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まずは疑ってみる厳然たる世界として

2022-03-21
日常からTVでもWeb記事でも
まずは疑ってみないと危うい情報が溢れている
「信じる」とはどういうことであろうか?

地下鉄サリン事件から27年という報道を見た。あの日、高校教員だった僕は職員室で一本の保護者からの電話を受けた。「娘が日比谷線に乗って部活のために登校しているが、学校に着いているでしょうか?」すぐさま吹奏楽部の活動場所である音楽室へと走り、本人が登校していることを確認し胸を撫で下ろした。殺伐とした現場の報道に、何がどう起きたのか?最初はあまりわからなかった。しかし、次第に起きるべくして起きたのだとも思うようになった。そしてなぜ諸方面で優秀な人たちが「盲信」などしてしまったのか?「信じる」ことの怖さを考え続けている。あの頃、常にTVで冷静に的確なコメントをするジャーナリストの姿を見て、物事を考える際にはこうでなくてはなるまいと思った。その方とはその後、諸々の機会にお付き合いをさせていただいている。学んだことの基本は、「まずは疑ってみる」こととあくまで「現場主義」で行動することだ。安易に物事に靡いて迎合したり、その場の感情に流されないことが肝要である。どんなに科学的に考えようとしていても、人は僅かな感情の襞に迷い込み溺れて心酔してしまうことがある。誠に恐ろしいことである。

ウクライナ危機に関連しても、世界を所謂「フェイクニュース」が駆け巡っていると云う。以前に故・美空ひばりさんのAIによる歌唱を観たことがあるが、あの手法でぜレンスキー大統領のあり得ぬ内容の演説フェイク映像が出回っているらしい。そして「フェイク」はさておき、ロシア国内ではウクライナへの侵攻を正当化するプーチンの演説に、多くの民衆が賛嘆している様子も伝わる。これは「フェイク」ではない「現実」なのだろうが、それだけに人道的にも許されない戦争行為を正しいと信じる洗脳された民衆らの姿が恐ろしい。それはどこか、トランプ支持者が演説で煽られて議事堂に乱入した民衆の姿に重なってしまう。「自国第一主義」の強権的で横暴なリーダーを盲信してしまう傾向は、何にもロシアだけではなく世界的な潮流になっている怖さがある。これはたぶん、日本も例外ではないだろう。自らは枠の中に閉じ籠り、その枠に入らない人を差別し排斥する悪辣な図式である。「盲信」はエスカレートすれば、必ず改竄や不正が横行し武力によって暴力的に自らの「枠」を守ろうとする。ある意味で正統たるべき指導者が、「フェイク」の権化であることを僕らは世界情勢からもう何年も見せつけられている。ゆえにTVでもWebでも、語られている情報については、まずは疑うことが肝要なのだ。少なくとも権力を持っている人物の言葉は、まずは疑ってみよう。巧みに「あなたの立場だ」などという「フェイク」が忍び寄ることを僕らは忘れてはならない。

この国が教訓にできることはあまりにも多いのだが
それでもなお「盲信」や「ネット中傷」なども後を絶たない
スマホを所持するあなた、まずはその情報を疑っていますか?


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人間に帰巣性はあるのだろうか?

2022-03-20
「動物が遠くから自分の巣へ帰って来る性質、または能力。
 帰家性。帰家本能、帰巣本能。」(『日本国語大辞典第二版』より抜粋)
あなたの帰る場所はどこですか?

