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あなたは何がしたいのか?ー自己存在に問いかける

2022-05-21
3年ぶりの対面学会春季大会
仕事を終えて上京するこの感覚
故郷は遠きにありてーあなたは何がしたいのか?と問いかける

3年ぶりの感覚。昼前後に雨が降り始めた宮崎、午前中から学生の相談と提出書面の確認などやや立て込んだ日程をこなす金曜日。今「立て込んだ」と書いたが、通常であれば学生たちとの対応は、大変に重要なものと急かされることもない。だがこの午前中のうちに午後の講義の準備はもとより、月曜日の講義準備を含めて諸々と先取りしてこなす必要があった。土日と研究学会春季大会が、誠に久しぶりに対面開催される。諸々の準備を含めて、この金曜日夕刻から上京する予定を組んでいた。空港の保安検査場に駆け込むように行くと、既に20分前の制限に引っかかり搭乗用の黄色の保安検査済みカードが発行されない。検査官が搭乗口と電話でやりとりして確認し、ようやく検査場を通過。それでもまだ自らが指定された搭乗順の「グループ2」の時間にはなっておらずトイレなどを済ませる。この時間の切迫感、この2年間忘れていた感覚だ。例によって航空機の中では1冊の本に向き合う時間、柳澤桂子『リズムの生物学』(講談社学出文庫2022)を読む。「人間の繰り返しを求める本能」「文化とリズム」などをDNAや天体の運行などから明らかにしようとする著作だ。高校の理科では唯一「生物」だけは得意であったが、生命科学の内容にはやや異質性を覚える。果たして自分が向き合っている研究とは何がしたいのだろう?という意識が次第に立ち上がった。

定刻より早く羽田空港に着陸。このスピード感ある移動の感覚も、いつしか忘れていた「速さ」なのだ。この2年、いつしかニュースでばかり観るようになっていた故郷・東京、モノレールも山手線も至って「普通」である。駅に降り立ち繁華街を歩くと「飲食店」でも至って「普通」の光景が見られていささか驚いた。密な空間で盛り上がって談笑しながら飲食を楽しんでいる人ばかり。今も宮崎ではやや感染を警戒した雰囲気が漂うが、その感覚が見事に覆された。世界的な視野で見れば「日本は慎重」だとされるようだが、その「日本」の中でも地方はなお「慎重」ということになるのだろう。世界的視野で「先を行く」というのは、こういうことではないかと思うところだ。だがその放蕩なところこそが、故郷・東京のダイナミックなところであり嫌いなところでもある。このような読書や東京の光景を観る刺激から、次第に「あなたは何がしたいのだろう?」という疑問がさらに湧いてくる。宵のうちは仲間と語り合い、そしてまた新たなものに出逢う時間。いつもその空間では「あなたは何を?」を思考する「自分鏡」のような感覚になる。苦労に苦労を重ねて宮崎でのポストを獲得するまで、様々に「あなたは何がしたいのか?」を自分に問い掛けた場所として貴重な故郷の帰るべきところである。

あなたの現在地はどこですか?
宮崎で出逢ったものの意義はなんですか?
With Coronaはいつしか次の時代を迎えているような不思議な感覚に陥った。


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鄙と都の意識やいかに

2022-05-20
夏目漱石『坊っちゃん』
遡れば「令和」典拠・太宰府に来た大伴旅人
地方にあくがれた自らの経験などから

NHKの朝の連続テレビ小説は、たいてい「ヒロインが故郷を離れ都会で厳しい環境を乗り越えて様々な人々と出会う経験を重ね、人間的に成長し恋も成就し成長する物語」である。現在放映中の「ちむどんどん」も本土復帰前の沖縄から、ヒロインがようやく東京に出て来たあたりを現在展開している。都会の冷めた対応にぶつかり辛く怖い思いをしながら、「沖縄県人会」のコミュニティーに出逢い助けられ鶴見に下宿するわけである。故郷とは、かくも温かく出身者を受け入れてくれるものか。第二次世界大戦のあまりにも悲惨な沖縄、その後の米国の占領状態によって、むしろ沖縄の人々の結束の意識は高い。大切なのはやはり人と人との繋がり、自らが安堵できるコミュニティーがあるや否やということだろう。ゼミにて漱石の『坊っちゃん』を対象として、「鄙」と「都」との問題を考えた。教師となって松山に赴任した主人公が、生徒の諸々のいたずらな対応に愛想を尽かす部分がある。「東京であれば」というような意識が随所に語られ、「鄙」に馴染めない自らを発見していく物語でもある。

