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夫婦とは何か?ー「家」と核家族と新時代

2022-03-31
「家は制度として昭和二十二年(一九四七)の民法改正により廃止されたが、現実にはその後もある程度存続した。そして同三十三年ごろに始まった日本経済の高度成長に伴い、新民法が示す内容に近づき、核家族が一般化した。」(『国史大事典』「家」の項目より)

3月30日は両親の結婚記念日で、この日で60年を迎えることになった。この歩みなくして「僕自身」の存在はなく、色々な意味で感謝の意を告げたい日である。俗に「ダイヤモンド婚」などと言うらしいが、どうせ宝石商が名付けた商業主義ゆえに拘る必要もないと思いつつ、ささやかでも僕ら夫婦と話せる時間が持てたらよいと思い近所の焼肉店で祝宴を持った。母も前日までに「特に祝うことはない」と言っていたが、やはりこの日しかない一つの区切りとして大切にしたいという息子としての気持ちに急かされた。特別ではなく日常の馴染みの場所で楽しく語り合う、それが何より幸せだと僕らはあらためて知った。今ここにある日常が理不尽な脅威で破壊される、「平和」とは何でもない日常があることなのだ。また新型コロナ感染拡大も「下げ止まり再拡大」傾向であるが、これからは対策を取りつつも前へ進むべきではないかと思う。これもまた「今日」という日常が、掛け替えのない1日であると思うゆえである。

ちょうど9年前、僕が宮崎に赴任する直前に東京のホテルで親戚も集まり両親の「金婚式」を祝った。実際は「51年目」であったが、僕が非常勤講師で専任公募採用への挑戦を続けていたという事情もあって1年後の開催となった。あれから9年、一般的に考えるよりは遥かに高齢まで続けていた建築会社の経営も平穏に閉じることができ、宮崎へ移住して2年半。新型コロナを予見するかのようなタイミングでの宮崎移住で、両親の新たな夫婦生活がここに続く。冒頭に記したように「家」は民法上は既に存在しておらず、核家族が一般的な時代を経てさらに新しいパートナーとの関係が重視される時代である。だが『国史大事典』に「現実にはその後もある程度は存続した」とあるように因習の次元で「家」は我々をどこかで拘束しているようにも思う。「拘束」という負に思える面ばかりではなく、「親戚」の生きる姿に相互に励まされることも少なくない。母方の親戚の結束は以前から大変に強く、母の祖母方の親戚は「いとこ会」を40年近く継続していた。それに習って僕らの「いとこ会」も特に9年前の「金婚式」を契機に開かれるようになった。しかしここ2年間は感染拡大で中止を余儀なくされている。もうそろそろよかろうと、まずは目標として今夏の開催予定を母が立て始めた。年に1回でよい、核家族である僕たちが「家」の制度にも囚われることもなく(女系の親戚)、自由に楽しく語り合う時間が必要である。夫婦とは当事者2人だけでは支えきれないこともある。新時代において、両親の60年間の歩みを噛みしめる宵のうちであった。

私たちが最良に生きるために
何を大切に日々を歩むのか?
伴侶の大切さをあらためて考えている。


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プロジェクションマッピング歌会ーテーマ詠「渓流」

2022-03-30
「屏風歌:倭絵屏風の画賛として、各面に画かれた絵の世界を主題とし、
 おおく絵中の人物の心に託して詠まれ、その面の色紙形に書かれた和歌。」
(『国史大事典』「屏風歌」の項目・橋本不美男執筆より)

附属図書館学生創発活動として今年度に集中して取り組んで来たのが、工学部大学院のプロジェクションマッピンング制作チームの学生と短歌会学生との融合した活動である。プロジェクションマッピングとは、プロジェクター(投影機)を使用して空間や物体に映像を投影し、重ね合わせた映像にさまざまな視覚効果を与える技術のことである。そもそも学内学生公募企画「チャレンジプログラム」で予算を獲得した工学部院生チームが、投影内容の素材探しはどうしたらよいか?と考えていた際に、附属図書館創発活動の場において短歌会や僕のゼミ生らが試案を提供するという対話を持つ機会をこの1年くり返して来た。作品は3種類制作され、青島を背景にした牧水の「檳榔樹の古樹を想へ・・・」をモチーフにしたもの、図書館の窓が「どこでも窓」になるというもの、そして宮崎の清らかな渓流を壁面いっぱいに再現した大作が制作された。今回はこの「渓流」のプロジェクションマッピングが投影された会場で、歌会を実施するとどうなるか?というさらなる発展的な融合の試みであった。

