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この時季が来るとー卒論に向き合うこと

2022-12-21
12月19日・20日学生時代の卒論提出日
非常勤時代に指導した熱心な学生たちと
現勤務校で指導してきた10年間の学生たち

12月20日という時節になると、どうしても「卒論」に向き合う自分がいる。大学1年のこの時季、忘れることのできない出来事があり僕の中に「卒論という壁」が刻み込まれた。何をどのくらい書けばよいのか?完成までにどれほど苦しいものか?未だ大学で学びはじめて8ヶ月しか経たない頃ながら、様々な妄想が僕の中で渦巻き始めた。不安が大きい反面、当時から研究者を志向していたこともあり楽しみに感じる面も少なくなかった。自分が自由にテーマを選択し、自由に調査を進め書き上げる達成感を想像しワクワクしている自分がいたわけである。ゴールを意識したことで様々な先生へアプローチを頻繁に行うようになり、研究室などを訪ねる機会も増えた。3年後の自分の苦闘と達成に希望を見出したわけである。案の定、大詰めを迎えた4年生のこの時季はかなり苦しかった。当時はまだパソコンではなく、全てが手書き原稿。既に400字詰250枚ほど下書きを書き上げていたが、その清書には半端がなく苦労しペンだこの指を癒しつつ三日三晩寝ないで仕上げたことが、今では良き思い出となって刻まれている。

文学を志す者にとって、まとまった論を書く経験というのは貴重である。再び「卒論」と出逢うのは大学院後期課程が満期になった次年度、指導教授の急逝に直面し先生が担当していた卒論ゼミの学生たちを僕が非常勤として代講で担当することになった。彼らは平安朝物語・日記に対して並々ならぬ情熱があり、自分たちで熱い議論を毎週くり返していた。この時季の提出に際しても最後まで指導を乞う者もあり、その熱心さに打たれて大学教員になりたい思いが募った。それから5年、僕はその志を遂げることになり現勤務校の専任准教授に採用された。初年次から3年生のゼミを担当することになり早速、卒論に向けて学生への指導を始めた。前述したような思いが強いため「卒論」に向き合う姿勢においては、妥協を許したくない思いが強い。早めに自ら進めて仕上げる者もいれば、背中を常々押さないと進まない者もいる。向き合う姿勢は様々であり、そのあり様が学生そのものの性質や資質を顕著に表わしている面白さを知った。この日もまた「仮提出」前の最後のゼミ、現況の仕上がり具合には個性がある。「ゼミ仮提出」まであと20日、一生に一度ぐらいはクリスマスも暮れも正月もない経験をするのも悪いものではない。

「卒論」に向き合う力こそが
教師になってからの自信と資質に大きく影響する
人生には自らの力で越えるべき壁がいくつかあるものだ。


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テーマ詠「サンタ」ー宮崎大学短歌会12月歌会

2022-12-20
「サンタっているんでしょうか?」
幼き日の幻と愛と現実と
いつしか「煙突」などは描かれなくなったのか?

宮崎大学短歌会12月例会、今月は諸々と忙しい者も多いということで歌会は1回のみの開催。テーマ詠は「サンタ」であった。敢えて「クリスマス」ではなく「サンタ」に焦点化されることで、現代の学生たちの「サンタ観」が表現され興味深い歌が並んだ。出詠10首、参加8名、卒会生が遠方から出詠やコメントも寄せてくれたのもありがたかった。素材の多くは幼少の頃から「サンタクロースをいかに信じていたか?」に取材したものが多く、歌会の席上でも「何歳まで信じていたか?」という問いが投げ掛けられたりもした。また「お父さん」がサンタに扮したり、中にはファーストフードの看板となる創業者の像がサンタに扮することを洒落を込めて詠む歌もあった。また「サンタ」を描くことで「クリスマスイブ」の光景が浮かぶ歌も多く、少なくとも77年間は「平和」であるこの国の「クリスマス」のあり方が表現された気もする。

