物語をえがく表現力〜声と表情と動作と
2022-11-30
桑田佳祐さんの歌詞物語をえがく力ゼミプロジェクト『注文の多い料理店』学生たちの声と表情
本番に向けての演出あれこれ
今月は桑田佳祐さんのライブツアー開幕の仙台に赴いたことで始まったが、長いような短いような一ヶ月で晦日を迎えるに至った。桑田さんは仙台→福岡→名古屋と巡り、ちょうど先週末がライブツアーの中休み。そんなスケジュールに合わせてか、「NHK MUSIC LIVE クローズアップ佳祐ー桑子じゃないよ桑田だよ」が24日に放映された。当日は忙しく見逃し配信で視聴したが、あらためて桑田さんの歌唱力ならぬ「表現力」の豊かさに感服した。よく「ひとり紅白歌合戦」で美空ひばりの楽曲も唄っていたが、正直なところ「美空ひばり並み」な表現力を感じるのだ。「歌が上手い」歌い手はたくさんいる、だが真に「伝わる表現」ができるミュージシャンは限られるのではないか?美空ひばりとの共通点として、「ややしゃがれ声」な要素も大きいように思う。その「引っ掛かり」がむしろ人間的な歌詞の「物語」を起動させてくれて、聴く者は感動に至るのである。言葉・リズムという根本をはじめとして、表現力には多様な要素があることを再認識する。
かたやゼミ学生を中心に行ってきた文理融合「朗読・群読」プロジェクトの研究授業が、いよいよ本日となった。工学部院生が制作してきた「プロジェクションマッピング」が映し出す舞台における「群読」によって、どれほど物語世界に入り込んだ表現ができるのだろうか? 作品は『注文の多い料理店』、「耳の文学」とも批評される宮澤賢治の世界観をどう再現するかが焦点だ。この日のゼミでは、前日にして群読の最終チェックが行いたいという学生らの希望する展開とした。オノマトペをいかに遊ぶか?登場する「二人の紳士たち」と「山猫」の声をいかに交錯させ、言語表現の複層性を表現するか?「山猫」の部下たちの声はどの程度の恐怖感と悪どさが必要か?遠くから「二人の紳士たち」を捜索に来る声の遠近感をどうするか?など、僕が聴いて演出上の工夫が加えられるところを指摘して、前日ながら最後の最後まで詰める稽古を実施した。次第に学生たちの表現力が高まるのが感じられ、紙面ばかりではなく仮想ながら現実の「物語舞台」で身体的に演じることで、文学作品を立体的に楽しく主体的に読む活動であることが確認できた。「学校」の授業を通じて、「もっと多くの読書がしたい」と思う人々は残念ながら多くはいない。図式的・構造的な読みと登場人物の理論的な「気持ち」だけで「理解した」という観念的な面が、今も拭えない「授業の限界」を超える挑戦ともいえるのである。
さて本日は附属小学校で共同研究授業実践へ
学生たちのチームティーチングで実施するのも初めて
生きるための心の声が相手に伝えられる表現力を身につけてもらいたい。
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「宮崎空港今日も快晴」ー俵万智さん「海のあお通信」最終回
2022-11-29
「子のために来て親のため去りゆくを宮崎空港今日も快晴」(俵万智)「宮崎の豊かさ」音楽も演劇も映画も
「宮崎のたくさんの『いいね』を見つけてきた」連載が最終回
宮崎日日新聞第4月曜日の連載「海のあお通信・俵万智」が、77回をもって最終回を迎えた。約6年半もの間、俵さんが「宮崎のいいね」を再発見し綴ってきた豊かなエッセイである。冒頭に記した一首はその最終回に記されたものであるが、俵さんの人生史に明らかに刻まれた宮崎なのだと深く肯ける歌である。歌通り、この日も思わず大学から宮崎空港方面を眺めると爽快な快晴であった。調べてみると宮崎県は「全国都道府県快晴率ランキング(2018年データ)」で1位、年間快晴日数が「67日」あり、東京の「34日」の約2倍、下位に位置する山形県・岩手県の「8日」からすると8倍ほども快晴の日数があることになる。若山牧水が「青の國」と歌に詠んだのは、樹木や草の生い茂る「山」のみならず、「空の青海のあを」も含めての呼称であると読みたい。もちろん東京・大阪・福岡との空路の玄関口となる宮崎空港にも「空の青海のあを」が鮮明で、遠望すれば山並みが美しい。「日向は夏の香にかをるかな」とさらに牧水が詠んだように、そこには芳しい空気が溢れている。
