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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第1章「永遠の旅」その1

2022-05-29
「あくがれて行くー牧水永遠の旅」
なぜ第一歌集『海の聲』に名歌とされる歌が多いのだろう?
ゲスト講師に伊藤一彦先生をお迎えし対談形式の新講座開講

いくつかの「何年ぶり」がある中、新講座が開講日を迎えた。感染者数はそれなりに高止まりだが、大学でも全面対面講義が実施されることもあり、公開講座もまちなかキャンパスに定員20名は遵守されつつも対面開講できた。もとより僕自身がもう5年ほども学部業務や役職で公開講座を開講できていなかった。赴任2年目から3年間ぐらいは「朗読」で多くの文学作品をともに読む講座を実施していた。その後、伊藤一彦先生との深い出逢いに恵まれ短歌と牧水に執心し、2016年頃から『牧水研究』にも毎号評論を執筆してきた。牧水の命日たる「牧水祭」においては、2019年に伊藤一彦先生との対談もさせていただき、「牧水短歌の力動性」という自分なりの牧水研究の切り口も見つけることができた。こうした長年の蓄積があって、今回はゲスト講師に伊藤先生をお迎えしての講座を開講できたことは誠に嬉しい限りである。そこであらためて牧水短歌を第1歌集から読み直してみようという試みを掲げ「第1章:永遠の旅」というタイトルの4回シリーズを本年度の前期に計画した次第である。

牧水の代表歌とされる「白鳥は」「けふもまた」「幾山河」などの名歌は、いずれも第1歌集『海の聲』に収載されている。だが早稲田大学卒業の頃の若き牧水は、出資予定者が隠遁してしまい師匠の尾上柴舟に借金をし700部ほど出版するものの、ろくに宣伝もしなかったことから歌壇・文壇で認知されることはなく大いに落胆したのだと云う。しかし後に歌人として著名になってからは、もちろん重複をして後の歌集に再掲した歌があったのも確かだが、今でも高い評価を受けている歌が多い。この日の講座で伊藤先生の弁によると、「第一歌集というのは歌人が意識・無意識を問わず自分の全てを出してしまう」のであるという興味深い見解が聞けた。それは与謝野晶子『みだれ髪』、斎藤茂吉『赤光』塚本邦雄『水葬物語』佐佐木幸綱『群黎』俵万智『サラダ記念日』などを見ても同様だと云う。いわば、その歌人の骨格たる歌が第1歌集に見えるというわけである。牧水の代表歌は何といっても「白鳥は」であるが、『海の聲』の中には他にも多くの「白鳥」を題材にした歌が見える。そうした同じ題材を多様に試作する姿勢があったからこそ、究極に素朴で普遍的な名歌として「白鳥は」の歌が人口に膾炙したということだという見解が具体的な資料とともに示すことができた。また僕が選んだ10首の牧水短歌は、「韻律の冒険が見える」という伊藤先生の指摘も重要であった。単なる五七調ではない「句割れ」のような歌作試行がこの時期の短歌に読める。「海」を甚だ意識することは「山」を意識し、双方をつなぐ「川」も意識することになる。その円環が「聲(反転した沈黙・しじま)」により循環するという牧水短歌の真髄が、既に第1歌集『海の聲』に読めるという再発見の講座となった。

次回(6/25)は「故わかぬかなしみどもー牧水と故郷」
伊藤先生と双方の資料から再発見のある講座
短歌を求めることそのものが「永遠の旅」であると再認識する機会であった。


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