「サンタをいつまで信じていたか?」という問いから、現代の世代間が浮き彫りになった面もある。Web環境が幼少の頃から使用できる現在、あらゆる情報がWeb上にあることで早期に「現実」を知ってしまう可能性も否めない。僕は敢えて昨年のイブに刊行した著書にも書いた「詩と愛とロマンス」こそが「サンタ」への思いとして大切なのではという発言もした。僕の世代であると明らかに「サンタ」は、絵本や紙芝居から感じ取る「愛とロマンス」であった。幼稚園の際に「マッチ売りの少女」をはじめ、紙芝居から得られた「愛の物語」があったからこそ温かく生きて来られたようにも思う。一方で著書でテーマとした「日本にとってクリスマスとは何か?」という命題も大きく背負って近現代154年間が過ぎた。出詠歌の中には「商業主義」を批評的に捉えたものもあり、このテーマ詠の本質をあらためて考えさせられた。学生たちは今週末、どんな「サンタ」に出逢うのだろう?「詩と愛とロマンス」を念頭に、短歌人らしい過ごし方を祈る。

まさに「世界の子どもたちに」
平和にサンタが訪れますように
世界を「詩と愛とロマンス」で包み込むことを諦めない。


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集中講義・大河ドラマ最終回・W杯決勝

2022-12-19
年末らしき光景に新たな色も加わり
対面集中講義に集まったゆえに個々の読みと他者と協働で
夜は「鎌倉殿の13人」最終回、そしてW杯決勝

年末恒例なものが、行われる時期になった。「『短歌県みやざき』ことばの力と牧水入門」は9回分がオンライン配信講義コンテンツが作成してあり、各自が自宅で学ぶことができる。総計15回の残りの6回を二分割し、3回ずつの集中講義を12月と2月に実施している。これが恒例となって既に5年ほどになるだろうか。コロナ禍前からオンラインコンテンツを作成していたのは、当時はかなりの負担であったが自分の学びとして大変に意義深かった。現在では「九州学」という九州地区国立10大学の連携講義にも2回分を提供しているマルチコンテンツである。この日は集中講義に、21名の学生が集まった。前半は牧水の歌から「声と耳」を起点に作られた短歌12首から1首を選び、各自の読み方を紹介するという歌会方式で進めた。コンテンツの視聴回数などはまだ確認していないが、短歌の読み方をはじめ学習の効果が感じられる面もあった。後半は牧水が「宮崎を詠んだ歌」8首から1首を選び、同じ歌を選んだ者同士がグループとなり、短歌を使って宮崎の魅力をプレゼンするという内容。都井岬・油津・高千穂、そして「青の国」など学生たちの発表が楽しかった。

この日は楽しみというか、気落ちが揺れるものが夜に二つ控えていた。一つは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」最終回60分拡大版である。「承久の乱」をはじめ最終回に描くものはまだまだ盛りだくさんと思っていたが、前半であっさり描かれ、むしろ北条義時をめぐる周囲の人間関係を中心に彼の最期が精緻に描かれていた。『吾妻鏡』の記述に忠実に描かれつつも、「人間ドラマ」なのだという三谷幸喜の脚本はやはり見応えがあった。「鎌倉を守る」ためには憎まれることも辞さず、という時に強硬な姿勢も貫いてきた義時の生き様とは何であったか?権勢とは政治的権力とは?そして人はなぜ戦い殺し合うのか?各回ごとに様々な「人間模様」を考えさせられた大河ドラマであった。義時のみならずもちろん姉の北条政子の生き様も重要で、「姉か母か」という中で政子の葛藤が最期のシーンには大きく関わることになる。親族間の争い、また朝廷と幕府、動乱の武家政権の誕生期にあって、まさに現代の暗くも重い世界情勢にも思いを致すことになった。そして深夜にはW杯決勝のキックオフ、僕自身の葛藤は本日が人間ドッグ検診であること。早々に夕食は終えて、検診への影響も考えて就寝するかどうかの大きな葛藤を抱えた夜となった。

牧水で宮崎を語り
大河ドラマに人間の栄光と暗躍を観て
せめて世界はスポーツで競い合えとの願いを込めて。


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海鳴り地響き「狐の裁判」

2022-12-18
夢か現か地響きのような音の後に
突き上げるような揺れに襲われる
夢の世界では動物たちが裁判沙汰にも

午前3時06分、防災速報の表示がスマホに残っている。日向灘震源による震度4の地震が、宮崎南部平野部を中心に地を揺らした。深夜ですっかり寝入っていたが、夢か現か地響きのような音を揺れの直前に聞いたのは、僕だけだろうか?海から約3.7Kmほどの高台に住んでいるもので、日常から「海鳴り」と呼べばいいのか、「海の声」を寝床でよく耳にしている。子どもの頃から寝床で「取り囲まれている世界の音」を聞くことを意識していたが、宮崎に住むようになってさらに鋭敏に自然の呼吸のような音を聞いている。ある意味でこうした感覚を研ぎ澄ますと、人間でも地震予知ができそうな気にもなってくる。「夢か現か」という感覚は、寝呆けるということではなく、普段は自覚しない動物的な感覚を味わう境界に入ることができているのかもしれない。地震の後に再び寝入ると、仙台にいる夢を見た。東北地方の海溝型地震と呼応するかのような感覚。まさに動物的な察知逃避行動なのかもしれない。