「生まれも育ちも東京である先生はどうなのか?」という質問をゼミ生に受けた。自分の胸に手を当てて考えてみると、たぶん宮崎に来ることが決まる以前から「鄙」の生活にむしろ憧れていた節がある。東日本大震災が宮崎に来る2年前に起こり、東京で「震度5強」の地震に見舞われてマンション12階であった自宅書斎が崩壊した経験もその意識に至る大きな要因であった。それ以上に、自然に囲まれて生きることや自動車で自由に往来できるような生活への憧れのような思いが増幅していた。ゆえに「都」を離れることに後ろ髪引かれることもなく、新たな世界、新たなコミュニティーに住みことができる喜びに満ちて宮崎での生活を始めた。公共交通機関が不便であるとか多くの流行りの店舗がないなどは、全く否定する要素ではなかった。その自然と食材と人の温かさに多く癒される環境に出逢うことができた。正直言ってもう「都」に住む意味は、まったくわからない。この2年間の新型コロナ感染拡大に遭遇し、なお一層その思いを強くしている。東京一極集中が問題となるこの国でも、ようやく東京からの人口流出が顕わになりつつある。あるWeb記事でも、今後は大学経営でも多くの大学が乱立した「都」では厳しい状況が訪れることも懸念されているらしい。移動制限という経験をしたこの2年間で、多くの人が「鄙」の豊かな人間的な生活を発見する契機になったことを歓迎したいと思っている。

歩いて来てぶつかっても何も言わない「都」の人々
見知らぬ人でも挨拶をする現在の居住地の人々
幸福度ナンバーワンをさらに高めることへの貢献と自らが味わう環境がここにある。


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「私を超えた時代」昭和の歌謡曲を考える

2022-05-19
「有視界の私の時代よりも、時代を貪り食いながら太ったり、
 きれいに化けたりしていく世界の方が大きい。その大きい世界から、
 私に似合いのものを摘み出すのが、歌謡曲と人間との関わりであったのである。」
(阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮文庫2007)より)

火曜日「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」の講義が終わって、教室の出口付近にいる2人の学生に声をかけた。「前の方で熱心に聞いていますね〜。短歌は好きですか?」するとうち1人が「はい!歌謡曲が大好きなんです。」とマスク越しに微笑んで応えてくれた。学部を問うと「医学部」であるらしい。スマホなどでの定額聞き放題音楽配信サービスの利用が増えたからか、意外にも学生たちは「昔の歌謡曲」を知っている。昨日記した「木綿のハンカチーフ」などは、最近でも上白石萌音さんとか橋本愛さんなどの女優兼歌手がカバーしているせいか、特に「好きな曲」の一つだと講義レビューでコメントした学生も多かった。そこで「歌謡曲」という用語が気になり、冒頭に記した阿久悠のエッセイ集を買い求めた。その「序にかえて」には、「俗説では、昭和の終わりとともに、平成の始まりと同時に消えた」のが「歌謡曲」であると書き出されている。だが阿久悠は続けて「時代を呑み込みながら巨大化していく妖怪のようなもので、めったなことでは滅びたりしない。」として、「昭和の人間なら、巨大化や妖怪化やらを楽しめたのに、平成の人間の手には負えなくなったのだと、考えた方がいいだろう。」とも綴っている。「私の時代」とも阿久悠が呼んでいる平成も終わり令和となった今、果たして音楽はどんな時代を迎えたということになるのだろう。