酒好きな諸氏なら身に覚えがあるだろう、酔って知らぬうちに家に帰り寝床に入っていることを。どのようにどんなふうに帰宅したかの過程の記憶については定かではない、ことが定かである覚えである。大学時代などは都内の大学で都内の在住だったので、こうした状況をよく経験した。たぶん間違いなく山の手線に実家の最寄り駅まで乗車し、駅から間違いなく歩いて家の鍵も開けて自分の部屋の寝床にもぐり込む。だが翌朝にその過程をあまりよく覚えていないが、断片的な記憶が蘇る場合もある。今思えば、こうした泥酔の行動は誠に危険である。酒に酔った駅での事故などが報道されることも少なくない。都会で電車が利用できるのは便利だが、大きな危険があることを自覚すべきである。宮崎に移住してからは、ほぼこうした酔って公共交通機関を利用して帰宅することはなくなった。街からもタクシー以外には手段がない。よくこれを「不便」だという人もいるが、僕はむしろ利点と捉えている。学生たちも一人暮らしなら大学近辺に住む者も多く、帰宅が困難である事もない。

学生時代にこうした泥酔経験を、「帰巣本能」などと戯れに名付けていた。冒頭に記したのが辞書的な定義であるが、それを「本能」と呼べるかどうかは科学的には慎重であるべきらしい。「ある動物が日常生活範囲の外へ連れ出されても、再び戻って来る」ことで、「渡り鳥」や「海鳥」の習性などを云う場合が多いようだ。かつて西村寿行の長編小説「犬笛」が映画化され話題になった事もあったが、犬は何千キロも離れた飼い主の元へ帰って来る物語である。酒に酔う酔わないは別として、たぶん人間は人間なりの「帰巣」的な感情があるようにいつも思っている。大学に入学した時の「自分の居場所は何処だろう?」と思う疑問と孤独感、専攻やサークルで自分の「居場所となる巣」を見つけることが大学での最初の課題であったように思う。幸い僕は日本文学専攻でもサークルでも人間関係に恵まれ、良い巣で育てられたと思っている。当時の指導教授を囲む先輩後輩との繋がりは今でも厚く、僕の人生の財産でもある。などと考えると、自らが大学学部で研究室(ゼミ)を担当し既に9年目となる。多くの卒業生が県内外で教員として頑張っており、初任校から二校目へ転任になる時期を迎えいくつかの連絡を貰っている。次第に横の学年のみならず縦の関係も繋がり始め、まさに「巣に帰る」ように卒業生が帰って来てくれるのが嬉しい。まさに「心の故郷」として、僕が大学で経験したことを自らの学生の人生にも提供し繋いでゆきたいと思う。

「おかえりなさい」「ただいま」の声のように
学生時代からよく酒を酌み交わした仲間たち
新型コロナとか紛争とか、人と人とがつながることを阻害されてなるものか!


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かかりつけ医・行きつけの店への感謝

2022-03-19
どんな時にも親身に診てくれる安心
どんな時にも笑顔で美味しい料理を
まずは身近な人とつながるということ

ウクライナ情勢のニュースが先行するのもやむを得ないところだが、新型コロナについても約2年が経過したが、未だ感染拡大の様相は落ち着きを見せない。当初から2〜3年は付き合うことになる、などと専門家が語っていたが少なくとも2年後の春にはこのような現状だ。ウクライナ情勢の報道に伴い僕らが特にわからなくなったのは、欧米の感染状況が今どうなったのか?ということだ。「それどころではない」のが欧州の実情であろうが、ウイルス以上の脅威が生じてしまったということだろうか?日本でも既存の感染症と同じ次元に対応を変更する議論がなされ始めているようだが、果たして僕らはどのように見極めたらよいのだろう。無症状罹患とて安心できず、将来的な後遺症という指摘にどれほど与したらよいのか。僕自身も当初は3回目のワクチンにも懐疑的であったが、この状況ではやはり打つべきと考えが変わってきた。特に高齢の両親にとっては重要であるとも考える。宮崎県内でも毎日のように、高齢者の方のコロナによる死亡が報告されているからだ。