前日の宵のうち、劇団ゼロQ第26回公演「狐の裁判」を観た。ゲーテ作・樋口紅陽訳をゼロQの原口奈々が潤色した作品である。悪知恵狐ライネッケが、獣王である獅子のもとで東西南北から集まった鳥や獣との間で裁判沙汰になる物語である。古今東西、「狐」という動物は「ズル賢い」という性情を帯びている。人間が長い年月の間に捉えてきた、動物に対する洞察の傾向を思う。動物間のそれぞれの行動というのは、人間にとって忘れられた真実を伝えてくれるものだろう。ゲーテが、子どもにも理解できるように書いたであろうことも容易に想像できる。日本の教科書でも、小学校中学年ぐらいまでは「動物」が主人公の物語が多い。「いたずらな小狐」と思われている「ごん」が「兵十」と心を交わす物語は、双方の「償いの物語」として循環的な作用を我々に感じさせる。SDGsが叫ばれる今、人間の強欲でこれまでに絶滅してしまった動物の存在を思う。やっと動物としての人間が滅びるかもしれない、ということにこれほど近現代科学を駆使してようやく気付き始めた愚かな動物が人間に他ならない。裁判という場で公正に解決するのではなく、今でも傲慢に我欲が蔓延る世界情勢は、たぶんこの地球を滅ぼしてしまうかもしれない。せめてゲーテ作の芝居を観て、僕たちは動物と親和性をもって同化する意識を持つべきではないだろうか。

人間と人間が争い滅ぼし合う愚かさ
自らが動物であることを忘れたことを裁かれるかも
自然の声に耳を傾けて生きていたいものだ。


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タンパク質補給

2022-12-17
朝の身体を起こすのも
午後の脳を活性化させるのも
タンパク質への意識を高く

たいていは早朝に書いている小欄だが、手元には牛乳かそれにデカフェの珈琲を加えて飲んでいる。大切なのは牛乳から摂取するタンパク質、珈琲に関しては起床後しばらくしてからの方が身体への効果が高いという説にやや左右され、せめてデカフェにすることが多い。人の身体を目覚めさせ活性化させるのは、タンパク質だと云う。朝食で卵料理や納豆が定番であるのも、理にかなったことなのだ。さらに味噌汁で野菜やキノコ類があればほぼ万全。昼食はたいてい大学構内で買うことが多いが、パンにしてもタンパク質が挟まったカツサンドとかササミチーズサンドなどを選択する。弁当の場合も、ミニスタミナ焼肉丼とか焦点はタンパク質が入っていることだ。仮に昼食に炭水化物を多く摂ると、確実に午後は眠さに襲われる。会議などがある前は、特に食事の内容物には注意をしている。

この日は夕刻から、学生有志と馴染みの焼肉店へ出向いた。向こう3年近く、ゼミやサークルでの大々的な飲み会ができていないのが淋しい。本来であれば、ゼミでの新歓・実習慰労会・イベント打ち上げ・忘年会など、飲み会の数だけゼミ生らと深く交流していた。大学でのゼミでは話せないことにも話題が及び、こうした数だけゼミ生は成長すると思っている。もちろん栄養面も重要で焼肉店へ行くと、「牛肉は久しぶりだ!」と言って学生が食べる姿が嬉しい。焼きながら食べるという動作にも協働性があり、同時に身体を活性化するタンパク質が十分に摂れるのは掛け替えのない機会であるといえる。もちろん「お酒」は話題を活性化し、普段では話せないことを引き出してくれる。精神衛生上でも貴重であり、不可欠な機会であるといえる。食事は何も考えずに済ますこともできるが、意識を持つと同時に楽しい機会としていくことこそが豊かな生活ということだろう。