人生のほぼ半分が「昭和」で、あと半分が「平成」である僕にとって、阿久悠の文章には深い興味を覚える。幼少から青春時代までを「妖怪化した歌謡曲」とともに育ち、教員として社会人として生きてきたのが「私の時代」。元号でこんな分け方をすることにもにいささかの疑問がありながらも納得をする。母などは「昔の唄はよかった」とそれこそ昭和末頃から言っていたと記憶するので、人生の三分の二が「昭和」であるのと時代とともに生きてきた意味が深く理解できる。昨年末に刊行した『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社選書108・2021年)では、主に80年代J-popを取り上げて「クリスマス」を基軸に時代の回顧を試みた。1989年が平成元年なので、80年代は「妖怪としての歌謡曲」から「私の時代」へ音楽が変遷した過渡期とも言える。たぶん僕が桑田佳祐を深く信奉することや、タツロウ・ユーミンが好きで、最近のミュージシャンにはなかなか奥深く陶酔できないのは、こんなところに理由がありそうだ。「昭和」の歌が「世間」を包摂していたとするなら、もちろん戦後の苦渋も高度経済成長も沖縄返還もオイルショックも長嶋引退というような時代感を含みこんでいたわけだろう。自ずと政治・社会への関心も高く、偏らず混沌とした社会が構成されていた。令和となって誠に綺麗なものばかりが社会を席巻するようになり、我々は100年ぶりに世界的な感染症に襲われた。そんなに「世間」を歌わないなら、いっそもっと「孤立化」しろとウイルスの驕った言い草が聞こえそうである。歌謡曲好きな若者が多いのなら、あの「妖怪」であった時代を伝えていくのも僕らの役目ではないかなどと自覚をする今日この頃である。

親友に連絡すればすぐ「あの頃」の曲を思い出す
「私の時代」とはいいながら個々の顔が遺らないのはなぜか?
阿久悠ということばを操る巨人の言い分に耳を傾けて


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歌詞は型の構造で訴える

2022-05-18
歌詞の持つ「型」の構造
あることばで始まり、リフレインで終わる
学生の作品もこの構造を活かした作品を秀作とせり

担当科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」も5回目を迎えた。概ね3回ごとに課題内容を変化させ、学生たちには多様な創作作品を求めて楽しんでもらっている。当初の3回は「物語(ラジオドラマ)を書く」であったが、前回から「歌詞を書く」とした。どんな作品が出てくるか楽しみにしていたが、秀作と判断した作品は尽く「型」を意識した書きぶりのものだった。一定の旋律の上に載せる歌詞であるゆえに、ある意味で「型」は必然である。前回は1975年、太田裕美が唄い大ヒットした「木綿のハンカチーフ」を取り上げた。その後最近まで多くのミュージシャンがカバーしていることも再確認した名曲である。遠距離恋愛となってしまった都会に行った男が「恋人よ」と語りかけることで始まり、後半は「いいえ、あなた」と地方に残った女が純朴な思いを語るという対話の「型」になっている。「都会の絵の具に 染まらないで帰って」と女は訴えるが、次第に男は都会が良くなって「僕は僕は 帰れない」という結末となる。そこで女が最後にねだったのが「涙ふく木綿のハンカチーフ」というわけである。この曲を聴くたびに当時太田裕美の大ファンであった従兄弟に捧げる曲だと思いつつ、僕は講義でこの曲を学生らに講じている。

この日の講義では、自著第1章に基づき「忘れられた待つこと」を考えた。講義冒頭に「あなた方が待てないもの・待てるもの」を周辺の人々と話し合ってもらい、スマホが当然の時代に生きる学生がいかなる「待つ」意識を持つかを対話してもらった。本来なら座席を巡ってインタビューをしたいところだったが、感染対策上を考慮して未だその方法は控えておいた。「恋において待つことは必然」である。そして「待つ」ことは決して負の要素ばかりがあるわけではなく、思考を沈着させたり縺れた糸を解く糸目を発見できたりするものだ。生きる上で「期待・希い・祈り」のある「待つ」ことができてこそ、新たなる境地に至ることができる。「叶わぬ恋に身悶え」ながらも人生の喜びを見出すことが歌われる桑田佳祐「ほととぎす[杜鵑草]」は自著に掲載した歌詞を参照してもらい、あれこれ学生たちに考えてもらった。そして1983年あみん「待つわ」、「わたし待つは いつまでも待つわ」の「型」がリフレインされる印象的な1曲だ。最後に1969年内山田洋とクールファイブが世にその名を知らしめた名曲「長崎は今日も雨だった」、前川清の「あああ あ〜長崎は〜」とマイクを引きつつ伸ばす声が印象的だ。「あなたにひとりにかけた恋」ながら「さがしさがし求めて ひとりひとりさまよえば」「愛し愛しの人は どこにどこにいるのか」と小刻みなリフレインが長崎の雨のように降り続き、「行けど切ない石畳」の情景を想起させていく「ひとり語り」の歌詞である。いずれも「恋人を待ち続ける」時間を信じている昭和の名曲と言えそうである。

