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やらされるかみずからやるきになるか

2022-03-23
やらされる学習は早々に記憶から消え
自ら生活に活用できるはずもなし
自らの思いが詰まった学びにするために

「指示待ち」という言い方が頻繁に指摘されてから既にだいぶ年月が経ち、今ではあまり世間では言わなくなった感がある。若い世代(に限らないのだが)が、指示を出さないと何もしないことを批判的に指摘する際の言葉である。今や「マニュアル化」は当然であり、「言われてやる」ことへの抵抗もない領域に入ったということか?昔日であれば「仕事は自ら見つけ先輩の姿を見て自ら学び取る」というのが常識であった。更にいえば心の奥では「こんなやり方ではダメだ」と、既存のものへの批判めいた思いも持っていたように思う。「主体的で多様な」とよく言うようになったのは、意識しないとそうでなくなったからかもしれない。OECD(経済協力開発機構)の実施する学力調査(PISA)では「読解力」とか「数学的思考」などの参加国ランクが取り沙汰されることは目立つが、「自ら進んで学ぶ」主体性に関するアンケート結果において日本が低いことはあまり喧伝されない。「読解力」なども一時の凋落傾向から回復したのは、「問題対策」を実施したからで、何事も「試験対策」を「学び」だと勘違いするこの国の傾向が浮かび上がる。社会全体が「やらされる」学習であることに批判的な眼を持てないことも問題だと思う。

「国語」における「読書感想文」「古典文法」「漢字学習」などは「やらされる」典型的なもので、いずれも学習者の身になる学びになることは少ない。むしろ「読書嫌い・古典嫌い・漢字嫌い」を助長する皮肉な課題であるのは、昔も今も同様であろう。自らやる気になればいずれも面白い学習になるものだが、残念ながら大学に入学してくる教員志望の学生でもこの三つへの課題体験の印象はあまりよくない。「読まされる・覚えさせられる・書かされる」という意識では、内容を身につけようとはなかなか思わないものである。同類のものとして論じてよいものかとも思うが、ウクライナがロシア側の予想以上に善戦しているのは「みずからやる気」があるからではないかと思わせる報道やコメントも多い。強制的に「やらされて」いるロシア軍と、祖国を護るために主体的に「やる気」なウクライナ軍という図式が士気の違いに明らかなのではないだろうか。強権による権威的な強制は、どんな場合でも下された者を幸せにはしないことがわかる。ウクライナの人々とみならずロシア軍の兵士の戦死者も将官を含めて多いと聞くが、その全てが「強制」の犠牲者でもある。学習のみならず、僕たちは自らの周辺にこうした「強権で権威的で威圧的な強制」があるとすれば、注意深く拒む必要があるだろう。

まずは目の前のことを自らやる気であるか?
暗黙の権威や強制に屈していないだろうか?
個々人が多様に主体的に幸せであるために・・・


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