脳のちから筋肉のちから
仲間と語り合うための時間として
心にもタンパク質は作用するようだ。


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既習なら漢字で書くという近現代の幻想

2022-12-16
小学校学年配当漢字が既習であれば
表記は漢字にせよという教育の階梯
「文字」のみが言語と考える近代の幻想

落語や芝居を観る際には、明らかに「音声」を聴き取り内容を想像する脳の働きが基本となる。声の調子や場面に応じた変化など、「音声」に伴う非言語な部分も含まれる。総合的に「場面に応じた声と発する人間の表情・動作」などの総合体によって、噺も芝居内容も我々は理解することになる。「聴き取る力」というのは言語使用の上で大変に重要な要素であるが、昨今はやや疎かにされているのではないかと思う事例も少なくない。バラエティ番組のさして重要ではない芸人の発言などが、画面下に字幕が出て伝えられることが圧倒的に多くなった。脳の作用として視聴者は芸人の「音声を聴き取る」という感覚ではなく、「字幕を読むことに音声が伴う」ような感覚で捉えていないだろうか?講義においても「音声」のみの説明では理解し難い表情をする学生も多く、プレゼンソフトの使用が一般的になったことも相まって場合によると「文字情報」をスマホで撮影しようとする局面に出会うことも少なくない。自らの「身体に情報を刻む」のではなく機器の利便性に委ねることで、果たして内容の咀嚼に深浅は生じていないのかと思う。

『枕草子』を題材にした演習発表を行なっているが、学生の発表に前述した傾向が覗かれることも多い。諸注釈を比較して「漢字表記」なのか「仮名表記」なのかという点に必要以上にこだわり、「文字」として意味が理解しやすい「漢字表記の妥当性」を述べる傾向がある。小学校では漢字の学年配当があり、「既習のものは漢字で書く」のが国語学習の基本となる。だが古典に遡る言語表記史を辿れば、決してそうではないことは和歌をはじめとして明らかであることに気づいてもらうのもこの演習の大きな意義だと思う。現代では短歌創作をしていれば、自ずと「漢字」「ひらがな」「カタカナ」「ローマ字」など表記方法を縦横無尽に選び取ることが標準である感覚が芽生える。もちろん、広告宣伝などにおいて敢えて「ひらがな」などという効果を狙ったものも最近は多く目にする。仮に「ひらがな」が「和歌を表記する」ために開発されたという仮説を立てると、「和歌は音声」でありそれを「書き留める」ためには「表音文字」が必要であったという理屈になる。掛詞の理解は落語のオチなどを聞き分けることに通じ、享受者が脳内で「漢字に変換し書き分ける」ために表記される際には「かな」が選択されるという訳である。

わたしたちの言語の融通性を広い視野で考えたい
「音声」という言語要素を見直すべき
「漢字」を多用した表現が空疎なのは国会を見れば明らかではないか。


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学生たちが創るちから

2022-12-15
「プロジェクションマッピング×朗読劇」公演
構想2年半の到達点を見る
「主体的対話的深い学び」はもちろん大学においても

大学図書館は、交流ができる場であり孤独になれる場であり創発ができる場である。2020年7月にリニューアルオープンした附属図書館であるが、各フロアごとに前述のようなコンセプトを叶える場を目指している。「学び」は時に「孤独」になって自己を確立していくものであるが、同時に「自分ひとりでは気づけないことに気づく」対話の場が必須であるのは昨今の教育において自明となってきた。さらには「創発」と呼んでいるが、新たなイノベーションを起こすことで「学び」はより自発的創造的なものに進化していく。「知の交流拠点」としての大学図書館が、現在向かうべき姿である。とはいうものの、学生の自発的な活動を多様に展開するのは容易なことではない。「創発WG」を据えて何人かの先生方に協力を得て、いくつかのユニットを形成してきたがそれが継続するちからを持たせるためには、強力なリーダーとなる学生の存在との出逢いが求められる。あくまで支援者(ファシリテーター)に徹しながら、学生たちのエンジンに燃料や潤滑油を送り込むのが僕の役目と心得て進めて来た。「指示待ち」ではない前向きな主体性、教員に限らず現在の日本の若者に一番必要な学びの機会ではないのか。

工学部大学院生のデジタル投影機器を扱う高度な技術、だが何を素材にしたらよいのか?という相談が図書館の「創発」の場に投げ掛けられた。そこに「文学(国語)」を学ぶ教育学部の学生たちがいる。当初は短歌の素材となる自然の場のマッピングも製作し、それを投影しつつ歌会で批評する試みに至った。今回はさらなる展開であり、教科書教材を用いた「マッピング×朗読劇」という応用となる。既に小欄にも記したように、附属小学校でも6年生を対象に授業も実践した。さらに「エンタメ」的要素を持たせながら、創発朗読劇をいかに公演として成立させるか?ある意味で「文学的文章の国語授業」における夢のある展開である。文理融合のちからとともに、多様な人々の享受にどう応えていくか?という「社会」とのセッションが求められる機会と思う。教員にはあらゆる意味で「社会性」が必要だ、というのが僕自身が「教員」になった際の約束であり信念である。仲間と協働しながら「社会」に向けて、訴えるものを創発する。学部課程では学べない部分を、こうした「創発」活動は補完してくれる。ある意味で、思うようにやって「失敗から学べ」ばいい。ICTと文学の出逢いを叶えながら、学生が「創発」に学ぶ過程を大切にしたい。

