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宮崎大学短歌会3月歌会ーテーマ詠「桃」

2022-03-11
桃の節句から1週間
食べる桃の実の歌が多く
お花や雛の歌は少なかったが

宮崎大学短歌会3月1回目の歌会。オンライン形式で出詠13首、総計7名が参加した。歌会設定の時季に桃の節句が視野にあったからだろう、詠草係が設定するテーマ詠「桃」に関する歌が並んだ。思うに「クリスマス」や「バレンタイン」であれば、その年中行事としての性格についての歌が多くなるものだが、「桃の節句」に関しては日常的な体験性が少ないということなのだろうか。「飾り雛」についての1首もまた、家の中に飾り続ける親への嫌悪を詠むような歌であった。急速で混淆とした西洋化に舵を切って約150年、短歌は特にその「文化」への向き合い方が表出する文芸と言えるだろう。「桃の節句」も「端午の節句」も「子どもたちのもの」という観念も浸透しつつ、「3月3日」には意外にもケーキ屋さんが繁盛しているという「クリスマス」に類似した傾向を帯びるのも気になるところだ。

素材としては「缶詰」「匂い」「ファジーネーブル」「桃一つ」「桃太郎」「白桃」「桃の花」「桃のケーキ」「桃の木」「白桃」「食べごろ」「飾り雛」などに加えて、「ももいろももにく」の13首であった。その甘い味や匂いについてが、やはり「桃」の持つ属性ということなのだろう。特に過剰とも思える甘さとの関係から相聞歌とも読める歌もあり、特に「腐る」ことを詠んだ歌には「不倫」を匂わせるという読みも為された。また「桃の実」の表面の傷つきやすさ、また皮の剥き方などを描写した歌には注目した。また「桃太郎」は誕生の由来からして成長の過程で「悲哀」孕んではいないのか?という疑問を呈する歌もユニークであった。文学素材としては高校漢文教材によくある『詩経』にある四言詩「桃夭」が気になる。「若々しい桃の実」を詠んだこの漢詩は、象徴的に「若く美しい女性」を指し「嫁入りどき」などの意味が辞書に見える。1980年代には作家・橋本治「桃尻娘」のシリーズ化した小説が流行し、その後『桃尻誤訳・枕草子』が話題になった。「実が尖っていて座りが悪い」といった用法が語誌としては定着し、桃の実の形状や色のせいだろうか、肉体を感じさせるイメージを持つのも年代と古典に傾倒しすぎた僕なりの固執であろうか。

得票が少ない歌の議論が喧しく多様な傾向も
オンラインゆえ遠方の他大学からの参加も大歓迎
コロナ禍となって2年、歌会はいつも健在だ。


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