連載は「77回」で終了となった。寂しい思いが拭えないながら、「7(月)6(日)+1=77回」という偶然の回数が俵さんの「持っている」ところである。そんな思いも募り、午前中のうちに「最終回拝読」というメールを俵さんにお送りした。そこには母がいたく最終回に感激したことなども記した。実は俵さんが仙台への移住を公表する前にお伝えいただいた時、「ご両親の(宮崎に移住された)ことを羨ましく思っていました。」とも言っていただいていた。僕の両親が宮崎に移住して既に3年となるが、その間には俵さんもご両親とともに暮らすという葛藤を抱えていたことを知った。などと考えると冒頭に記した歌の二つの「ために」には、並々ならぬ家族愛が込められているのだと読めてくる。息子さんが学んだ「五ヶ瀬中等学校」の学びや環境に対してもたくさんの「いいね」をしてくれた。そして宮崎の多くの美味しいもの、そして最終回に思い出のように綴られていたように宮崎の音楽・演劇・映画にも。よく宮崎の人は、都会に出ないと文化・芸術を見るチャンスが少ないと口にするが、ところがどうして!宮崎ならではのコンパクトで人と人とが繋がりやすい文化・芸術のあり方があることを俵さんにあらためて教えてもらう。連載77回のうちには、何度か僕自身も登場させていただいた。母校からのご縁に加え、宮崎でのご縁を、今後も大切にしてゆきたいと連載を幾度となく再読している。
今後も「わけもん短歌」「俵万智短歌賞」「牧水短歌甲子園」など
継続して「短歌県みやざき」に関わっていただけると云う
「心の花宮崎歌会」の「俵万智五首選」を励みに今日も歌を詠もう!!!
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「和」の作用〜一喜一憂おもてうら
2022-11-28
「和」の精神「なごむ」「やわらげる」「柔和」「親和」
「一喜一憂」を警戒したが「強豪に勝利」の奢りなのか
物事は諦めれば何も始まらないのと同時に、奢れば必ず落とし穴がある。FIFAW杯「日本対コスタリカ」を観たいと思いTV放映を調べると、NHKは衛星を含め生中継なし、民放で放映権を持っているのがTV朝日系列、こうなると民放2局の宮崎では「TV」で生中継が観られない。スポーツ中継で結果を知っての「録画視聴」ほど、興奮度が半減するものはない。ひとたびは諦めかけたが、調べてみるとWebTVで観られることを知った。早速、登録設定をすると、思いのほか簡単にスマホ・タブレットで視聴できるようになり、TVにつなぎ生中継を楽しむことができた。こうしたスポーツ生中継の放映が無いのは「宮崎あるある」だそうだが、それもWeb社会への変革により状況は一転している。短絡的に諦めれば、生中継を観る醍醐味を失うところだった。もひとつの葛藤は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、この日は「三代将軍実朝暗殺」という山場、こちらはBS放映で18:00から観て、辞世の和歌が朗詠され思わず涙する場面もあった。その後、19:00からWeb中継に集中することができた。
それにしても「ドイツ戦に勝利した」という点が、メディアも我々ファンも頭から離れない「空気」に支配されていたのだろう。どこかで「選手たち(日本代表チーム)はそう思っていない」と信じつつも、スペインに「7対0」で敗戦したコスタリカには「勝てる」という奢りばかりが先立たなかったか。森保監督の「一喜一憂せず」というドイツ戦勝利後の言葉の背後には、「一喜一憂する」という危険性が語られていた。考えたのは「和」という、この国の精神性。試合後のスタンドやロッカールームを綺麗に清掃する点が、「なごむ」文化として外国メディアから賞讃された。しかし我々が接する国内メディアでは、「歓喜の勝利」「ドーハの奇跡」などという喧伝が目立っていなかったか。それは僕自身も自省するところであり、「欧米列強」という語を使用しサッカー界の30年の躍進を小欄でも讃えた。思うに、まるで「日露戦争」の勝利のようにメディアの発信と世論が交錯し「たかが奇跡による一歩」を「肩を並べた」と勘違いする「空気」を醸成した。この時点で来るべき戦いで奢りによる大きな代償を受けねばならぬことを、僕らは歴史で学んでいるにもかかわらずである。コスタリカ戦はまさに相手のペースに「なごむ」ことで、「守り切って1チャンスで得点する」という術中に嵌り切った印象があった。昨今よく「一丸となって」と吐く各分野の人々が多いが、「一丸」は「変化」に脆弱であることを心得ておくべきだ。
