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まずは疑ってみる厳然たる世界として

2022-03-21
日常からTVでもWeb記事でも
まずは疑ってみないと危うい情報が溢れている
「信じる」とはどういうことであろうか?

地下鉄サリン事件から27年という報道を見た。あの日、高校教員だった僕は職員室で一本の保護者からの電話を受けた。「娘が日比谷線に乗って部活のために登校しているが、学校に着いているでしょうか?」すぐさま吹奏楽部の活動場所である音楽室へと走り、本人が登校していることを確認し胸を撫で下ろした。殺伐とした現場の報道に、何がどう起きたのか?最初はあまりわからなかった。しかし、次第に起きるべくして起きたのだとも思うようになった。そしてなぜ諸方面で優秀な人たちが「盲信」などしてしまったのか?「信じる」ことの怖さを考え続けている。あの頃、常にTVで冷静に的確なコメントをするジャーナリストの姿を見て、物事を考える際にはこうでなくてはなるまいと思った。その方とはその後、諸々の機会にお付き合いをさせていただいている。学んだことの基本は、「まずは疑ってみる」こととあくまで「現場主義」で行動することだ。安易に物事に靡いて迎合したり、その場の感情に流されないことが肝要である。どんなに科学的に考えようとしていても、人は僅かな感情の襞に迷い込み溺れて心酔してしまうことがある。誠に恐ろしいことである。

ウクライナ危機に関連しても、世界を所謂「フェイクニュース」が駆け巡っていると云う。以前に故・美空ひばりさんのAIによる歌唱を観たことがあるが、あの手法でぜレンスキー大統領のあり得ぬ内容の演説フェイク映像が出回っているらしい。そして「フェイク」はさておき、ロシア国内ではウクライナへの侵攻を正当化するプーチンの演説に、多くの民衆が賛嘆している様子も伝わる。これは「フェイク」ではない「現実」なのだろうが、それだけに人道的にも許されない戦争行為を正しいと信じる洗脳された民衆らの姿が恐ろしい。それはどこか、トランプ支持者が演説で煽られて議事堂に乱入した民衆の姿に重なってしまう。「自国第一主義」の強権的で横暴なリーダーを盲信してしまう傾向は、何にもロシアだけではなく世界的な潮流になっている怖さがある。これはたぶん、日本も例外ではないだろう。自らは枠の中に閉じ籠り、その枠に入らない人を差別し排斥する悪辣な図式である。「盲信」はエスカレートすれば、必ず改竄や不正が横行し武力によって暴力的に自らの「枠」を守ろうとする。ある意味で正統たるべき指導者が、「フェイク」の権化であることを僕らは世界情勢からもう何年も見せつけられている。ゆえにTVでもWebでも、語られている情報については、まずは疑うことが肝要なのだ。少なくとも権力を持っている人物の言葉は、まずは疑ってみよう。巧みに「あなたの立場だ」などという「フェイク」が忍び寄ることを僕らは忘れてはならない。

この国が教訓にできることはあまりにも多いのだが
それでもなお「盲信」や「ネット中傷」なども後を絶たない
スマホを所持するあなた、まずはその情報を疑っていますか?


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