テーマ詠「渓流」に出詠11首・参加9名+見学参加2名。普段とは違う暗闇の中ではあるが、渓流そのものが学生の足元まで流れ来るようなリアルな空間のなかでの歌会は、新たな可能性が感じられた。学生らの発案で渓流映像が流れ来る床に、畳状の敷物に座布団で座り込むという趣向もよかった。歌としては「枯葉」「(渓流の)岩」「高千穂」「ヤマメ」「鮎」「加江田渓谷」「清流」「水流(そのものの気持ち)」「方舟」「小川」「涙(渓流への見立て)」などを素材とする歌が並んだ。僕自身は同時刻に附属図書館運営委員会もあったので、そちらの「報告」の際にはタブレットでzoom(オンライン)による現場からの生中継も試みた。歌会に戻って思ったことは、日本の和歌短歌史には冒頭に解説を記した「屏風歌」が平安朝において、約百年間ほどは盛行であったことを考えるべきではないかということ。プロジェクションマッピングで投影される立体的動画作品を主題とし、絵中の人物に成り替わることでその心に託した歌が読まれというわけである。今回の詠草には、客観的に「渓流」の景を描きその場に創作主体が居るという点が要点となる歌が多かった。中には「渓流の水」そのものに成り替わる心を詠む歌もあって、大変に興味深かった。この歌会の模様は動画撮影がされており、近く大学HP等でダイジェスト動画が公開される予定になっている。

出詠作品の展示会などへ試案は展開する
新しい技術と短歌のコラボレーション
科学技術の発展がどれほど人の心を癒すか、短歌と融合することで叶えていきたい。


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レポート類のデジタル化

2022-03-29
この2年間の遠隔講義による変化
レポート類のデジタル化促進
紙資料の大幅削減でECOな研究室へ

今年度も最終週、新型コロナ感染拡大によって遠隔講義を盛んに実施して来た2年間が終わる。文科省が出した通達によると、次年度よりは極力「対面」による講義を実施せよということらしい。所属大学でも「原則対面」の方針が提示され、むしろ遠隔で実施するには特別な事情に基づく全学における「承認」が必要となる。だがすべてがコロナ前の講義方法に戻るのかといえば、僕の場合はそうではない。Webシステムを活用し主に講義時間外学習を対話的に実施できるようになったことは、むしろ遠隔講義がもたらした大きな利点でもあった。講義外で読んだテキストについて感じたことをチャット欄に書き込む予習は、学生がSNS書き込みをする感覚で主体的で自由な表現が多くなった印象だ。また講義内の課題をまとめる小レポートを「出席要件」にすることで、学生自身の理解度を十分に把握し、システム上でコメントを付して返却することができる。双方が負担のない程度の字数で小レポートは課すことが肝要だ。概ね1クラス20名前後400字小レポートならば、1時間でレポートチェックとコメント作成を完了する。さらには期末レポートに関しても、提出はすべてシステム上でデジタルデータである。

これによって学生レポートの管理が大変に安定した。紙ベースのレビュー用紙で学生ごとに個性的な文字で書いてもらうことにも大きな意味を感じているので、時折そうした機会も設けるようにはする。だが考えてみれば既に我々が「手書き論文」を書くことは難しいように、学生らがレポートを作成するのはデジタルが普通である。今後は「手書き」機会の確保にも配慮しつつ、デジタルを最大限に活用することになるだろう。レポートのデジタル化は、研究室のスペースを侵食することもなく、返却とか物理的な保管の必要性もなくなった。この日は研究室の整理を始めたのだが、9年前の赴任当時のレポート類が書棚のスペースを占有している。色々な意味で担当した学生のレポートは保管期間を過ぎても廃棄し難いたちだが、研究室のスペースにも限りがある。僕の母校では「吉永小百合のレポートを保管している」という教授がいるという噂を聞いたことがある。学生を見抜く慧眼であったのか、既に吉永小百合はスターだったのか?少なくともデジタルデータになったからには、スペースも取らずにすべてのレポートを容易に保管できるようになった。研究室の紙ベースレポート類を整理し、赴任9年間という月日を思い返す日々である。