無垢に向き合う謙虚さ
相手への「慈しむ心」があれば自ずと視野は広がるが
相手への奢りがある時点で落とし穴があることを自覚するべきだろう。
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匂ひとひかりとあたたかさとを失わぬー親友は恋人
2022-11-27
「さうだ、両人とも恋人のつもりで一生を暮らさう。」若山牧水と平賀春郊の生涯264通の手紙のやり取り
「若山牧水書簡集『僕の日記である』日向市若山牧水記念文学館」刊行
本年度後期公開講座第2回目「牧水をよむ」、毎度お迎えしているゲスト講師・伊藤一彦先生が外せないお仕事のために、今回は僕が単独担当で開催した。2週間前に公演した「いとしの牧水」は、音響効果が実に優れた閑静な場所にある小ぢんまりした会場ゆえ、チケットが早々に完売となった。感染対策も考慮せねばならず、ご興味がある方々までチケットが回らなかったと聞いている。公開講座受講者で牧水へ興味がある方でも、公演にいらした方は少ない。そこで今回は第一歌集『海の聲』第二歌集『独り歌へる』から第三歌集『別離』に至るまでの時期の牧水の書簡を読むことで、作歌の背景を理解する内容で展開した。あらためて公演で実施した朗読も披露し、文字情報を提供しその内容について受講者の方々とともによんだ。短歌同様に牧水が書く文体は耳で聞いてもわかりやすく、「聲」で味わうべきことを実感させてくれる。生涯の親友・平賀春郊(鈴木財蔵)を読み手とする文章の昂ぶりに、牧水の心が透けて見えてくる。
生涯264通、それを「出来るなら僕の手紙を破らずにとつておいて呉れないか。僕の日記である。」と明治40年11月22日の手紙の末文に記されている。その牧水の言い分をその通り真に受けて、実際に保管しておいた平賀春郊の友情の厚さにも感服する。お陰で僕たちは牧水の手紙上の「肉声」をよむことができるのだ。それにしても牧水の「心酔力」とでも言おうか、愛しい人や物事に惚れ込む力は凄まじいものがある。恋人であった小枝子への命懸けの恋、妻・喜志子や子どもらへの愛情、好きな酒へのとめどない愛好、もちろんこれこそ生きる道と決めた短歌への情熱、人間はここまで「惚れ込む」気持ちで生きられたら実に幸せだと思えてくる。平賀春郊に対しても冒頭に記したように、「恋人のつもりで」とその友情の厚さを表現している。その証拠が身の内のあらゆることを包み隠さず伝えた書簡の存在であることは言うまでもない。僕らが「親友」と思う人に、どれほど自らの弱いところや情けないところまで明かしているだろうか?と考えさせられる。だが僕にも「親友」と呼べる人が何人か思い浮かぶが、やはり「会わずにはいられない」「語らずにはいられない」という感覚がある。人間は他者を批判ばかりして生きれば、自らが孤独で醜くなるだけである。「クレーム社会」と言われる昨今、牧水の書簡の言葉が僕たちに「他者への友愛」を存分に教えてくれるのである。
人を惚れ抜くこころ
思いを向ければ相手も愛情で応えてくれる
人間としての大切なこころである。
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失われた30年と着々と登るサッカー界
2022-11-26
バブル崩壊以後の日本政治・経済・社会に云う「失われた30年」
しかし、サッカー界は違っていたことにようやく気づく
