fc2ブログ

自分がやりたいことを選ぶー大学の学費と進路

2022-03-12
「好きなことをやらせ」れば長期的な国力の向上に
それができなくなり「日本の学術的生産力がどれほど損なわれたか」
1970年国立大学授業料は年間12000円(月額1000円)入学金4000円

フランス哲学・批評家の内田樹さんが、Twitterに冒頭に記したような趣旨の投稿をしていた。今現在の国立大学法人では授業料535800円、入学金282000円で合計817800円が初年度の基本的な納入額である。この金額を自分で支払うことのできる高校生は「まずいない」としており、70年当時であれば「(高校生が)貯金箱をひっくり返せば1万円くらいあった。」と指摘する。当時の学習塾バイトが時給500円で、2時間働くと(月額)授業料が払えたのだと云う。ゆえに「『自分で出すよ』と言えば国公立なら進学先を自己決定できたのです。」と云うのだ。調べてみると国立大学授業料が現在の額に近くなったのが法人化した2003年(それ以前も段階的に値上げされてきたが)、昭和の終わり1988年(昭和63)で授業料300000円、入学金180000円(合計480000円)、僕らの時代1982年(昭和57年)で授業料216000円、入学金100000円(合計316000円)、1975年(昭和50年)で授業料36000円、入学金50000円(総計86000円)となっている。(文科省HPより)これを鑑みるに、やはり僕らの世代(1982年入学)でもなかなか高校生が初年度納入金を自分で出せるという額ではなかったのがわかる。僕の場合は、高校2年生頃から国立大学進学志望であったが、ある先生との出逢いでどうしても早稲田大学に行きたくなり、親に無理を言って私立大学に進学させてもらった。今思えば「早稲田に行ってなければ」
と思うことも多く、あの時に特に母が経済的な工面をしてくれたことは、今現在につながる大きな生産力と財産になったのだとあらためて感謝の気持ちでいっぱいだ。

進学先が親の意向通りかどうか?は時代を超えて大きな問題だったであろう。かの若山牧水も祖父・父と二代にわたる医師の家系を継がず、文学を志して早稲田に進学した。その後も故郷の親やその周辺の人々は牧水を非難したが、苦悩に苦悩を重ね短歌の道を貫いたからこそ今現在こうして短歌史上の偉人として語られる存在となった。「文学なんぞで金は儲からず稼げない」といった風潮は、僕らの時代でも語られたことであるが、それだけに「文学を志す」には確固たる意志が必要となる。高収入で安定した職種や就職先への線路が敷かれている道、いつの時代も親が子にそれを願うのは必然であるのかもしれない。だが子どもが大志・野望を持った時にそれを尊重できるのも親だけであろう。僕自身も親の家業である建築業を継がなかった息子であるが、こうした面で牧水と共感できる面もあると思っている。学部卒業後に高校専任教員を長く勤め、そして大学教員になった身として、時代とともに親の意向が強く子どもの進学先に働いているのを感じる。「好きなこと」を目指すよりは「偏差値の高い大学」への進学のみに親が躍起になり、本人の志向が無視されている実情に高校教員として向き合った経験も多い。「好きな音楽」がやりたかったのに、「教師を目指す」しかなかった親戚の貴兄の思いが悔やまれる時もある。そのためにも、高校までに「好きなこと」いや「好きそうなこと」を見つける思索の旅が必要になる。その上で奨学金の活用やバイトで学費が稼げる社会的環境が整うべきと思う。文学を志すことを許してもらった僕は、学部4年間は貸与奨学金+塾講師のバイトで自らの使用する分は賄った。卒業後14年間、教職に従事することで貸与額は免除になった。(現在はこうした制度もなくなってしまった。)さらに大学院は自分で現職教員として働きながら学費も支出し、総計9年間(修士3年間+博士後期課程満期6年間。一部大学独自の後期課程奨学金を受けた。)を修了し学位を取得することができた。そして今でも「好きなこと」が、宮崎でできる幸せに巡り逢えているのである。

次週予定されている高校生への講演準備に思う
「好きなことを仕事にする」ことこそが多様性のある豊かな社会だ
学部としても「教員志望」とは何かを社会的に考えていく必要もあると思う。



関連記事
スポンサーサイト



tag :
<< topページへこのページの先頭へ >>