文字の構成と学校の板書との関係なども
保管しておいても見返す機会もなかなかないものだが
デジタルデータであればポータブルディスクの中に保管庫ができる。


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命の物語を紡ごう

2022-03-28
人の心とは常に誰かと生きていること
その人に護られ支えられまた今日を生きる
今ここにある私たちの命の意味

人の心には論理や事実や証拠などを超えて、どんなものでも想像できる自由な翼がある。こんな書き方をすることそのものがやや近現代的な二元論というか、科学があっての考え方かもしれない。だがもしこうして文章を書くような我々の意識になく、無意識の領域で作用する範疇があるとしたらなどと、未だ人間がその深層をわかっていない面も多々あるようにも思う。海に波音を聞けば、そんな人間が未だ解らぬ世界と繋がっているような気にもなり、誰かを待ちたい気分になるのはなぜだろうか?どこまでも広い空を見上げれば、自分自身の命につながる多くの人たちが居るかのように面影が思い浮かぶ。牧水の名歌「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」は、そんな人間の未だ解らない領域の間(あわい)に「染まずただよふ」という人間という存在の普遍を詠うのが名歌たる所以ではないだろうか。

高校の「理科」で唯一好きだったのが「生物」だった。それは前述したような「物語的」「人文的」な人間存在への捉え方に、いささか科学で図式を与えてくれそうな内容だったからである。「生命」を考え「抗原抗体反応」を知り「遺伝」の神秘を理解しようとする内容には、明らかに「物語」があった。長い歴史の中で人は「命」のリレーをくり返し、哲学・宗教・文学によって「物語」を次世代に繋いできたのだ。その「物語」が、科学は万能であると拡大解釈されてきた近現代でにおいて、軽視され続けて来ているのであろう。大自然の前に無力である人間存在を悟った東日本大震災においても、その現実を受け入れるにはやはり「物語」が必要だった。ゆえに自分自身が、そして人生をともに歩む伴侶が、「命のリレー」を受けて生まれ育った「物語」を知って理解することが大変に重要なのである。

バトンはさらに次世代へと引き継がれ
新たな舞台へと旅立つ者もいる
あらためてこの「命」の「物語」を見つめる貴重な時間。


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義理を超える君のふるさと

2022-03-27
「義理」を辞書で引くと諸々の意味が
大河ドラマを観ていても「忠義」の関係などが
だがそんな語義など超える君のふるさと

日本社会を考える際に、「義理」は欠くべからざる用語であろう。手元の『日本国語大辞典第二版』によれば、(1)物事の正しい道筋。(2)職業、階層、親子、主従、子弟などのさまざまな対人関係、交際関係で、人が他に対して立場上務めなければならないと意識されたこと。体面。面目。(3)つきあいや社交の場で述べる口上や挨拶。(4)特に世間的なつきあいの上で、仕方なしにする行為。(5)血縁以外の者が血縁と同じ関係を結ぶこと。(6)わけ。意味。(7)(能で)劇としての筋、内容。(一部を割愛)などとある。用例の上では(6)あたりが古く、派生的に(1)あたりが展開し時代とともに(2)あたりが増えた印象を受ける。(あくまで個人的で恣意的な憶測なので語誌まで正確に調べた訳ではないことをお断りしておく)それにしても(2)に「務めねばならない」とか(4)「仕方なしに」などの表現が伴い、現代の「義理チョコ」に通じる趣旨を感じさせる。だがしかし、本来は(1)のような語義であり、安易な関係性に使用すべきではないようにも思われてくる。