「コロナ禍だから」何かと言い訳がしやすい世の中になった気もする。例えば、我々のような大学教員が「オンラインだから」と言うのも同じ。学内外を問わずその点には「オンラインであっても」と言いたい自負が僕は強い。2年半前から「オンラインでこそ」学習効果が上がる方法に、向き合い続けてきたからだ。実際に、対面以上の授業内容や効果だと思える担当科目も少なくない。対面になっても「オンライン」で培った有効な方法は活用し続けている。世情ではほとんど「言い訳」にもならない答弁で逃げる姿勢が、「国会」という国民を代表して議論する場で相次いでいる。ここまで「政治は劣化」したかと耳を疑う事例ばかりだ。少なくとも政治を始め、経済や世界的競争力など、この30年で劣化甚だしくこの国は窮地を迎えている。だがサッカー界はどうだろう?そんなTweetなどをいくつか目にした。1993年「ドーハの悲劇」から30年、ちょうど「Jリーグ」が開幕した頃。大衆的なスポーツといえば野球一辺倒であったこの国が、「サッカー(フットボール)」でも世界を目指し始めた。地域に根ざしたクラブチーム作り、世界の名だたる選手が移籍する器ができたことで、最高峰の技術が身近になった。
その後、日本選手の技術が向上するにつれて、海外に移籍する選手が次々と出てきた。サッカーの本場、欧州の名だたるチームの一員となり、決して引けを取らずレギュラーを勝ち取る選手も少なくなかった。前述した「Jリーグ」が地域に根を下ろし、幼少の頃から子どもたちの育成に向き合い、自ずと指導者も育成される。あらゆる世代・組織役割において、「育てる」ということに妥協はなかったのだろう。資金面でも同様だ、「Jリーグ」による収益は躊躇なく「次世代への投資」に投入される。Web記事に拠れば、今回のW杯メンバーで欧州で活躍する選手に「怪我の不安」などがある場合、医師などのサポート体制を欧州拠点に据えて来たのだと云う。森保監督がメンバー選定をする際に「怪我の不安」が払拭できたのは、こうした資金を活用した支援体制があったかららしい。昨夜もTV番組で岡田武史さんがくり返していたが、「今回のドイツ戦の勝利は奇跡でもなんでもない。勝つための準備をしてきた結果だ。」という言葉に如実に表れている。振り返れば1990年代、サッカー部が全国レベルの勤務校の「国語」の授業で、僕は当時の岡田さんが記した論を教材にしたことがある。育てることに投資する「日本サッカー」の方針は、明らかに教育界全体にあるべき姿勢のはずだ。「言い訳をしない育成」「言い訳をしない結果」、まだたかが「ドイツ戦1勝」でしかないが、社会全体の劣化の中でサッカー界の躍進に学ばずしてどうするのだろう。
1997年大学院修士課程入学
現職教員として「自己投資」し続けたことが今に至る
あの頃、日本サッカー界の黎明期について深く考え自らの学びにしておいてよかった。
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富士山の頂上に登る気なくしてー「欧米列強」という意識
2022-11-25
岡田武史さん解説での比喩「奇跡」ではなく「一喜一憂」せず
スタンドやロッカールームの清掃が話題にもなって
やや眠気に襲われる1日を過ごした、というのも前晩にW杯「日本対ドイツ」を最後までTV観戦したからだ。終盤に興奮する場面が集中していたからか、あまり深く寝付けなかった気がする。それにしても「よく勝った」という思いを持っていたが、いくつかの点で省みるべだと考えた。もとよりW杯本戦に出場できているのに、対等に向き合えない筈はない。スポーツは「水物」であり優勝4回・準優勝4回と決勝まで8回進出しているドイツであっても、今回のチームがどれほどかは未知数であるはずだ。またサッカーは守り切って「0対0」ならば勝ち点1、個人技で劣っても組織で守れば勝機はある。冷静に考えればこうなるのだが、どうしても「ドイツ(欧米列強)には敵うわけがない」という劣等意識が僕たちのDNAに刻まれているのを感じざるを得ない。ところが今回の日本代表は違っていた、前半のPKによる痛い失点がありながら1点で凌いだ。前半最後の方でドイツのシュート機会が「オフサイド」と「VAR判定」で認定されたことも大きな岐路であった気もする。後半へ向けてシステムを変更したことが、前半の劣勢を忘れさせる組織的戦術が功を奏した。
