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まなびをえらぶー個別最適化へ向けた「国語」の学び

2022-08-08
自ら問いを立て問いを吟味し解決への方法をえらび取る
押し付けられるのではなく個々が最適な方法で学んでいくために
「課題を形成する」分科会で学んだこと

日本国語教育学会全国大会(オンライン)2日目、午前中は「校種別分科会3・小学校「課題を形成する」の指定討論者兼司会を担当した。延べにして40名ほどの方々が、参集いただいたであろうか。2名の小学校教員の先生方が、自らの現場での授業実践に基づいた提案をいただいた。いずれも「文学学習材」により学習者自ら「問い」を立て、さらに問いを吟味して解決方法そのものを模索して展開される授業であった。令和型の教育として「個別最適化」が唱えられているが、「知識・技能」を活かすために「思考力・判断力・表現力」を働かせることで、「学びに向かう力」を求める方向性であることは昨日の小欄にも記した。「教師」はあくまで支援者、「学習材」と対等な関係でそれぞれが主体的に「学習者」と関わることになる。「学習者」は「いまここ」で学んでいることの「意味付け」に、自らが気づくことが必要だ。旧態依然の授業観をお持ちの向きは、果たしてそれで「学び」になるのか?と疑われるかもしれない。だが、この国の社会の「横並び」「社会的意識の低さ」を考えてもらえばすぐにわかる。いかに押し付けられた上からの「授業」を「学び」だと勘違いして来た歴史が厳然とあることを。

「学習者」を信じること、まずは「指導者」が心がける根本的な姿勢である。それは口で言うほど単純なことでもなく、「放蕩的」に学習者を身勝手に解き放つことでもない。「指導者」は「学習者」と「学習材」のそれぞれの「主体的な存在」に向き合い、自らも主体的になり「学習を繊細に支援する」という精密な協働性の円環の中に置かれることになる。「学習者」が「劇をすれば(物語の)登場人物の気持ちがよりわかる」という方法を採用したとすれば、「どんな劇をどのようにするのか」に対して適切な助言が求められる。そんな発想が「学習者」から発案される背景には、「登場人物に聞いてみよう」という「他人事」では済まされない、「学習者」自らが「物語世界に入り込む」という仕掛けが必要になる。「子どもたち」が「遊びの方法」を自ら発案し楽しむように、「学習方法」を自らが見つけていくという発明・開発の発想を育てていくことになるのだ。提案者の先生の向き合う学習者も、まさに多様である。それゆえに「指導者の支援調整」も自ずと求められて来る。夏の甲子園大会も開幕したが、開会式をはじめとして「高校生が自ら作る」ことで開催されつつある。監督談話の「選手がよくやってくれました」という意味は、決して「監督のため」という誤解ではなく、「選手が(主体的に考え行動し試合に向き合ったゆえの)よくやってくれました」と解することに偽りのない環境であることを信じたい。

「指導者」が学びを深めるために全国大会の場に向き合う
僕たち教員養成に向き合う者も「主体的」に実践から学ぶ姿勢が必要だ
活発な質疑応答により司会者として助けられまさに「発見」のある対話が醸成できた。


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