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あの頃欲しかった研究日

2022-05-26
私立中高教員で土曜日は半ドン
日曜日も部活指導・引率がある生活
「研究日」がどうしても欲しかったあの頃

大学というのは個室の研究室にいることで、同僚がどのように研究や実務をしているかはわからない。夜になって研究棟を見上げて「遅くまで灯がついているな」とか、僕の場合徒歩10分ということもあり休日に忘れ物を取りに行くと「今日も来ている人がいる」とか、思う程度である。時間の使い方は多様であり、研究に集中できる時間帯も人によって様々だろう。ともかく研究業績が問われる仕事であるわけで、昨今は給与なども「業績連動性」などの選択を大学は促進している。だがプロ野球なら打率が低かったり勝ち星が上げられなければ自由契約になるものだが、指摘はされても契約解除には至らない。国立大学法人になって以降、交付金の減少で研究費が年々減額になっている厳しいい状況だが、潤沢だった時代の業績との関係や使用用途などにも問題はなかったのか?と思うこともある。それは中高教員だった頃からの僕の信念でもあって、専任ポストにあって「胡座をかかない」ことが肝要ではないかということだ。少なくとも大学教員は、「研究してなんぼ」ということを前提にすべきと思う。

私立中高一貫校の教員だった僕は、初任校では「研究日」がなかった。「私立」ゆえに土曜日も4時限まで授業があり、運動部が盛んで部活指導をしていないと半人前扱いされるような風潮もあった。最初は部活指導や全国大会に出場する部活動の応援に夢中になったが、いつしか教員として僕がしたいことは「国語を豊かに教えること」であると気がついた。すると反転して「学校のための時間」から「個人研究のための時間」へ多く配分をしたくなった。その志が募り勤務時間後に週3回語学学校に通い外国語の勉強も進め、「一般」で大学院入試を受けて合格した。ちょうど部活動に部員が集まらなくなって来た時期とも相まって、勤務時間が終わるや否や自転車で校門を飛び出し大学院の研究室に向かう日々となった。30分の行程を最短の道を開拓し、到着すると汗をかいた衣服を大学のトイレで着替えてストレート院生が余裕で来ている研究室に向かった。この時に抱いた思いは「研究日が欲しい」という強烈な願望であった。その後、公募採用に応募し中途採用、経験があることを大きな戦力として認めてもらった。週1回は研究日があったが、それはそれで様々な思いをした。この顛末は機を改めて記すことにしよう。こうした経験は、僕が「研究日」という言葉や概念にこだわる一因となっている。

一般の人々は「講義がない」と「休み」と解するがいやいや
講義さえも「研究」を常に更新していないと良いものにはならないはずだ
教材研究の浅はかな授業を中高現場でも山ほど見て来た経験もあるのだが・・・


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