昨日になっての番組において、元日本代表監督の岡田武史さん曰く「富士山の頂上に登る気なくして本当には登れない」と、「頂上に登るための準備をしてきたはず」という弁に納得した。今回の開催地のドーハは、1993年10月28日、W杯初出場まであと1勝の日本代表が対イラク戦で終了間際ロスタイムに同点とされ、出場を逃したという日本代表にとって「悲劇の地」であるのだ。まさにあらゆる「劣等感」を引き摺らざるを得ない環境でも、冷静さと高い意識を失わなかった日本代表チームに学ぶことは多い。あの日、相手のショートコーナーから「同点にされた」瞬間を僕は今でも忘れない。当時はサッカー部が全国優勝をするような勤務校にいたので、翌日の授業ではサッカー部の連中と「悲劇のショック」について語り合ったのを記憶する。あれから「29年」、日本という国の政治・社会はともかく、明らかに「サッカー日本代表」は進化したのだ。その後のW杯出場経験や、日常的なJ1・J2・J3を始めとする国内のサッカー界の積み上げには敬意を表したい。組織力と戦術、そして多くの選手が欧州などで個人としての力も上げている。明治以降154年の「欧米列強」意識は、これによってやっと大きな分水嶺まで辿り着いた印象だ。最後に、選手のロッカールームやサポーターらのスタンドがいずれも使用後に綺麗に清掃がなされていた、という点を海外メディアが盛んに喧伝している。SDGsなどを考える上でも、清掃や整理整頓におけるこの国の意識は、「世界が求める範」になる可能性を感じさせた。
思考は現実化する
思いを抱くのみならず意識と実行と決断と
世界の中で劣勢なことが多いここ最近、一抹の希望をサッカー日本代表が見せてくれている。
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本当に短歌ブーム?ー笹公人さん×スケザネさんトークより
2022-11-24
短く上手く言う時代ーTwitterの影響異ジャンルの人々が多く参入し始め
耐久年数の長い短歌・・・
世はすっかりTVよりWebで視聴する時代、標記のトークを有料券を購入して視聴した。有料でしばらく「見逃し配信」もあるので、内容の詳細や多岐にわたる点への言及は控えておく。だが短歌に興味があるのであれば、ぜひご覧いただきたいトークで「有料」であるがかなりのお得感があった。僕にとっては、両者ともに親しくさせていただいている間柄というのも視聴の大きな理由である。笹公人さんとは「牧水短歌甲子園」の折ごとに日向市でお会いし、コロナ前まではよく遅くまで酒席をともにさせていただいていた。審査員としての洒落のあるコメントも大好きで、昭和感を上手く素材とした短歌も大いに参考にさせていただいていた。今年に刊行された『終楽章』も大変に好きな歌集で、ある意味で僕の創作のツボを刺激してくれる相性のよい歌が多い。ちょうど1ヶ月ぐらい前に、そんな歌集への思いを書簡でお送りしていたところだった。
一方のスケザネ(渡辺祐真)さんは、親友の真山知幸さんを介してメッセージ交換などをさせていただいていた。人気のYouTube書評家であり、これまでにも俵万智さんとのトークなど短歌にも深い批評を展開している方である。ご自身も若い頃に投稿短歌に応募して入賞した経験があるようだが現在は「詠み手ならざる者」として、むしろその批評から学ぶことは多い。トークの中で「本当に短歌ブームなのか?」という疑問に双方から聞くべき意見が多々出てきた点は、短歌に関わるものとして心しておくべき内容であった。「一億総歌人」となるためには?耐久年数の長い歌と消費される歌(「いいね歌」)とは?真に「ブーム」と言えるには、まだまだ僕たちの努力が必要なようである。まさに詠み手として多様な人々の参入、従来の歌壇を超えた活動とは?こうしたトークにこそ短歌の未来への切符があるような気がした。
終了後、お二人それぞれにメッセージ
12月初旬には笹さんが宮崎を来訪される
トーク視聴終了後は、サッカー日本代表のドイツ戦をTV観戦となったが。