武道や芸道の「型」の文化
キーワードとくり返しの訴える力
詩歌の味わいとの接点を考え続けている。


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沖縄復帰50年に思うこと

2022-05-17
「九州・沖縄地方」に住んでいる自覚
宮崎に疎開して工芸品を伝承した人々も
「外国に行って来た」という叔母の言葉を思い出しつつ

幼少の頃、両親が忙しく叔母と同居していたこともあって叔母から諸々のことを教わった記憶がある。当時から絵画に勤しみ個展を開くほどの腕前である叔母は、多方面に好奇心が強く社会にも批判的な考え方をしていると子どもながらに思っていた。確か僕が気に入った1枚の港の絵をもらって、新築となってできた自分の部屋に飾っておりその構図は今でもよく覚えている。そんな叔母が「外国に行ってくる」と言って、祖父母を含めた大家族であった一家で初めて渡航することに大きな衝撃が走ったことを記憶する。「外国」という行き先は沖縄、取得したパスポートを見せてもらい、両替したドル札を目にして子どもながらに外国とはどんなところなのだろう?と想像をしていた。旅行から無事に帰宅した叔母が、かなり写真を撮ったと現像の仕上がりを待った後に見た写真に再び衝撃が走った。「これはホテルに潜んで撮影した。見つかったらフィルムを取られたかもしれない。」などとまことしやかに語った離陸していく「B52戦略爆撃機」の写真であった。まだ幼少の僕がまさに初めて「第二次世界大戦」との「時間的物理的地続き」を実感した写真であった。されどそこは叔母の云う「外国」であった。

沖縄復帰から約10年後、高校生になった僕は修学旅行でしかも5月のこの時期に沖縄を初めて訪れた。初日はその後の首都圏高校の標準コースとなる「南部戦跡巡り」である。ひめゆりの塔・摩文仁の丘でのガイドさんのお話は実感がこもっており、バス内での説明の際にも涙ぐむ一幕もあった。やんちゃな男子校の所謂「ツッパリ」連中は気にもかけずという雰囲気で、お望み通り旅行後半でプライベートビーチもあるリゾートホテルに宿泊した。夜の自由時間に「プロレスごっこ」に興じ、日本の英雄レスラーが米国の悪役をやり込める図式を楽しみ、僕はなぜか「レフリー役」になっていた。「勧善懲悪」の狭間に立たされた気分で、いつしか演じていてやるせない気持ちになったのを記憶する。さらに10年の月日が経過し大学卒業後に教員になってからも、沖縄への修学旅行を幾度も引率した。進学率向上を意図した特進クラスを担任している際に目指したのは、現地の目線で戦跡を巡る意識が根付くこと。ひめゆり資料館で手記を熟読する生徒らが、涙ながらに読み続ける姿に「特進」などという命題より大切な教育ができたと自負した覚えもある。また女子校に転勤した後に「ガマ(主に南部に点在する地下洞窟のことで、戦時中に住民が避難し多くの人々が命を落とした戦跡)」にガイドさんとクラスごとに入る体験は貴重であった。中には洞窟の暗闇の中で動けなくなる生徒もいて、担任教員として狭い通路を背負って外まで連れ出したこともある。大学教員となってからも、「九州沖縄地区国立大学法人」の情報交換会で琉球大学担当回を訪れたこともあった。この僕が人生で持ち得るすべての記憶のうちにも、常に沖縄は大きな問題を抱え込みながら先日5月15日で復帰50年を迎えた。

直行便のある宮崎ー沖縄
再び訪れ現状の問題を考えたい
戦後を生き続ける僕たちすべてが沖縄を当事者として考えねばなるまい。


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変化と過去を蘇らせる短歌

2022-05-16
「じぶんの変化が、人を変化させたりするし、
 だれかの変化が、じぶんを変化させたりもする。」
(糸井重里『今日のダーリン』ほぼ日手帳2022年5月15日の頁から)