今回の母の接種は、「かかりつけ医」の先生のところで実施することになった。1回目・2回目は市民体育館での集団接種であったが、それはそれで親切に対応していただいた。(僕自身も同所で集団接種を受けた)だが考えてみれば、問診する医師とはその場限りの刹那なお付き合いである。この感染症が長期戦であるからこそ、母のような年齢であればかかりつけ医の先生に目をかけていただき接種すると基本的な安心感が大きく違う。この日は休暇を取得して、母をかかりつけ医のクリニックまで連れて行った。接種は普通であれば事務的なのだろうが、母は特に先生が目をかけて血圧測定など、体調にも配慮してくれたと聞いた。感染対策上、僕はクリニック内に入らなかったが、外の駐車場にて感謝の思いをもって待機した。その後、夕刻から行きつけの洋食店へ両親を連れて行った。1・2回目の接種の際も、その後に鰻など栄養のつくものを食べると安心するというジンクスを担いだ。感染拡大もあって行きつけとはいえ、ここのところ数ヶ月単位で行くことができていなかったが、店主も奥様も穏やかな笑顔で迎えてくれた。誠にこの日は、かかりつけ医行きつけの店の親身な応対に感謝と幸せを感じる1日であった。

心が通い合う相手こそ信頼できる
こちらの立場で物事を考えていただけるということ
宮崎では確実に東京にない親身な密度があると感謝にたえない。


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平和をペンで訴える物語ー文学が生きるために

2022-03-18
「文学は危機」なのであろうか?
旧態なものを懐古・復帰させるだけでは
生か死かの瀬戸際で訴えることばの力

「ペンは剣よりも強し」この言葉を小学生の頃から意識していた。それは僕が通っていた幼稚園のすぐ隣に全国でも名だたる超進学中高一貫男子校があり、その学校の校章がそれであったからだ。下に描かれた「剣」を上から「ペン」が封じるイメージ、未だ戦後30年ぐらいの時代の社会風潮と相まってその理念は大切なのだと子どもながらに感じていた。自由解放的な学校で僕ら小学生が校庭で遊んだりグランドで野球をしても怒られず、決して教室も清掃が行き届いているわけではない。中学受験の際に親や塾に勧められたこともあったが、結局は受験もしなかった。それでも教員になってから公募採用があって、既に他校で教員だった僕は果敢に受験をしたことがある。最終選考まで残って多くの先生方に囲まれるような面接を経験したが、やはり此処で教員をするのが幸せかどうかには疑問に思った。もちろん先方も大多数の眼で見ていたわけで、僕のそんな素性を悟って不採用としたのだろう。だが実家までチャイムが聞こえるその学校を、いつもどこかで意識しているのは今でも変わらない。

「ペン」が象徴するものは、単に「書き物」だけではない。口から放たれる「ことば」を含めて人間が生身で表現できるすべてを指すと考えてよいだろう。もちろん「論理」も「ことば」で構成されるのだが、「感情」に訴え「人を動かす」のはまさに「文学的物語」である。「平和とは何か?」という堅苦しい論説を2時間読むより、「戦時に生きる生身の人」が放つことばが演じられる舞台を2時間観た方が明らかに人の心は動く。昨日の小欄でもウクライナのぜレンスキー大統領が他国の議員を対象に、先方の国民として琴線に触れる演出を十分に施した「物語的手法」で訴える演説のことを書いた。当該二国を対立項として語るのは好ましくないが、明らかに歪めた論理だけを吹聴する侵攻している側の国の首長のことばとでは大きな隔たりがある。「ナラティブ(物語的)」がいまあらためて21世紀の平和に必要であることが明らかにされているとも言えるだろう。一方で学問・教育の分野で「文学」の扱いが、軽視されつつある傾向が否めない。「文学は社会に役立つのか?」という成果主義的な指標ばかりが重視されるからだろう。そこで僕たち文学研究者は、旧態な研究を懐古的に復帰させようとする動き方で果たしてよいのだろうか?とも疑問に思う。世界の平和が危機にある今こそ、あらゆるジャンルを超えて「物語のことば」こそが人の心をつなげるものだと自覚をあらたにすべきである。

「ペン」が書き記す渾身の「ことば」
口から放たれて人の心に浸透していく
平時から豊かなことばの使い手として生きることが平和の原点でもあろう。


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演劇をなめるなよ!ー現実以上の真実ゼレンスキー大統領

2022-03-17
大統領を演じるTVドラマがあった
その延長として、70%を超える支持で現実の大統領に選出される
隣国の強権指導者よ!演劇をなめるなよ!と言うがごとくに・・・