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あの「まぐろ丼」から10年
2022-11-23
採用試験面接審査の前泊空港でも夕食が取れず辿り着いたお店
宮崎と縁を結ぶ「まぐろ丼」に出逢えて10年
今この場所で生きているのは、何のお陰、誰のお陰であろうか?宮崎に移住してからというもの、こんな思いを常に抱くようになった。その延長にはもちろん、この土地への、出逢う人々への、出逢う食べ物など、あらゆるものへの感謝の心につながる。都会の喧騒の中で生きれば、孤高でも生きられるという勘違いをしやすい。だが山と海に囲まれ、鳥たちの声を聴き、太陽や月の巡行を意識して暮らすと、自ずから「生かされている」思いを強くする。東日本大震災を様々な意味で経験したことも、大きく影響しているようにも思う。まずは「生きていることへの感謝」なくして「今日」はない。このように考えると、「今の自分」を成り立たせている多くの人々の顔が浮かぶ。学問研究や短歌の分野のみならず、生活のあらゆる面での出逢いに感謝しなければならない。「幸せ」を感じるのは、多くの人々の存在があってこそなのだ。
Facebook(SNS)から「◯年前この日の思い出」というものが、自動的に知らされる。この日に出てきたのは艶やかな「10年前・まぐろ丼」の写真であった。思い返せば10年前の本日、現所属大学の面接及び模擬講義の対面審査を受けた。確か「10時半までに学部玄関へ」という通知があり、当日ではなく入念に「前泊」の予定を組んだ。非常勤講師の仕事を終え、羽田空港を18時台に飛び立つ便であった。羽田までの行程で夕食を取る余裕はなく、宮崎空港での夕食を楽しみにしていた。予定通り20時過ぎには宮崎空港に到着したが、どのレストランも既にオーダーストップ。いささかの地方空港の現実を感じながら、予定していた電車を乗り継ぎ宿を予約していた「青島」へと向かった。駅を降りれば何か食べられるだろう、それもまた都会人の甘さでしかなかった。駅を出ても真っ暗、仕方なく宿まで歩くと煌々とした電燈で照らされた店を発見した。迷わず入店したのは、既に21時を回っていたと記憶する。そして前述した「艶やかなまぐろ丼」に出逢った。何か喩えようもない力を「宮崎地獲れまぐろ」からいただいた気がした。その後、宿に入り屋上の露天風呂で星に翌日の面接の成功を祈った。この「まぐろ丼」のお店、先週末にも親友とともに赴いた。自然と10年前の感謝が、身体を動かした感じがした。今にして思えば「まぐろ丼」が食べられた背景には、親友となった人とお店とのつながりを始め多くの人々の思いが詰まっていたのだ。眼の前にある食事ひとつでも、感謝を込めて「いただきます」という意味の深さをあらためて知ったのである。
来年3月で現所属校で丸10年
前任の中高専任教員をしていた学校への在籍期間に並ぶ
「今」のあらゆるものに感謝してこそ豊かな明日が見えるものだ。
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生き生かされているー人生を支える短歌
2022-11-22
題詠「寒」ゆえに思い浮かべること「大寒」まではまだあるがその朝に産んでくれた母
子を思う心に親を思う心でお返ししている
人は誰しも産まれた時から「独り」である。人生というのは、とてつもない「孤独」に放り出されるとも言い換えることができる。そんな趣旨のことを昨年末に出版した自著に記した。ゆえに人生には「待つこと」も重要だと。だからこそである、親子の愛情に発し恋人や妻との愛情が無くして、人は独りでは生きてゆけないのも確かである。『万葉集』の時代から短歌に「恋」が描かれ続けてきた理由はそれで、「恋」という範囲は恋人に留まらず親子・兄弟に及ぶ。しかも「愛情」が大切だと詠うわけではなく、途切れたり失いそうになる葛藤における悲痛さに悶え苦しむ心を詠うのである。人は何事も失いかけてこそ、現状が幸せであることを知る。自分の日常あらゆる行動は妻に大きな影響を与え、妻に支えられていると同時に妻と相互にあらゆる状態を背負い背負われているものだ。親もまた同じ、本人たちが希望して宮崎に移住してきて安心はあるのだが、その健康状態や日常生活での心配事を背負っているのも確かである。