多くの苦難を努力で乗り越えて来た結果
さらに「学内」という「甘え」の枠を超えてどのように学外公演を展開するか?
小さなちからを付けたら、さらなる「ちから」に結びつくことを期待している。


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「教える」のではなく「短歌を学び合う」〜教員研修覚書

2022-12-14
早期教育というような概念ではなく
声と身体感覚を活かして三十一文字を語る
1年生でも、たぶん幼児でも楽しめる短歌づくり

附属小学校にて終日の教員研修講師。昨年度までは中学校のみであったが、本年度から小学校用「和歌短歌の主体的対話的学習活動」というテーマ設定での実施となった。県内の小学校教員5名が参加し、ゼミ4年生が「教職実践演習」の一環で3名が参加した。先生方の話を聞くと、県内各地域における「短歌学習」にも温度差があることが知れる。やはり若山牧水を市をあげて顕彰している日向市を中心に県北の小学校では自ずと短歌熱も高い。さらには西郷村などでは、牧水と交流のあった地域出身の歌人・小野葉桜の短歌の朗詠を独特な調子で行なっており地域としての特色も感じられた。だがこうした活動も教員間で伝承を確実にしていかないと絶えてしまうという危機感が先生方の中にあることを知った。「短歌県づくり」として全県に活動の波を拡げることと同時に、既に地域ごとにある活動の継承にも心を配るべきという発見があった。研修の場とはその場限りの知識の切り売りではなく、県内各地域の先生方との出逢いであるとあらためて思う。

研修は実例を用いて、受講者のコメント参加型で展開した。日向市立坪谷小学校の朗詠の録音を聴いていただき、その後、同じ調子での朗詠体験。「短歌は声にして初めて味わえる」ことを実感してもらった。次に二首の短歌を比較して、「説明的な歌」と「対象の特徴を描写した歌」との違いをコメントしてもらう活動へ。さらには坪谷小学校の児童作品について、どこをどのように褒めたらよいか?という課題演習に入った。次第に受講者のコメントも冴えてきて、雰囲気ができてきたところで短歌創作へ。「学校」を題材にした短歌を概ね20分で創作してもらう。その後は通例の歌会形式で無記名詠草の批評会、教員が日常の学校で何をどう見ているかがわかる内容で大変に興味深かった。「創作指導」について「どのようにしたらよいか?」という質問を現場の教員から受けることが多いが、道は一つ「自らが創作をしてみる」しかない。児童らとともに短歌表現に親しみ語り合うことで、様々な発見があるのが短歌活動をする意義でもある。歌会での多様な解釈を聞くことで、参加者には向き合う児童たちとともに短歌を学び合おうという気持ちができたであろう。「教える」のではない、参加者すべてに「学び」があるのが短歌の歌会である。

1年生の秀逸な短歌表現に学ぶ
その年齢でしかできない日常生活に即した歌
あらためて学校ごとの交流を進めるべきという気づきに至る。


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「夏を歩く」×「五月の空〜宮崎市と戦争と〜」朗読劇公演

2022-12-13
「今を戦争前夜としないために」
語り継がねばならない1945.8.6
主演;田中健さん そして宮崎の1945.5の惨禍

ここのところいくつもの舞台に身を委ね、様々なことを疑似体験している。題材が史実であれ虚構であれ、考えさせられる真実は同様で一時的に日常でない自分になれることに大きな意義を感じている。この日は標題とした朗読劇を、宮崎市内まで観に出向いた。主演は俳優の田中健さん、僕にとっては青春ドラマ『俺たちの旅』での「オメダ」役から親しみのある俳優さんだ。青春期には「なりたい自分」と「そうなれない自分」に向き合う葛藤が常に付き纏う。同ドラマで中村雅俊さん演じる自由奔放な「カースケ」には誰しもが憧れたものだが、田中さん演じる「オメダ」がいることで、そこまでは大胆な行動はできない「自分」を逆照射されるようで青春の葛藤が上手く描かれていた。その田中さんの生声による朗読は、実に楽しみだった。かの1945.8.6.8:15広島で誰しもが個々の「朝」を迎えていた。「広島第一県女の生徒たち」の「朝」に焦点を当て、凄惨な「ピカッ」が彼女らの「今日」を一変させる怖さが実感できた。「戦争」はいつも一般の人の日常をかくも悲惨な「日々」に変えてしまうのだ。

