席があった。迷わずWeb上からチケットを申込み、当日受付支払いで予約確保。その後は大変なご無沙汰を詫びつつ、ご本人にDMをお送りしてみた。すると嬉しいことに、すぐに返信があって僕が訪れることを大変に喜んでくれた。事前に予定していてもなかなか行けない場合も多い中で、まさに前日における偶有性に満ちた稀有な展開だった。思えば友人の舞台に伺ったのは、2018年と自らの写真で確認できた。3年近くのコロナ禍にあってこうして機会が減少し、なかなか伺えないものがあるということだ。それにしてもよくぞタイムラインに目が停まった、そしてよくぞ今日の公演に残席があったと思う。(土日の公演に関しては完売になっているのが確認できた。)恐らく、この偶有性は何か大きな意味があるのではないかと思っている。

SNSで可視化されているだけで
実は人間の行動は偶有性に満ちているのであろう
「今ここにある今日」をいかに生きるかを深く考えている。


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