文学的表現と社会包摂ー生きづらさを超えていく言葉
2022-12-07
宮崎出身・故フジマル@ヒデミさんの遺志を継ぎ詩集を出版した前原本光さんをお迎えして
宮崎に響いた「声」に僕たちはどのように向き合うのか
僕が今ここで発した「声」は、誰にどこまでどのように響き共感を得たり、反発を買ったりしているのだろう?デジタルでPC上に「文字」を打ち込むことが多くなった昨今、言霊なき説明的で意図さえもわからない空洞な言葉が世の中に溢れかえっている。だが「ことば」は元来が「声」であり世界でその場にしかない「一過性・一回性」であるとともに、「永遠」を孕んだ存在ではないだろうか。「今此処」の偶然の空間を逃さずに捉えてこそ、「永遠」へ「ことば」は歩み始めるのかもしれない。そんな「ことば」を生きた証として遺したい、この意志を持ったものが「詩歌人」というわけだ。「今此処」で生きている存在そのものを賭して、自らの「声」を刻み付けていく。「文字」にして決して安心すること勿れ、それがただの印刷インクの吹き付けになるのを待つのではなく「声」として響き続ける「ことば」にしていく意志が大切だ。
アーツカウンシルみやざき主催の標題をテーマとした「語り場」に、県庁近くの「クスナミキギャラリー」まで出向いた。ゼミを終えてからの訪問であったので、開始時間には遅れたが冒頭に記した前原さんを始め、様々な分野の方々が集っていた。僕に話す機会が回ってきたので、概ね前半に記したようなことを語った。世界情勢を背景に「生きづらさ」を増す社会の中で、僕たちは「ことば」とどのように向き合って行ったらいいだろう。この日に宮崎日日新聞の記事となった「砂浜短歌」を主催した宮大短歌会の学生さんも参加したが、「ことばの永遠性」を考えるがために、むしろ「波に消される」という「今此処」を選び取ったことの意義が炙り出される。人類史や宇宙史の中でいえば、ほんの「瞬き」に過ぎない僕ら一人ひとりの「ことば」。「波」に象徴されるように、自然は容赦なく僕たちの「ことば」を次から次へと消し去るだろう。この社会はデジタルの全能感に溺れて、いつしか「今此処」の「ことば」を疎かにするようになってしまった。せめて宮崎というささやかで穏やかで静かな「今此処」では、僕ら「一人ひとり」の「声」が響くように耳を傾ける場があってもよいだろう。
「生きづらさ」は「声」にして超えてゆける
若山牧水もまた短歌に書簡に随想に記して苦悶を超えたものを僕らは読んでいる
あなたの小さな「声」こそが文学表現であり社会に包摂されているのだから。
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