「夏を歩く」の前に上演されたのが「五月の空」、本公演の特徴は地方公演を巡りつつ当地の戦争の記憶を風化させないための朗読劇が組み合わされていることだ。この宮崎にも1945年当時には空襲が相次ぎ、多くの人々が犠牲になった。赤江空港(現宮崎ブーゲンビリア空港)に空軍の拠点があり、鹿児島のみならず多くの特攻機がこの宮崎からも飛び立ったことを忘れるべきではない。それゆえに宮崎市を中心に空襲も増えて、多くの一般の方々の「今日」が変わってしまった。以前から附属小中学校に行くと、門のすぐ脇に慰霊碑があり実習生なども必ず登校すると手を合わせる慣習となっている。かの「五月」の空襲で、下校途中だった小学校の生徒らが犠牲になってしまった。なぜ?軍事拠点でなく文教地区に爆撃があるのか?「戦争という名の狂気」には、そんな「なぜ?」はまったく通用しないことは現在のウクライナを見ても明らかだ。戦争が起これば必ず「弱い者が犠牲になる」、あらためてそこに生きた人々の叫びが朗読劇で再現され僕らの胸に突き刺さったのである。

朗読の声を語り継ぐこと
どこまで表現したら真に伝わるのであろう
舞台と表現の可能性を見つめ続けたい。




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あらゆるものは繋がっている

2022-12-12
何処に住むのか?という選択
伴侶に似たような繋がる必然
生きるうえでの天命を考える

肖像写真をみるに然り、甚だしく親しみを覚えるのが若山牧水である。研究室の机の正面となる壁に肖像を掲げているので、日々見上げるたびにそう思う。それは単なる贔屓の思い込みだと感じていたが、どうやらそうでもないらしい。牧水を慕い研究対象としていることは必然であり、宮崎に来る以前から「繋がっていた」と言っても過言ではない。東京は文京区「護国寺正門前」の交差点から、東の方角を見上げると丘の上に立つマンションが見えた。分譲中であるのが何となく気になり、モデルルームを訪ねるとトントン拍子で購入するに至った。東京23区で海抜が一番高い交差点に近く、12階の部屋であったため西側の窓から富士山の眺めが大変によかったのも魅力の一つであった。居住中に管理組合の理事長も2期務め、オーナーや管理人の方とも親しい関係を結んでいた。玄関前の踊り場からは、東京スカイツリーが次第に高くなって行く過程が見えた。博士号を取得し大学教員になりたいという人生の野望が、大詰めを迎えている大切な時期にこのマンションで約7年間を過ごした。その結果、なぜか宮崎への赴任に導かれることになった。

牧水の書簡集を読んでいて、「小石川東京病院の隣であった仕事場」を発見した。第7歌集『秋風の歌』には「病院に入りたし」という連作があり、この「仕事場」で詠んだ歌とされている。隣の病院の窓を意識し、そこに居る看護婦と顔馴染みになることなどが歌に詠まれている。この「牧水の仕事場」こそが前述した僕が宮崎赴任前に住んでいたマンションの場所そのものなのである。牧水は当時、巣鴨から大塚あたりに何箇所かの居住地を転々としている。思い出されるのは、ともに新しい時代の詩歌を目指そうとした盟友・石川啄木の死に臨んだことだ。「啄木終焉の地」というのもまた、僕が中学校時代によく野球の試合で訪れた茗荷谷から小石川方面にある中学校にほど近い場所にある。盟友の死に際しあれこれと奔走し見送った牧水、その足跡のある街を僕は尽く知り尽くしているのである。探れば探るほど、牧水と僕の繋がりは必然とも思えて来る事ばかりだ。運命論によく云われる事だが、人間のあらゆる出逢いは繋がっている。牧水が東京で如何様に過ごしていたか?僕はそれを描く必然な運命を背負っているようだ。

「今日」は気づかないことを「明日」気づくことも
そして気づくためにあれこれと前向きに生きる必要がある
あらゆるものは繋がっている、誠に不思議でならない宮崎での10年目なのである。


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