妻の実家を訪ねる機会が、いつも楽しみである。その街の風を感じると、宮崎の中でも特に穏やかな時間に身を任せられるような愉悦に浸れる。車で走りながら妻が幼少の頃の思い出を口にするたび、その様子を想像できて豊かな関係が深まったような気になる。育った場所を知ることは、その人の見えない年輪を見ることでもあり、日常の関係性に多くの補助線を引いてくれる。その理解の多寡は、見知らぬ二人が生活をともにする際に大変に影響が大きいように思う。もちろん街の風景のみならず、実家でいただく食事の数々にも大変に口が馴染む。僕は特に幼少時から、親戚の家でもなかなか出された食事が進まない傾向が顕著にあった。どうも他の家の味というのが正直、得意ではなかった。しかし、妻の実家は最初から違った。食事の美味しさが格別で、どんな料理でも口に合う物ばかりなのだ。もちろんそれは、風土と家庭とが実に見事に融合して自然体であるからではないかと思う。このような思いを抱くと、前述した「義理」という言葉を使用して説明できる場所ではないように思えてくる。今回もまた、君のふるさとで過ごす週末となる。

漁港に着く漁船を出迎える家族たち
この穏やかな風は何なのだろうか?
今朝もまた街を歩き蛙の声を聞きながらその秘密を短歌へとパッケージする。


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ワクチン副反応奮闘記

2022-03-26
4月から全面対面講義
接種券が来るなり集団接種会場で予約
副反応はそう出ないだろうと思いきや

新たなもの、調子のよい話、利点ばかりを喧伝するもの、などには常に懐疑的になるのは研究者としての性であろうか。今回の新型コロナワクチンに対しても、当初から甚だ疑いをもって考えていた。接種しての副反応と感染リスクを天秤にかけると、後者の方が大きなリスクだという物言い。天秤にかけるという時点で、接種にもリスクがあるということになる。メッセンジャーRNAというワクチン方式は新たに開発され画期的だという物言いも、明らかに治験数が少なく感染拡大の世界情勢を背景に「見切り発車」で使用されているとも言える。またワクチンを製造する製薬会社についても、F社が安定しておりM社は副反応のリスクが大きいなど、まことしやかに社会に広がった情報であるが真偽のほどはわからない。これらに対してWeb上の情報、知り合いの医師など、諸々と知見を聞いた上で最後は自分で判断を下すしかない。完全な収束、そして元通りの世界に戻ることは、たぶんほぼほぼ不可能なのであろう。第1次世界大戦時にスペイン風邪が流行し100年が経過し、今もインフルエンザワクチン接種が続いていることを考え併せてみるとよい。などと書き記すと、100年前も戦争と感染症拡大とが重なって世界を覆ったことが大変に気になって来る。100年間の近現代で、我々はどんな未来へ向けて歩んできたのだろう?と思う。

昨夏に1回目・2回目の接種をし、その後の情勢から3回目はどんなものかとまた懐疑的になっていた。2回目にはいささかの副反応で発熱したが、薬を1度だけ服用するだけで回復した。それほどの負担でないことは実感できたが、永遠かのようにこの「ワクチン接種サイクル」に嵌っていてよいものかとも思う。僕にとっては幼少時に、腿の裏側に痛い注射を受けた経験があり、その際にTV等の報道で足の筋肉が短縮してしまうという薬害が報告され幼心にゾッとした記憶がある。あらゆることを考え合わせ、的確な判断をしたいというのはこうした経験から来るものだ。感染状況は昨年とも違い、第6波といわれるものはなかなか下火にならない。感染力の増長に反して重症化はしないということもまことしやかに喧伝されたが、高齢者をはじめとして死亡者は後を絶たない。もはや2年間が経過しこの感染症においても、新たなフェーズで対応しなければならないようにも思う。つまり感染症の脅威に怯えて「行動しないことへの副反応」のリスクに対応すべきということだ。などと考えて、今回は接種券が来たのですぐさま市の集団接種会場を予約した。それは4月からの大学講義が全て対面であることも大きな要因で、講義開始前2週間のこの時期の接種に効ありと考えたからだ。ワクチンはM社製、接種当日から翌日の午前中までは何ら副反応も出なかったが、昼を過ぎて発熱した。やむなく仕事上の会議が午前・午後1つずつあり、その間に昼食で帰宅した際に検温・服薬。会議を終えて早目に帰宅したが、熱は上がる一方で最高で39.5ほどの熱が出た。早目に次の薬を飲むがよいと言った妻の忠告を受け入れず、6時間の間隔に根拠がどれほどあるかも知らず、遵守した末の体温であった。早々に服薬しないと解熱作用が低下する、など妻の助言が脳裏をかすめ合計3度の服薬。今朝になってようやく平熱に戻った次第である。

