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コロナに萎えない文学研究であるために

2022-10-10
オンラインの向こう側で会っていた2年半
リアルに会うことで気づくお互いの過ぎし日
あらためて研究の足場を見つめるために

和歌文学会大会2日目、大崎と五反田の間にある立正大学品川キャンパスへ向かう。山手線の北東部で生まれ育ったがためこの地域には馴染みがなく、新駅である「高輪ゲートウェイ」を初めて通過する。この「コロナ感染拡大トンネル」の間に新しく生まれたものもあり、また衰弱したものもあると知る。僕が学部時代に助手をしていた時からの付き合いである先輩が、SNS投稿で「自らも含めて病いや老いを感じられる方々が多くいてショック」という趣旨の投稿をしていた。たぶんオンラインで会ってはいるが、それは身体的変化を他者に知らせず「会った」という表現が憚られる行為なのだと悟った。今回も「オンライン」を選択することもでき、そのためか申込数は海外を含めて300名以上という会場校からの報告もあった。コロナ以前の大会では考えられない人数が関心を寄せているのがわかる。だがしかし、僕は遠方であるにもかかわらず「対面」を選択した。交通費・宿泊費をつぎ込んだだけの成果は何か?さながら「2年半」のトンネル内で煤けた闇から、リアルに人々と逢える世界を体験したいからだ。

「生の現場に立たされる」研究発表から多くの刺激を受けて、そんな思いに至った。この日の研究発表は4本、午前中は文化史・和歌史の上で「巨視的」な内容、午後は書誌学・文献学的に「微視的」な発表で好対照であった。僕自身の興味は午前中の内容に傾くのだが、「奈良・平安・鎌倉」の和歌史を通底して何が言えるか?という自らの問い掛けが新たに発動した。自身のテーマで「この部分」をさらに明らかにしておけば、この発表の「此処」を埋める説明がつく。研究発表をひと通り終えて、そのまま羽田空港に向かったが搭乗便までの時間で「此処」を思いつくままに書き出してみた。こうした意味で、これまでにやってきた古典和歌の研究をより体系的にまとめる時期になったのだと自覚した。宮崎にいることで得られた「作歌」をする立場の視点を加え、「古典和歌の作歌活動」の和歌史上の意味を明らかにしたい。ある意味で「研究学会」には、参加する者の「人生」が載せられている。「病いや老い」の問題を含め、感染拡大の闇に萎えない文学研究のために「対面」でこそ悟る現実があった。

宮崎・尾道・大阪と遠方の方々とのひと時
「あなたはどうしていますか?」を問うための対面学会
来週末は山口大学まで同じ志の発動を求めて向かう!


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