ロシアがウクライナに軍事侵攻を始め、約3週間が経過する。日々のニュースで観る悲惨な市民らの映像に哀しみと憤りが止まらない。世界各国からそして国連でも非難と制裁措置が相次ぐが、両国は交渉を続けつつもなかなか停戦とはならない。僕たちは地球の一市民として、この戦争に断固たる「NO」を言い続け流べきと思う。ある番組でウクライナのぜレンスキー大統領が、かつて芸人・コメディアンであったことに触れ、自らが大統領になる主演ドラマが人気を博したことへのコメントを聞いた。調べてみると2015年から「ウクライナ国営放送」にて、「国民の僕(しもべ)」全24話が放映されたらしい。粗筋としては一介の歴史教師が素人政治家として大統領に当選してしまい、ユーモアを交えながら腐敗した政界と対決し社会を改めてゆく物語だそうだ。ドラマは大人気となり、映画版や「シーズン2・3」と続編が制作され、次第にウクライナ国民の間では現実の大統領出馬への期待が高まり、2019年にドラマタイトルと同名の政党「国民の僕」を立ち上げ、ドラマ通りに当選したと云うのだ。

大統領選挙や就任後にも、ドラマ原作の展開と同じようにWeb上で公正で自由主義的な呼びかけをぜレンスキー大統領はくり返して来ていると云う。先週は英国議会、昨日は米国議会において動画やオンライン中継による演説を行い、日本の国会での演説も希望しており受け入れ調整中らしい。演説の詳細を聞いたわけではないので表面的な印象でしかないのだが、ぜレンスキー大統領の演説は、明らかに人をつないでいく上で効果的であるように思う。ドラマの中でも主人公が常に「親愛なるウクライナ国民へ」と呼びかけ現実でも多用しているそうだが、その愛情に満ちた言葉に国民の思いはつながるのであろう。ロシアの思惑以上にウクライナが善戦して防衛をしているのは、こうした大統領の姿勢が有効に機能しているようにも見える。虚構たる演劇において、僕たちはいつも英雄を待ち望んでいるのかもしれない。時代劇でもヒーロー物でも、主人公が社会や地球をいつも悪の手から救ってくれる。江戸時代からの勧善懲悪物の流れとして一括りに「善/悪」と二項で考えることには注意が必要だが、現実以上の真実として僕たちはいつも平和を護る英雄を待っている。ぜレンスキーという一人の人物は、ユーモアと芝居という風刺を表現するには最適な活動を通じて、英雄を演じつつ国民に現実でも求めたい理想を見せたのだ。これぞ演劇が「現実以上の真実」である証ではないだろうか。世界に救いを求めるぜレンスキー大統領の言葉に、僕たちは地球規模で応えていく責務があるように思う。

邦画にあった『記憶にございません』
この国でももっと夢を見ませんか?
演劇・文芸・文学の意味が世界で問われているとも言えるだろう。


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プロとして学生と語り合う

2022-03-16
「プロ」はスポーツ選手のみならず
大学教員としてプロであるためには
学生たちと語り合う貴重な時間

県内高等学校課題研究発表会がオンライン開催され、「人文社会系」講演で50分間の話をさせてもらった。題目は「三十一文字(みそひともじ)の宇宙への旅」として、短歌の表現の奥行きには「宇宙」が読めるという内容とした。僕自身が「研究への出発点」とした文学への興味とともに、高等学校教員としてスポーツの全国大会に出場する教え子たちがプロの道に進み、厳しい環境で自らの技量を試している姿に感化されたという話題を導入とした。自らに妥協があったり「結果」を出せなかったらそれで終わり、プロとして輝いた教え子たちもいれば、自由契約となって再生の道を歩む者もいた。そんな教員生活において「文学・国語教育の道で僕自身はプロであるだろうか?」という思いが芽生えた。教員となって10年に迫ろうという時期に大学院進学を志し、修士を3年(通常2年で修了可能)博士後期課程を6年満期まで、さらに3年の間に学位論文審査を受けて合格するまで12年という月日において自ら学費も捻出して一世一代の賭けに出たのだ。その結果、僕はいま宮崎で大学教員として教員養成に携わっている。研究の原点となった古典和歌から最新刊の短歌とJ-pop比較まで、高校生に興味深い話題を提供することができたと思っている。