人間の細胞はこうしている今でも新陳代謝をくり返し、新しく生まれ変わっているのだろう。細かいメカニズムは細胞学の分野の方々にお任せして、単純にそれ自体に「物語」があるように思う。宇宙への想像も同様であるが、所謂「理系」の分野において考えたくなる「物語」は少なくない。細胞の新陳代謝こそが「生きる」ことであるとすれば、人間は常に「変化」していることになる。ところが日本の学校や社会では、「同じ自分でありなさい」ということを求められる。ある子どもが創造的な” やんちゃ“をしたとしよう、先生は「あなたはそんな人ではなかったでしょ」と諭す場面によく出会う。だが新陳代謝をして創造をしたのだから、むしろ”やんちゃ”こそが必然であり「面白い!」と褒め讃えられるべきかもしれない。「多様性」だと簡単に口にするが、それを認める原点はここにあるだろう。つまり「生真面目」というのは「応用が利かない」ということで、いつも現状維持では進歩もなく細胞次元でいえば固着し停滞し後退を余儀なくされる。

冒頭に記したことばが、この日の手帳の頁に記されていた。前述した内容と考え合わせるならば、個体の新陳代謝が連鎖的に他者を新しく変化させる可能性があることになるだろう。昨年末に結婚した姪っ子の花嫁姿の写真が母の元へ送られてきて、そのアルバムに見入った。人生の門出の笑顔は純粋で幸せに溢れている。自ずと自分たちの写真を妻が出してきたので、あらためてじっくり見入った。当時の思いが蘇るとともに、変化して来ている夫婦の時間を確かめることができた。こうしたことを考えるとやはり、人生にはアルバムが必要なのである。同様に最近は、過去の記憶を短歌に詠むことを実践している。つまり心のアルバムを開き直し、記憶の写真から当時は短歌創作をしていなかった後悔する細胞を新陳代謝させているわけである。すると仕事を引退してからの父はやや精彩を欠く生活をやむなしとしているが、過去を蘇らせれば実に「働き者」であったことが実感できたりもする。人生はトータルで山もあり谷もある、ならば寝る間を惜しんで働いていた父が、今はたくさん寝ていても罪はないのではと思えてくる。しかしながら、細胞は衰えてしまうだろうことが心配だ。僕たち周囲の家族が「変化」することで、父の変化を促すべきではないかなどと考えている。

殻に籠った思考を破ろう
今朝もまた新しい朝が来た
短歌のことばに励まされ、今日もまた新陳代謝の1日としたい。


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1首のために集う意義ー第369回心の花宮崎歌会

2022-05-15
未だ収まらぬ県内感染者の増加はあれど
1時間限定として開催された対面歌会
1首のために集える意味を噛み締めて

宮崎県内の感染状況は再び増加傾向で、8日連続で前週比増となり14日は550人の感染が発表された。直近1週間の人口10万人あたりの感染者数は「345.18人」となって、沖縄・北海道に続く全国3位。GW明けの5/6には「185.21人」であったのが、この1週間で倍近くに跳ね上がった。山梨・愛媛・徳島・長野・山形・鳥取・島根あたりの県が人口10万人あたりを「150人以下」に抑えていることから考えると、地方としては誠に高い数字であり警戒を緩めるわけにはいかない。このような事情でこの日の歌会も開催如何が事務局で検討されたようだが、やはり1ヶ月に1回は対面で集う意義を重視して1時間限定ながら歌会が開催された。出詠45首、欠席もやむなく目立ったようだが、それなりの人数が中央公民館大研修室に集った。その部屋の雰囲気、いつもの面々が揃うということ。毎月20日の〆切に向けて歌を提出し、此処に集うことの深い意義をあらためて感じさせられる。

1時間という時間限定ということもあり、高点歌に限定しての歌評となった。個別の歌に言及することは控えるが、いずれも素朴な中に心を絡め取られる要素がある歌と言ったらよいだろうか。また多様過ぎるのも問題はあるが、解釈が限定されず広く読める歌であることも重要である。描写された光景が「寂しい」と読むのか?「納得」と読むのか?議論が分かれた歌があったが、伊藤一彦先生の歌評では「その双方の意味合いを含むのではないか」という指摘もあった。ということは当該歌が、実に微妙に「葛藤」を表現していることになる。「素朴」だけでは読んだ際に「そうですか」と通り過ぎてしまうが、「心を絡め取られる」というのはこうした「対立」する感情を読者が抱くということではないだろうか。とりわけ歌の中で肝となる喩の中に、そのような多様な対立が読める歌には、自ずと互選票も多いように思われた。歌会そのものはご欠席であったが俵万智さん・大口玲子さんの5首選も発表され、短縮ながら意義深い歌会はお開きとなった。

1首のために集う歌仲間
伊藤一彦先生の弁に学ぶ奥深さ
ありがたきかな宮崎歌会


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絵が見える群読ーリアルの想像か物語に入るのか?