この日は、宮崎大学短歌会歌会が予定されていた。題詠「寒」、思い浮かんだのは「大寒」つまり一年で一番寒い日に僕を産んでくれた母のこと。その日のたぶん最低気温であろう早朝に僕は産んでもらい、「独り」で生きる人生が始まった。だが育つ過程での多くの母の愛情を考えるに、どんなに恩返ししても足りないぐらいだと今にして思う。短歌は「独り」の人生で他の人々との繋がりを確かめるための大きな力を持っている。そんな思いで歌を詠み、学生の担当に送っておいた。夕刻になって早めの夕餉と思いきや、母からの連絡で「父の体調が悪い」と云う。掛かり付け医の附属病院の先生も親切に電話で状況に対応してくれたが、他の病院を含めて診療時間は終わってしまっている。こんな時はまさしく「掛かり付け医」と良好な関係を結ぶことが大切だと痛感する。親族に限らず人はこうして「生かされている」のであると。という事態で短歌会の歌会には出席できなくなった。それでも通信で投票をし、投票結果は学生から連絡があった。いささかの救いであったのは、僕を産んでくれた母を詠んだ歌が投票で一位になっていたこと。歌だけは休まず必ず参加する、「三十一文字」とはそれほどに価値あるものだと実感できた。
自分の身体は自分だけのものではない
親族の愛情がわかればまずは自分を健康に保つこと
短歌で母への感謝を詠うこと、やはり歌は人生を支えてくれる。
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「班長われは」ー宮崎市内一斉清掃
2022-11-21
先週から雨で延期「朗読&トーク公演」で伊藤一彦先生が班長と知る
雨上がりの朝、落ち葉がアスファルトにしがみつくのだが
落ち葉が路上に目立ち始めるこの時期に設定されているのだろう、宮崎市内一斉清掃が1週間延期で実施された。ちょうど先週の「朗読&トーク」公演で控室で談笑していると、伊藤一彦先生やチェロ奏者の方も自治会の「班長」になっており「一斉清掃」の話題になった。通常は朝8時から「一斉清掃」なので、リハーサルのために10時半集合であったことから、とりあえず「中止で時間に余裕ができた」と笑い合った。僕も昨年度は班長であったが、やはり一定の軒数の方々の手前に責任感が生じるものだ。「班長」となる以前はあまり意識も高くなく、「一斉清掃」への参加もほとんどしない「非協力的な班員」だった。今回は特に伊藤一彦先生も「班長」として責任を果たしていることを実感し、その具体的な光景を想像できた。たぶんあの大きな声で班員の皆さんに挨拶し、和やかに清掃を進めているだろうと。「宮崎市内一斉」ゆえ、僕自身も同様の思いができていることに幸せを感じることができた。
清掃の目的は主に落ち葉の除去である。この朝は雨上がりで落ち葉が水分を吸って重く、アスファルトに貼り付いてなかなか剥がれない。竹製の箒や熊手を持参した方が、その効力をいかんなく発揮していた。それでも全てが取りきれる訳ではなく、植え込み内に残す落ち葉もある。清掃をしながら考えたが、本来は「落ち葉は土に帰る」はずだ。僕らが清掃して集められた落ち葉は、「燃やせるゴミ」となって焼却される。特に水分を吸った落ち葉には、焼却にも余計に燃料が必要になるだろう。地球規模の温暖化や燃料費の高騰を考えるに、果たしてこれでいいのか?という疑問も感じた。これは僕だけではなく、一斉清掃をしている班の方々も口々に話していたことだ。宮崎市内でも舗装されていない道路を探すのは大変なぐらいであるが、街路のアスファルト化そのものを問い直す必要があるのだろうか?何はともあれ、班に割り当てられた道路上は綺麗になり、一斉清掃の効果が目視できる薄日がさす日曜の昼下がりになった。
街を綺麗に保つちから
確か伊藤先生の短歌に「班長われは」を結句とするものがあった
居住地域を生活しやすく保つための協力が必要だろう。
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