芝居はしごー演劇文化拠点としての三股町
2022-03-14
烏丸ストロークロック×五色劇場『新平和』みやざき演劇若手の会 おはぎとぼたもち企画 Vol1『班女』
芝居で満腹な午後を三股町にて
毎日のようにTV映像で流されるウクライナの戦禍、そのあまりにも理不尽で悲惨な光景への憤りや哀しみを僕たちはどうしたらよいのだろう?世界史の視点で見ても世界は平常時ではなく、今後の欧州情勢やこの日本への多大な影響が避けられない情勢。だがしかし僕たちは自らの頭上にはミサイルや砲弾が降らないことをいいことに、次第にTV映像に慣れてしまってはいないか?スマホが多くの地球人の身近になったことで、即時に多くの情報が取れるようになったが、それだけに「リアルな現実」と「ネット上の架空」との識別に大きな危うさを感じる時代でもある。『新平和』という芝居は、そんな今だからこそリアルに舞台芸術として77年前の「広島」を僕らが語り継ぐために体験すべきものだ。「出演俳優の一人一人が被爆体験者やその時代を生きた人たちと1年間交流を続ける」ことで「体験の生の声を記録するオーラルヒストリーの手法」によるものと「上演にあたって」のパンフにある。5年間という長き時間を費やし、稽古時間よりも「多くの時間をディスカッションに費やし」という芝居の構成・演技は個々の役者が舞台上で語り部となるような鮮烈な印象を受けた。2019年の本公演、今回は京都・東京を経ての宮崎三股町での再演千穐楽に立ち会えたことは幸運だった。77年を経過しても世界に語り継ぐべきこと、一地方の三股町という小さいながら演劇の大きな可能性を秘めた町でこそ、「平和」を祈るために僕らは芝居を観たのだ。
終演後は急いで「はしご」で公演へ向かう。小倉邸という古民家での公演『班女』である。先月に公演を行って僕自身も出演した『牧水と恋』に出演した2名の女優さんが出演する。『新平和』の会場から既にそうであったが、先月の公演にて出逢ったり再会した方と多く会場でお会いする。これぞ人と人とが「つながる」ということ。三股町は「演劇」を基盤とした町づくり拠点として、明らかに整備されつつある。「短歌拠点」を考えたい僕らの構想には、誠に見本となる町なのだ。さて、『班女』は三島由紀夫原作の近代能楽であり、世阿弥の謡曲に源流がある。「待たない女・実子」に「待ち続ける花子」そこに「約束の扇を携えた吉雄」が交錯しすれ違う関係性の中で常軌を逸する物語だ。今回は2チームが違う演出でこの戯曲を展開したが、それぞれに知り合いの役者さんがいたのは、比較の視点を持つためにも有効であった。三島作品が持つ鮮烈な近代的課題と人間の狂気の実態、そこにはまさに多様な解釈が作る段階で生まれたであろう。視線・喋り方など感情表出をする人間としての演じ方、ただそこにある肢体のあり様、そこに謡曲における「遊女」性などまで考えが及ぶのは、文学をしている身として精査し過ぎであろうか。まさに漢籍や平安朝物語から情事がつながる延長に、小さな古民家の舞台があったように感じられた。
芝居を観る刺激
そしてまた自らが声を出したい衝動
三股町の演劇文化拠点に多くを学ぶのである。
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