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匂ひとひかりとあたたかさとを失わぬー親友は恋人

2022-11-27
「さうだ、両人とも恋人のつもりで一生を暮らさう。」
若山牧水と平賀春郊の生涯264通の手紙のやり取り
「若山牧水書簡集『僕の日記である』日向市若山牧水記念文学館」刊行

本年度後期公開講座第2回目「牧水をよむ」、毎度お迎えしているゲスト講師・伊藤一彦先生が外せないお仕事のために、今回は僕が単独担当で開催した。2週間前に公演した「いとしの牧水」は、音響効果が実に優れた閑静な場所にある小ぢんまりした会場ゆえ、チケットが早々に完売となった。感染対策も考慮せねばならず、ご興味がある方々までチケットが回らなかったと聞いている。公開講座受講者で牧水へ興味がある方でも、公演にいらした方は少ない。そこで今回は第一歌集『海の聲』第二歌集『独り歌へる』から第三歌集『別離』に至るまでの時期の牧水の書簡を読むことで、作歌の背景を理解する内容で展開した。あらためて公演で実施した朗読も披露し、文字情報を提供しその内容について受講者の方々とともによんだ。短歌同様に牧水が書く文体は耳で聞いてもわかりやすく、「聲」で味わうべきことを実感させてくれる。生涯の親友・平賀春郊(鈴木財蔵)を読み手とする文章の昂ぶりに、牧水の心が透けて見えてくる。

生涯264通、それを「出来るなら僕の手紙を破らずにとつておいて呉れないか。僕の日記である。」と明治40年11月22日の手紙の末文に記されている。その牧水の言い分をその通り真に受けて、実際に保管しておいた平賀春郊の友情の厚さにも感服する。お陰で僕たちは牧水の手紙上の「肉声」をよむことができるのだ。それにしても牧水の「心酔力」とでも言おうか、愛しい人や物事に惚れ込む力は凄まじいものがある。恋人であった小枝子への命懸けの恋、妻・喜志子や子どもらへの愛情、好きな酒へのとめどない愛好、もちろんこれこそ生きる道と決めた短歌への情熱、人間はここまで「惚れ込む」気持ちで生きられたら実に幸せだと思えてくる。平賀春郊に対しても冒頭に記したように、「恋人のつもりで」とその友情の厚さを表現している。その証拠が身の内のあらゆることを包み隠さず伝えた書簡の存在であることは言うまでもない。僕らが「親友」と思う人に、どれほど自らの弱いところや情けないところまで明かしているだろうか?と考えさせられる。だが僕にも「親友」と呼べる人が何人か思い浮かぶが、やはり「会わずにはいられない」「語らずにはいられない」という感覚がある。人間は他者を批判ばかりして生きれば、自らが孤独で醜くなるだけである。「クレーム社会」と言われる昨今、牧水の書簡の言葉が僕たちに「他者への友愛」を存分に教えてくれるのである。

人を惚れ抜くこころ
思いを向ければ相手も愛情で応えてくれる
人間としての大切なこころである。


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