本来であればどこかの会場で一堂に会して行われるであろう発表会、オンライン講演は集まることによる感染リスクはないが、高校生たちの反応がわからない。画面越しに教室での様子は多少わかるのだが、音声を含めて細かな反応は講演者に伝わって来ない。欲を言えば講演後に高校生らと雑談などもしたいと思っている口なので、誠に講演後の虚しさが止まらない。この2年間、僕らは大学の講義でも同様の憂き目を見て来た。授業前後の雑談を学生たちとできない、いわば授業には無関係なことを語り合う場がなくなってしまったのだ。授業受講者のみならず、特に自らのゼミ生たちとの雑談や語り合いが少なくなってしまったのは誠に残念なことである。文学のことでも、実習や講義など学生生活のことでも、はてまた個々の学生の「恋ばな(恋の話)」でも、ゼミ以外の空間・時間に語り合うことは貴重だ。所謂「飲み会」(宮崎では「飲み方」という)で語り合うことが学生の成長に大きく貢献すると考えている。これは僕自身が大学学部で指導教授との酒宴からこそ多くを学び、多くの先輩後輩と豊かに語り合えた経験に基づく価値観である。学生たちの素のままの意見・実情・褻の生活を知ってこそ、文学に向き合うゼミの意義が高まるということである。そろそろ「感染への注意」を怠ることなく、貴重な学生たちとの時間を取り戻してもよい時期なのではないだろうか。

「人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ」(牧水)
妥協なき「プロ」として学生たちと付き合う貴重な時間
また、宮崎の多くの高校生たちが「三十一文字の宇宙の旅」にあくがれることを願いつつ。


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鳥・虫たちと花々を愛でてこそ平和

2022-03-15
通勤路にいる鳥たちの歌
今年も咲いた水仙の花
居住の中に仕事、仕事の中の居住

3月ながら宮崎で28.4度を記録、これは12年ぶりということで僕が宮崎に移住する以前からあった特異なことではないようだ。地元TV局の天気予報で指摘されていたが、前週同曜日から17度も上昇したと云う。衣服はまだすっかり冬物を着ていたが、土日ぐらいから薄着を意識し始め、この日はすっかり夏物を意識せねばならなくなった。宮崎ではよく春秋の短さが言われるが、まさに「春」はあまりにも短く「夏」が来た印象である。通勤路には多くの鳥たちを見かけるが、その活動も活発になってきたようだ。その飛び方には躍動感があり、地上を跳びはねる姿も嬉しそうである。今現在、こうした鳥たちの種類を見分ける眼を持つことが大きな趣味的課題の一つとしている。鳥のみならず虫たちも一気に顔を覗かせ、小型の蝶は舞い、玄関前では耳に聞こえる羽音がしていた。待っていた宮崎の自然が一気に動き出した。

鳥や虫たちのみならず、花もあちらこちらで目にする。自宅の庭の植え込みにある水仙たちが、嬉しそうな笑顔を覗かせた。整備をしようと思いつつなかなか着手できない庭の植え込みであるが、当初から植わっている球根が毎年必ず裏切ることはない。その白い花びらと花芯の黄色との取り合わせは、明るい春を深く実感できる。ちょうど昼食を取りに帰宅すると、タイミングよく母が散歩がてら水仙の花を見に来た。春の花はこんな小さな偶然を引き起こすもので、やはり花のある生活は潤いがあるものだ。人間はともすると、自らの命への自覚が薄らぐ場合が少なくない。だが身近に花があれば、朝晩の水やりがいかに大切かがわかる。生命への敬愛の思い、人ひとり、鳥一羽、虫一匹、そして花一輪を大切にしようと思う気持ちが世界平和への道だろう。自然が踏みにじられるというのは、人間そのものの存在の否定に他ならない。ウクライナに真の春が一日も早く来ることを願い、自分の周辺にある鳥虫花を愛でるのである。