まずは身体的にこの社会への順応を
今後の感染状況はどう移行していくのだろうか?
歴史はくり返されないことを祈りつつ


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卒業式に思うのはいつもーハイブリッド卒業式

2022-03-25
4年間のあり方が集約して表れる数時間
3年ぶりのシーガイアコンベンションセンターでの挙式
卒業生・教職員のみの入場として

宮崎が誇る国際会議もできるシーガイアコンベンションセンター、此処を会場として卒業式・入学式が挙行されるのが恒例であった。かなり大規模な会場であるが、例年は保護者に加え兄弟や祖父母の姿も多く見られ、式典会場は座席がないほど盛況な式典となるのが常だった。しかしここ2年間は新型コロナ感染拡大により大規模な式典は中止を余儀なくされ、学部講義棟教室での手作り感ある卒業式を挙行していた。2年前は直前1ヶ月ほどの間にあれよあれよと感染拡大が社会を覆いはじめ、学部教務担当の責任者であった僕は代替な式のあり方を検討することに唐突に追われたのである。コースごとに教室を分散し時間差により1会場30分以内の開催、未だ新型コロナの実態もよく判らないうちにしては、よくぞ的確な判断ができたものかと他の先生や職員の方々の尽力に今更ながら頭が下がる思いだ。「非常時こそ結束する」そんな手作り感ある卒業式に、卒業する学生らも応えて納得して卒業したようであった。日常の教室に袴など晴れ着姿の学生たちは大変に目映い。ある意味で学部の歴史に刻まれた2年間で、僕個人としては感慨が深い記憶となった。

大学の卒業式に保護者が伴うか否か?前の晩に妻といささかの話題になった。同線上の話題で言えば大学入試に保護者が付き添うか?かなり以前から就職試験に保護者が同伴する、という社会現象が高校教員の間で話題になったことがある。大学は保護者会さえ開催し式典は座席数を十分に確保し、入試では保護者控室の容積を次第に増やしてきたのがここ30年間の流れとも言えるだろう。だがその流れが新型コロナの唐突な出現で、明らかに断たれたといってよい。昨日もコンベンションセンター会場入口で検温・手指消毒、さらには健康チェックシートの記入(健康状態や連絡先・当該センターの規制方法であるようにも思う)が義務づけられた。僕は混雑を避けるため早々に会場駐車場に到着したが、そこには保護者の姿があった。式典の様子は動画配信がなされたのでスマホ等でも視聴することは可能で、ある意味で「ハイブリッド講義」の手法で卒業式が挙行されたことになる。宮崎の場合は会場の立地場所からして公共交通機関での往来は制約されるため、晴れ着姿で自ら運転して会場の来ることも難しい場合も少なくない。自立した生活を大学周辺でしてきた学生らも多く、卒業式ぐらいは参列したくなるのも人情である。だが現状でこの会場で開催するには、こうした規制をやむなしとするしかない感染状況であるジレンマが付き纏った。予想以上に教員で出席する人も少なく、ゼミ生に聞くと大学キャンパスに戻る学生らも少なくなかったらしい。僕が長年、中高教員をしてきたからであろうか?この日の式典のあり方には、やはりいつも考えさせられるものがあるのである。

卒業生の旅立ちの笑顔
ゼミ生らとは新型コロナに翻弄される活動の2年間であった
人々が集まる様々な機会を再考せよとウイルスは言っているのだろうか?