2022-05-14
宮沢賢治「注文の多い料理店」3人による群読
「絵が見える」という感想もあり、面白いが怖い物語
さて?どのようなプロジェクションマッピングに致しましょうか。

前日のゼミ活動の成果を早速発表する機会として、附属図書館創発ミーティングを実施。文学教材としての『注文の多い料理店』の読み語り群読を、主に工学部の院生チームの学生さんや参加した先生方に披露をした。聴く側の人々には「文字資料」は提供しない。なぜなら、「文字」があるとほとんどの人が読み語る声を傍らに置き去り、手元の「文字」を黙読するからである。多くの講演や講習で試しているが、十中八九の人々が「声」よりも「文字」を無意識に好むものだ。世間一般では「物語は(文字で)読む」ものだ、と思い込んでいる人々は少なくない。たがそれはまだたかが100年間ぐらいの慣習であり、元来の文学作品は「声」で享受されていくものであった。「文字」である以上、紙面・机上・平板から物語が飛び出すことはなく、あくまで「字面」の上でのみの絵空事である。物語は人間の身体性を通してこそ生きたものとして蘇るのだ。とりわけ「声の文学」ともいえる、宮沢賢治の作品にはこの方法で味わわない手はない。

読み語りを聴いた工学部院生チームのメンバーから、いくつかの提案が為された。この異分野融合においてこそ、新しいICTが生まれる。現実には起き得ないような不思議な現象が、物語内では起きる。そんな光景は光技術で演出をして架空に再現することができうそうだ。プロジェクションマッピングは、立体オブジェなどを対象に投影すると立体感が増幅することは融合短歌会で体験した。作品中の「扉」や「部屋」などが、どんな空間に再現されることになるのか?今から楽しみである。また日常にない自然との融合性、賢治は東北は盛岡の自然への意識があるだろうが、この教材化においては宮崎の自然を取り込み作品に溶け込ませるのも面白いという意見も出た。ゼミ生たちの読み語りについては、落語みたいに聴こえた、面白く語るか怖く語るか、などの批評が提起され、まさに「語り」になっていたことには一つの到達点が感じられた。最終的に附属小学校の児童たちへの授業化を目指しているに当たっては、「大学に来るとこんな楽しい学びができる」ことを誘発するのではという意見もあって、重要なキャリア教育の一端になることも確認された。

学生たちの個々の力が創発に花開く
未来の教育へ向けての教材・教具・環境の総合的な開発
「リアルな想像」ではなく、「物語世界に没入」というメルヘンな体験でありたい。



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役割読み『注文の多い料理店』

2022-05-13
ゼミ活動として「役割読み」
「下読み語り」「テクスト分析」「読み語り劇」「演出・効果」「監督助手」
声で表現し作品の奥深さを分析し再び劇性を導入し表現する

文学教材をどう読み解いていくか?果たして従来の「学校の国語の授業」の方法は適切なのか?例えば18歳になって、小中高で学んだ「文学教材」のどれほどを覚えているのが「標準な人」だろうか。機会あるごとに1年生などには「印象に残っている文学教材」を問うたり、また新美南吉『ごんぎつね』や太宰治『走れメロス』に芥川龍之介『羅生門』を学んだかどうか?を問うこともある。この小中高3定番教材なら100%と思いきや、『走れメロス』はやっていないと答える学生が一部にいることにいささか驚かされる。ほぼ全ての教科書に掲載されているゆえの「定番」であるのだが、必要性を感じないのか担当教員が割愛する実情も垣間見える。よく「当該学年(『走れメロス』なら中学校2年生)では難し過ぎる」という理由を耳にするが、もちろん完全理解に至らしめるのが文学教材の学びではない。生涯の随所で「再読」し続けるのが定番教材たる大きな価値であろう。きっと挫けそうになった20代になってから『メロス』を再読すれば、救われる人々がたくさんいるはずである。だが哀しいかなそうならないのは、文学教材を表面的にしか学ばないという「学校授業」における誤りに起因していると考えている。

