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「私を超えた時代」昭和の歌謡曲を考える

2022-05-19
「有視界の私の時代よりも、時代を貪り食いながら太ったり、
 きれいに化けたりしていく世界の方が大きい。その大きい世界から、
 私に似合いのものを摘み出すのが、歌謡曲と人間との関わりであったのである。」
(阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮文庫2007)より)

火曜日「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」の講義が終わって、教室の出口付近にいる2人の学生に声をかけた。「前の方で熱心に聞いていますね〜。短歌は好きですか?」するとうち1人が「はい!歌謡曲が大好きなんです。」とマスク越しに微笑んで応えてくれた。学部を問うと「医学部」であるらしい。スマホなどでの定額聞き放題音楽配信サービスの利用が増えたからか、意外にも学生たちは「昔の歌謡曲」を知っている。昨日記した「木綿のハンカチーフ」などは、最近でも上白石萌音さんとか橋本愛さんなどの女優兼歌手がカバーしているせいか、特に「好きな曲」の一つだと講義レビューでコメントした学生も多かった。そこで「歌謡曲」という用語が気になり、冒頭に記した阿久悠のエッセイ集を買い求めた。その「序にかえて」には、「俗説では、昭和の終わりとともに、平成の始まりと同時に消えた」のが「歌謡曲」であると書き出されている。だが阿久悠は続けて「時代を呑み込みながら巨大化していく妖怪のようなもので、めったなことでは滅びたりしない。」として、「昭和の人間なら、巨大化や妖怪化やらを楽しめたのに、平成の人間の手には負えなくなったのだと、考えた方がいいだろう。」とも綴っている。「私の時代」とも阿久悠が呼んでいる平成も終わり令和となった今、果たして音楽はどんな時代を迎えたということになるのだろう。

人生のほぼ半分が「昭和」で、あと半分が「平成」である僕にとって、阿久悠の文章には深い興味を覚える。幼少から青春時代までを「妖怪化した歌謡曲」とともに育ち、教員として社会人として生きてきたのが「私の時代」。元号でこんな分け方をすることにもにいささかの疑問がありながらも納得をする。母などは「昔の唄はよかった」とそれこそ昭和末頃から言っていたと記憶するので、人生の三分の二が「昭和」であるのと時代とともに生きてきた意味が深く理解できる。昨年末に刊行した『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社選書108・2021年)では、主に80年代J-popを取り上げて「クリスマス」を基軸に時代の回顧を試みた。1989年が平成元年なので、80年代は「妖怪としての歌謡曲」から「私の時代」へ音楽が変遷した過渡期とも言える。たぶん僕が桑田佳祐を深く信奉することや、タツロウ・ユーミンが好きで、最近のミュージシャンにはなかなか奥深く陶酔できないのは、こんなところに理由がありそうだ。「昭和」の歌が「世間」を包摂していたとするなら、もちろん戦後の苦渋も高度経済成長も沖縄返還もオイルショックも長嶋引退というような時代感を含みこんでいたわけだろう。自ずと政治・社会への関心も高く、偏らず混沌とした社会が構成されていた。令和となって誠に綺麗なものばかりが社会を席巻するようになり、我々は100年ぶりに世界的な感染症に襲われた。そんなに「世間」を歌わないなら、いっそもっと「孤立化」しろとウイルスの驕った言い草が聞こえそうである。歌謡曲好きな若者が多いのなら、あの「妖怪」であった時代を伝えていくのも僕らの役目ではないかなどと自覚をする今日この頃である。

親友に連絡すればすぐ「あの頃」の曲を思い出す
「私の時代」とはいいながら個々の顔が遺らないのはなぜか?
阿久悠ということばを操る巨人の言い分に耳を傾けて


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