歩行者優先を当たり前とせず
2022-10-13
クレームばかりの世間にあって横断を待ってあげると深々と礼をする中学生
地方の素朴さこそがこの国を救う
この後期から水曜日は非常勤先の講義があるので、朝晩は妻を職場まで送迎し僕が自家用車を利用している。昨日の帰宅時に、こんな光景に出逢った。信号のない横断歩道で対向車が停車し、横断しようとしていた2名の女子中学生を優先して横断させた。(道交法上当然なのだが)僕は右折をしようとして待機していたのだが、その2名は横断歩道を渡り切ると対向車に振り返り深々と礼をした。その次は僕が右折しようとしている路地の横断歩道を渡る様子なので、そのまま右折待機を続けた。2名はやはり横断歩道を渡り切ると、僕の方を振り返り深々と礼をした。よほど窓でも開けて声を掛けたい気持ちになったが、軽く右手を挙げて応え僕は自宅へと車を走らせた。こうした光景は、僕が宮崎に移住した9年前から経験している。最初は小学生だったが、振り返り声も出して「ありがとうございました」と言った。もちろん宮崎なら何処でもという訳ではないだろうが、たぶん小中学校で交通ルールなどの教育が為され浸透しているのだろう。
世間は耳目を疑うほどの「クレーム社会」と化しており、人と向き合うサービス業への就職を避ける傾向さえ出てきていると聞く。いま「サービス業」とは書いたが、「クレーム」対象は「病院や医師」、そして「学校や教師」にも常軌を逸した次元で行われているのが実情である。ちょうど1年生対象講義「国語」において、「うちの子は甘えん坊でぐうたらで先生なんとかしてくださいよ」(俵万智)の短歌から想像できる「物語」を書くという課題を出した。「三者面談」の場面の作品が多かったが、概して保護者が「クレーム」を言う場面が多く描かれていた。「国語」で育む力のうち「想像力」への理解を促す講義内容であったが、教員志望の学生らが想像する未来は「クレーム」に溢れているということだ。「サービス」を受けて当たり前、「金を払って」いるから当たり前、という貧困なる精神をいつからこの国の人々は「当たり前」にしたのだろう。いつからか政治家が「・・・は当然だ」などと物事の道理を言わずに平然と吐くようになったが、そんな世相と機を一にしていないだろうか。結局は「力あるもの」その力も「財力」を指標とする下等な競争原理を埋め込まれた社会に、「クレーム」が蔓延する根があったのではないか。一方でどんなに指摘を受けても、「知らぬ存ぜぬ」を通してしまう強引さを我々はこれほど見せつけられている。誰が「クレームを言わない方が馬鹿」と思える世の中にしてしまったか?実は明らかなのだと思わざるを得ないのだ。
些細な横断における礼節を表わす中学生
宮崎という一地方に残る心が世界平和に繋がるのでは
「思いやりの心」は決して当たり前ではなく相互の立場を尊重してこそ起動する。
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