確定申告も期限を目前に完了
次年度への声を多く聞くようになった
「重いコート脱いで出かけませんか」


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芝居はしごー演劇文化拠点としての三股町

2022-03-14
烏丸ストロークロック×五色劇場『新平和』
みやざき演劇若手の会 おはぎとぼたもち企画 Vol1『班女』
芝居で満腹な午後を三股町にて

毎日のようにTV映像で流されるウクライナの戦禍、そのあまりにも理不尽で悲惨な光景への憤りや哀しみを僕たちはどうしたらよいのだろう?世界史の視点で見ても世界は平常時ではなく、今後の欧州情勢やこの日本への多大な影響が避けられない情勢。だがしかし僕たちは自らの頭上にはミサイルや砲弾が降らないことをいいことに、次第にTV映像に慣れてしまってはいないか?スマホが多くの地球人の身近になったことで、即時に多くの情報が取れるようになったが、それだけに「リアルな現実」と「ネット上の架空」との識別に大きな危うさを感じる時代でもある。『新平和』という芝居は、そんな今だからこそリアルに舞台芸術として77年前の「広島」を僕らが語り継ぐために体験すべきものだ。「出演俳優の一人一人が被爆体験者やその時代を生きた人たちと1年間交流を続ける」ことで「体験の生の声を記録するオーラルヒストリーの手法」によるものと「上演にあたって」のパンフにある。5年間という長き時間を費やし、稽古時間よりも「多くの時間をディスカッションに費やし」という芝居の構成・演技は個々の役者が舞台上で語り部となるような鮮烈な印象を受けた。2019年の本公演、今回は京都・東京を経ての宮崎三股町での再演千穐楽に立ち会えたことは幸運だった。77年を経過しても世界に語り継ぐべきこと、一地方の三股町という小さいながら演劇の大きな可能性を秘めた町でこそ、「平和」を祈るために僕らは芝居を観たのだ。

終演後は急いで「はしご」で公演へ向かう。小倉邸という古民家での公演『班女』である。先月に公演を行って僕自身も出演した『牧水と恋』に出演した2名の女優さんが出演する。『新平和』の会場から既にそうであったが、先月の公演にて出逢ったり再会した方と多く会場でお会いする。これぞ人と人とが「つながる」ということ。三股町は「演劇」を基盤とした町づくり拠点として、明らかに整備されつつある。「短歌拠点」を考えたい僕らの構想には、誠に見本となる町なのだ。さて、『班女』は三島由紀夫原作の近代能楽であり、世阿弥の謡曲に源流がある。「待たない女・実子」に「待ち続ける花子」そこに「約束の扇を携えた吉雄」が交錯しすれ違う関係性の中で常軌を逸する物語だ。今回は2チームが違う演出でこの戯曲を展開したが、それぞれに知り合いの役者さんがいたのは、比較の視点を持つためにも有効であった。三島作品が持つ鮮烈な近代的課題と人間の狂気の実態、そこにはまさに多様な解釈が作る段階で生まれたであろう。視線・喋り方など感情表出をする人間としての演じ方、ただそこにある肢体のあり様、そこに謡曲における「遊女」性などまで考えが及ぶのは、文学をしている身として精査し過ぎであろうか。まさに漢籍や平安朝物語から情事がつながる延長に、小さな古民家の舞台があったように感じられた。

