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「つまらないものですが」の思いもよけれ!

2022-03-22
かつて昭和のCMに子どもの勘違いが
欧米人にはわからない謙虚さの典型として
贈り物をいただいた際の反応などにも文化の違いが

僕がまだ小学生の頃だろうか、同じ歳ぐらいの少年が登場するCMで次のような印象深いものがあった。大人が他の人に贈り物を渡す際に、「つまらないものですが」と添えることに興味を持った少年が真に受けて、他の場面で「それはつまらないものです」と言ってしまうユーモアある内容だったと記憶する。確か「渋谷東横のれん街」のCMで、渋谷駅周辺地下街であれば銘店揃いでどんな贈り物でも揃うといったことを宣伝するものであった。今や渋谷駅周辺も大きく変わってしまったが、渋谷を経由して恩師の御宅を訪ねる際などはこのCMが僕にとっては放映しているか否かにかかわらず効果的だったことになる。その上で「つまらないもの」という言い方はどうもかえって失礼のような感覚も、ある時期には持ったことがある。コントなら「つまらないなら持ってくるんじゃない!」と突き返すように、この謙譲的な日本語の習慣にやや嫌気がさした若い時期があったわけだ。贈り物をするなら「自分が好きで美味しいと思うものを選べ」というようなことは、今でも心掛けていることではあるが。

先月の県民芸術祭企画「うたごはん」の最終審査歌会(一部YouTube配信)で、食文化における比較が多く話題になった。食べ方や受け止め方の点で、洋の東西では大きく反転するものがある。スープを音を立てて飲むのは西洋では嫌われるが、蕎麦ならむしろ音を立てるのが粋な食べ方だ。西洋人は公共の食卓で鼻を大きな音を立ててかむものだが、所謂「ゲップ」は大変に嫌われる。炭酸飲料を飲む機会が多いのに、如何なることかと懸命に抑えた経験もある。贈り物をいただいた際は何よりもまずいち早くその場で開封するのが西洋人、開封しないのは中身に期待していないと思われてしまう。しかも包装紙を思いっ切り引き裂くように開封するのが、期待度の大きい証拠で贈り主への敬意に感じると云うのだ。日本の場合は周知のように、包装紙は丁寧にセロテープを引き剥がし、場合によると包装紙を保存しておいて紙細工を楽しむ御婦人なども多い。よっていただいた場面でそのまま開封することが、むしろ憚られた訳だろう。「裸銭」は人への贈り物として忌避され、祖母などはよくちり紙1枚でもお札を包んで僕にくれたものだ。世界情勢は、何が本心で何が嘘かわからない時代になった。相変わらず「八方美人」的な外交にしか見えない我が国であるが、世界で唯一の被爆国として包装紙に包み「つまらないものですが」と言ってもよい、中身において人道的で誰しもが納得する「お菓子」を世界に提供できないものかと思うのである。

卒業生がいつもの厚情として旅立ちの贈り物を
宮崎に学生として4年間学び、4年間を教員として貢献してくれた
8年間の親しき交流への思いが詰まった手紙は僕の財産でもある。


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