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調和を維持する能力ーゼレンスキー大統領演説に思う

2022-03-24
チェルノブイリ原発
化学兵器・核
市民被害者そして津波と復興

ウクライナのゼレンスキー大統領が我が国の国会議員を前に演説をするとあって、予定時間前に帰宅してWeb配信をTV接続にして待機した。この演説を国会が受け入れるかどうかについては、紛争国の一方側のみの演説であることなどが議論されたとも報道で知った。周知のようにロシア側は、日本との平和条約交渉を制裁に反発し打ち切り、北方領土返還交渉などが遠のいてしまったことも考え併せなければなるまい。その上で、人道的にも許されるべきではない侵攻・攻撃に対して「平和」をどこよりも世界に訴えねばならない我が国が、その悲惨な状況への訴えに耳を傾ける必要性も強く感じる。Web中継は「同時通訳」で口頭で日本語訳が流れたので、真の趣旨はどうなのだろう?といささか懐疑的でありつつも、的確な内容と思いつつ約15分間ほど続いた。米国議会での演説を報道で聞いていたので、聞く側が奮い立つようなものを予想したが、至って調和のとれた内容であったことが大変気になった。おそらくはゼレンスキー大統領の演説は、演説の対象となる国の特徴に適応した内容・方法を戦略的に採用しているように思える。まさに聞く側の立場に立つという、演説の基礎基本が踏まえられていたとも言えよう。

標題のように「日本には調和を維持する能力」があると、ゼレンスキー大統領は訴えた。演説そのものの姿勢に、それを体現して盛り込んだ。そこが元俳優である彼の演出の際立った点である。もちろん側近のブレイン・ライターがいることも指摘されているが、国ごとに演出を変えることを実に巧みにこなしており、世界の指導者を見回してもそうそうこうした演説力を持った者は稀少だ。さらには、冒頭に記したのが演説に盛り込まれた要点であるが、実に我が国の抱え込む歴史的な内容の問題提起であった。ここ最近の国内報道でも、地震による電力逼迫や新潟・柏崎刈羽原発の杜撰すぎる管理体制が目立った。3.11から11年を経ても、こうしたエネルギー問題に対応できていない現状を僕たちは目の当たりにした。また、3.20地下鉄サリン事件から27年の報道も忘れるべきではない。もちろん広島・長崎から核兵器廃絶への市民の声を世界へ届け続けることは永遠の課題であり責務である。ゼレンスキー大統領の演説は、さらに「市民被害者」に言及し「津波」のように押し寄せる攻撃の理不尽さや悲惨さを訴えた。そしてどの観点にも「復興」への希望が盛り込まれていたように思う。「調和のとれた」冷静な演説でありながら、実は我が国が抱え込む問題を暗黙に炙り出していたとも言える。「調和の維持」が安易な妥協の上にあってはならないことを考えさせられた。ウクライナ危機は、世界の危機である。国連が平和的な解決に未だに機能しないことへのゼレンスキー大統領の訴えを、僕ら地球人ひとり一人が真摯に受け止めねばならないだろう。

戦争への悔恨と平和への祈り
核兵器・原発・サリン・津波〜我々がこの国で経験した災禍
市民ひとりの命が尊ばれる21世紀を20世紀は予想していたはずなのだが。


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やらされるかみずからやるきになるか

2022-03-23
やらされる学習は早々に記憶から消え
自ら生活に活用できるはずもなし
自らの思いが詰まった学びにするために

「指示待ち」という言い方が頻繁に指摘されてから既にだいぶ年月が経ち、今ではあまり世間では言わなくなった感がある。若い世代(に限らないのだが)が、指示を出さないと何もしないことを批判的に指摘する際の言葉である。今や「マニュアル化」は当然であり、「言われてやる」ことへの抵抗もない領域に入ったということか?昔日であれば「仕事は自ら見つけ先輩の姿を見て自ら学び取る」というのが常識であった。更にいえば心の奥では「こんなやり方ではダメだ」と、既存のものへの批判めいた思いも持っていたように思う。「主体的で多様な」とよく言うようになったのは、意識しないとそうでなくなったからかもしれない。OECD(経済協力開発機構)の実施する学力調査(PISA)では「読解力」とか「数学的思考」などの参加国ランクが取り沙汰されることは目立つが、「自ら進んで学ぶ」主体性に関するアンケート結果において日本が低いことはあまり喧伝されない。「読解力」なども一時の凋落傾向から回復したのは、「問題対策」を実施したからで、何事も「試験対策」を「学び」だと勘違いするこの国の傾向が浮かび上がる。社会全体が「やらされる」学習であることに批判的な眼を持てないことも問題だと思う。