話は迂遠したが前述の問題を解決する手段として、学習者が自ら役割分担をしつつ文学を読み解く方法がある。本年度のゼミ活動として、小学校5年生教材・宮沢賢治『注文の多い料理店』を大きな課題としている。最終的にICTを導入しチームティーチングによって附属小学校で授業実践する計画である。そこで教材の読みを全員が深めるためにも、あらためてこの教材を活動的に再読してみようとするのがこの日のゼミ活動である。冒頭に記したような役割を作り〈音読→分析→演出・効果→劇表現→ふりかえり〉といった流れでの活動をした。ゼミ生各自がテーマとして得意とする分野に役割をつけ、全員の力を結集して一つの教材を読み込む活動である。文学は世間一般に思われている以上に「論理」も学ぶことができるが、字面の上のみではなく身体表現を伴い音声化することで見えてくる点も少なくない。机上の「理論」が偏重される世の傾向にあって、本気で思考力や想像力を育むには、「表現」体験をなくしては語れないと思っている。台詞の多いこの教材ならなおさら、仔細な言葉の趣旨を捉える上で音声化活動は有効である。オノマトペなども駆使され「声の文学」ともされる宮沢賢治の作品であるゆえ、この方法を実践してみての発見が多くあった。欧米でよく実践されている「オーラル・インタープリテーション」にも通ずる方法ではないかと考え、文学教材を表面的知識としてではなく「体験」することで生涯読書として個々の学習者の心身に保管する方法であるともいえるだろう。

「いや、・・・・・」の言い方(趣旨)は?
登場人物の性格など想像力が旺盛に働く
読むスピードや濃淡、もちろん教師としての身体を育てる活動でもある。


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「禍福は糾える縄の如し」明日の晴れを信じてる

2022-05-12
「ものごとてぇものは、うれしい前にはきまって
 心配ごとや悲しいことがあるんです。」(古今亭志ん生の言葉から)
(真山知幸氏「今日1日を楽しむための名言マガジン」より)

誰しもが「幸福」でありたいと願っている。だが本日の標題のように禍(災禍)と福(幸福)は、縄を縒り合わせたように表裏をなすものと諺にある。親友のライター真山氏のメルマガに、落語の名人たる古今亭志ん生の言葉があった。「うれしい前」には「きまって」というところが肝心で、裏を返せば「心配ごとや悲しいこと」がなければ「うれしい」こともやって来ないとも読める。2年間が経過し今後も長引くコロナ禍、さらにはロシアのウクライナ侵攻で世界情勢は悪化の一途である。世界レベルで「幸福」には程遠く、「災禍」の足音ばかりに追われてしまう世の中である。それでもなお「この時代に生まれて」という言い方があるが、歴史的な知見を考え合わせれば、自らを「幸福」と思うべきなのかもしれない。知識は無理矢理に詰め込んでも意味を成さないが、今の自分を当事者意識を持って測るために活用してこそ意味をなす。同じ理屈で多くの「文学」を読むということは多くの禍福を知ることでもあり、現在の自分の位置を相対的に判断する糧となるものだ。

TVの報道番組において適切なコメントを個人的に支持していた、慶應大学教授の中山俊宏氏の訃報を聞いた。くも膜下出血により55歳という若さ、長身で見た目もダンディな方、この世界情勢下で今後も多くの的確な分析を進めてもらいたかった研究者としてあまりにも惜しまれる。くも膜下は突然に襲う病いであり急な激しい頭痛に見舞われると聞くが、我慢や忍耐をせずにすぐに医師の診断を受ける必要性を痛感する。他にも芸能界での複数の訃報に接し、あまりにもという感情を抱く事態が少なくない。何事もまずは心身の健全さを失わずに、「今日」を生きることが肝要であろう。こちらはWeb上で偶然に出会った記事だが、「人間関係を壊す4毒」は「批判・侮辱・自己弁護・逃避」であると云う。なるべくならこうした状況が身の回りにあるならば、極力避けるべきとのことである。「批判・侮辱」などを攻撃的にする人物は、結局は自らに災禍が返ってくるはずだ。他国を「批判」しつつ正当性を強調する独裁が、結局は自らの国の世界的立場を危うくする事態を僕たちは目の当たりにしている。「現状」を「禍」と見るか?「福」と見るか?二者択一的に分断して思考することなく、常に「糾える縄の如し」と考えねばならないだろう。

梅雨の走りとも云う南九州
だが明日の晴れを信じる希望を失わないことだ
日常の生き方があらゆる災禍をどちらの方向にも導くのであろう。


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