芝居を観る刺激
そしてまた自らが声を出したい衝動
三股町の演劇文化拠点に多くを学ぶのである。


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短歌県みやざきシンポジウム&みやたん追い出し歌会

2022-03-13
「短歌県みやざきの作り方」
つながる力・拠点づくり・表現する手段を持つ県民
そして宮崎大学短歌会追い出し歌会へ

アーツカウンシルみやざきが主催する「短歌県みやざきシンポジウム」がオンライン開催された。以前から審議会として対話を重ねてきた高校教員・歌人協会の方々に加え、諸々の企画を展開してきた学生などが加わり、世代を超えた「短歌県づくり」について熱く対話をする機会となった。オンライン(zoom)には伊藤一彦先生もお忙しい中ご参加いただき、まさに県知事の公約を叶える「短歌県」を目指す議論が本格的にできた。前半は各活動報告、僕自身も「リーディング劇」「うたごはん」「ニシタチ歌集化プロジェクト」に自ら参加していたので、それぞれの動きに大きな意義と反響がある生の声も存分に知っていた。ともかく「短歌と劇」「短歌とごはん」「短歌と歓楽街」など、「短歌のちから」そのものが劇・グルメ・街を再活性化していくような展開が功を奏した印象だ。しかしシンポジウムで紹介されたアンケートデータによると、県民で「短歌に携わる人」の8割以上が「宮崎の短歌は盛り上がっている」と感じているが、高校生では反対に2割弱しか「短歌の盛り上がりは感じられない」と回答しているそうだ。それは僕自身が大学1年生の講義や県内高校への出前講義に赴いた際にも感じる印象で、より多くの一般の方々に「短歌」を感じてもらう機会が必要だ。シンポジウムで提唱された「つながる」を実現するためにも、県内・市内に短歌の拠点づくり(短歌サロン)も進める必要がある。カフェなどそこへ行けば「短歌が語れる」環境、高齢の方々が所持していた歌集本などを若い人に引き継げる場が欲しい。シンポジウムでは伊藤一彦先生にもコメントをいただいたが、「心を表現する手段を持っている県民」となり、「幸福度の高さ」の割には「自殺者が多い」という県の課題を少しでも「歌のちから」で解決に向かわせる動きができればという内容であった。学校現場で長年にわたりカウンセラーを務めてきた伊藤先生らしきコメントであった。

シンポジウム終了後、県庁近くの喫茶店に集まってオンライン視聴していた宮崎大学短歌会の学生らと合流し、今年度で卒業する学生の追い出し歌会を開催した。出詠15首、参加者9名、自由詠であったが卒業する学生に寄せた歌が並んだ。花が咲く・ウイスキー・ノート・いちご飴・到着ロビー・春告鳥・海底・象・どんぐり・麦わら帽・飴玉・玉子焼き・栄養素・初鰹など、素材は多様であったが、別れと出会いの春の香りが漂う歌会となった。現代的な素材であるにもかかわらず、どこか春の季節観を伴うのは「短歌」だからであろうか?『伊勢物語』にある「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」に表現されたように、自然という雄大な時間の流れの中に置かれた小さな人間存在などが浮かび上がる歌もあった。「待つ待たせる」関係もそうだが、人間である以上どこかで「孤独を孕む」宿命がある。それゆえに「短歌に表現することで人とつながる」ことが大切になってくる。文学に関わるということは、「私はひとりではない」ことを実感する機会でもある。宮崎大学短歌会の学生たちは学部も出身も多様であるが、「心を表現」することで在学時に自らを晒け出している。「自分を出す」そのものにも勇気がいる世の中で、それを厭わない学生の関係性は貴重だ。人に何も言われず批評されない学生時代では、自分自身が何たるかをわからないままに終わってしまう。どんな人生を生きようとも、自己表現をして開示し仲間との摩擦があってもその熱量を力にしていくような姿勢が必要だ。「心を表現する手段」があれば、世界は知的に平和であることをあらためて思うのである。

学生たちが「うた」に生きる
宮崎で学生短歌会の合同合宿を開催しよう!
「短歌県みやざき」は基盤よろしくまだ始まったばかりだ。


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自分がやりたいことを選ぶー大学の学費と進路

2022-03-12
「好きなことをやらせ」れば長期的な国力の向上に
それができなくなり「日本の学術的生産力がどれほど損なわれたか」
1970年国立大学授業料は年間12000円(月額1000円)入学金4000円