「国語」における「読書感想文」「古典文法」「漢字学習」などは「やらされる」典型的なもので、いずれも学習者の身になる学びになることは少ない。むしろ「読書嫌い・古典嫌い・漢字嫌い」を助長する皮肉な課題であるのは、昔も今も同様であろう。自らやる気になればいずれも面白い学習になるものだが、残念ながら大学に入学してくる教員志望の学生でもこの三つへの課題体験の印象はあまりよくない。「読まされる・覚えさせられる・書かされる」という意識では、内容を身につけようとはなかなか思わないものである。同類のものとして論じてよいものかとも思うが、ウクライナがロシア側の予想以上に善戦しているのは「みずからやる気」があるからではないかと思わせる報道やコメントも多い。強制的に「やらされて」いるロシア軍と、祖国を護るために主体的に「やる気」なウクライナ軍という図式が士気の違いに明らかなのではないだろうか。強権による権威的な強制は、どんな場合でも下された者を幸せにはしないことがわかる。ウクライナの人々とみならずロシア軍の兵士の戦死者も将官を含めて多いと聞くが、その全てが「強制」の犠牲者でもある。学習のみならず、僕たちは自らの周辺にこうした「強権で権威的で威圧的な強制」があるとすれば、注意深く拒む必要があるだろう。

まずは目の前のことを自らやる気であるか?
暗黙の権威や強制に屈していないだろうか?
個々人が多様に主体的に幸せであるために・・・


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「つまらないものですが」の思いもよけれ!

2022-03-22
かつて昭和のCMに子どもの勘違いが
欧米人にはわからない謙虚さの典型として
贈り物をいただいた際の反応などにも文化の違いが

僕がまだ小学生の頃だろうか、同じ歳ぐらいの少年が登場するCMで次のような印象深いものがあった。大人が他の人に贈り物を渡す際に、「つまらないものですが」と添えることに興味を持った少年が真に受けて、他の場面で「それはつまらないものです」と言ってしまうユーモアある内容だったと記憶する。確か「渋谷東横のれん街」のCMで、渋谷駅周辺地下街であれば銘店揃いでどんな贈り物でも揃うといったことを宣伝するものであった。今や渋谷駅周辺も大きく変わってしまったが、渋谷を経由して恩師の御宅を訪ねる際などはこのCMが僕にとっては放映しているか否かにかかわらず効果的だったことになる。その上で「つまらないもの」という言い方はどうもかえって失礼のような感覚も、ある時期には持ったことがある。コントなら「つまらないなら持ってくるんじゃない!」と突き返すように、この謙譲的な日本語の習慣にやや嫌気がさした若い時期があったわけだ。贈り物をするなら「自分が好きで美味しいと思うものを選べ」というようなことは、今でも心掛けていることではあるが。

先月の県民芸術祭企画「うたごはん」の最終審査歌会(一部YouTube配信)で、食文化における比較が多く話題になった。食べ方や受け止め方の点で、洋の東西では大きく反転するものがある。スープを音を立てて飲むのは西洋では嫌われるが、蕎麦ならむしろ音を立てるのが粋な食べ方だ。西洋人は公共の食卓で鼻を大きな音を立ててかむものだが、所謂「ゲップ」は大変に嫌われる。炭酸飲料を飲む機会が多いのに、如何なることかと懸命に抑えた経験もある。贈り物をいただいた際は何よりもまずいち早くその場で開封するのが西洋人、開封しないのは中身に期待していないと思われてしまう。しかも包装紙を思いっ切り引き裂くように開封するのが、期待度の大きい証拠で贈り主への敬意に感じると云うのだ。日本の場合は周知のように、包装紙は丁寧にセロテープを引き剥がし、場合によると包装紙を保存しておいて紙細工を楽しむ御婦人なども多い。よっていただいた場面でそのまま開封することが、むしろ憚られた訳だろう。「裸銭」は人への贈り物として忌避され、祖母などはよくちり紙1枚でもお札を包んで僕にくれたものだ。世界情勢は、何が本心で何が嘘かわからない時代になった。相変わらず「八方美人」的な外交にしか見えない我が国であるが、世界で唯一の被爆国として包装紙に包み「つまらないものですが」と言ってもよい、中身において人道的で誰しもが納得する「お菓子」を世界に提供できないものかと思うのである。

卒業生がいつもの厚情として旅立ちの贈り物を
宮崎に学生として4年間学び、4年間を教員として貢献してくれた
8年間の親しき交流への思いが詰まった手紙は僕の財産でもある。


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