フランス哲学・批評家の内田樹さんが、Twitterに冒頭に記したような趣旨の投稿をしていた。今現在の国立大学法人では授業料535800円、入学金282000円で合計817800円が初年度の基本的な納入額である。この金額を自分で支払うことのできる高校生は「まずいない」としており、70年当時であれば「(高校生が)貯金箱をひっくり返せば1万円くらいあった。」と指摘する。当時の学習塾バイトが時給500円で、2時間働くと(月額)授業料が払えたのだと云う。ゆえに「『自分で出すよ』と言えば国公立なら進学先を自己決定できたのです。」と云うのだ。調べてみると国立大学授業料が現在の額に近くなったのが法人化した2003年(それ以前も段階的に値上げされてきたが)、昭和の終わり1988年(昭和63)で授業料300000円、入学金180000円(合計480000円)、僕らの時代1982年(昭和57年)で授業料216000円、入学金100000円(合計316000円)、1975年(昭和50年)で授業料36000円、入学金50000円(総計86000円)となっている。(文科省HPより)これを鑑みるに、やはり僕らの世代(1982年入学)でもなかなか高校生が初年度納入金を自分で出せるという額ではなかったのがわかる。僕の場合は、高校2年生頃から国立大学進学志望であったが、ある先生との出逢いでどうしても早稲田大学に行きたくなり、親に無理を言って私立大学に進学させてもらった。今思えば「早稲田に行ってなければ」
と思うことも多く、あの時に特に母が経済的な工面をしてくれたことは、今現在につながる大きな生産力と財産になったのだとあらためて感謝の気持ちでいっぱいだ。

進学先が親の意向通りかどうか?は時代を超えて大きな問題だったであろう。かの若山牧水も祖父・父と二代にわたる医師の家系を継がず、文学を志して早稲田に進学した。その後も故郷の親やその周辺の人々は牧水を非難したが、苦悩に苦悩を重ね短歌の道を貫いたからこそ今現在こうして短歌史上の偉人として語られる存在となった。「文学なんぞで金は儲からず稼げない」といった風潮は、僕らの時代でも語られたことであるが、それだけに「文学を志す」には確固たる意志が必要となる。高収入で安定した職種や就職先への線路が敷かれている道、いつの時代も親が子にそれを願うのは必然であるのかもしれない。だが子どもが大志・野望を持った時にそれを尊重できるのも親だけであろう。僕自身も親の家業である建築業を継がなかった息子であるが、こうした面で牧水と共感できる面もあると思っている。学部卒業後に高校専任教員を長く勤め、そして大学教員になった身として、時代とともに親の意向が強く子どもの進学先に働いているのを感じる。「好きなこと」を目指すよりは「偏差値の高い大学」への進学のみに親が躍起になり、本人の志向が無視されている実情に高校教員として向き合った経験も多い。「好きな音楽」がやりたかったのに、「教師を目指す」しかなかった親戚の貴兄の思いが悔やまれる時もある。そのためにも、高校までに「好きなこと」いや「好きそうなこと」を見つける思索の旅が必要になる。その上で奨学金の活用やバイトで学費が稼げる社会的環境が整うべきと思う。文学を志すことを許してもらった僕は、学部4年間は貸与奨学金+塾講師のバイトで自らの使用する分は賄った。卒業後14年間、教職に従事することで貸与額は免除になった。(現在はこうした制度もなくなってしまった。)さらに大学院は自分で現職教員として働きながら学費も支出し、総計9年間(修士3年間+博士後期課程満期6年間。一部大学独自の後期課程奨学金を受けた。)を修了し学位を取得することができた。そして今でも「好きなこと」が、宮崎でできる幸せに巡り逢えているのである。

次週予定されている高校生への講演準備に思う
「好きなことを仕事にする」ことこそが多様性のある豊かな社会だ
学部としても「教員志望」とは何かを社会的に考えていく必要もあると思う。



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