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忍耐強さとかかりつけ医

2022-02-13
母の忍耐強さ
育った環境で育み伝えられること
新型コロナワクチン接種でも話題となった「かかりつけ医」

幼少の頃から、母の忍耐強さに学ぶことが多かった。決めた道は意地でもやり通すこと、苦境でも泣き言をいわないこと、過去は引きずらず前を向いて歩くこと。僕自身が信条としていることは、こうした母からの教えによるものである。母はよく自らの母のこと(僕の祖母)や伯父の言葉を挙げながら、いつも僕を諭していた。それは宮大工の棟梁であった父(僕の祖父)が、母が幼少時に夭逝してしまったことから、母と姉弟妹らと手を取り合って戦前戦後を生き抜いたことで養われたちからなのだと思う。混雑する汽車に乗って遠方の海まで潮水を汲みに行かねばならなかったような経験、3里(約10Km)ほども雪道を歩かねばならない経験など、まさに忍耐の二文字でしか言い得ない経験があるのだ。だが僕が少し大人になると、その忍耐強さの負の面も感じることがあった。何事も苦境を自分自身で抱え込んで、僕らには言わず耐え抜こうとする。本来は家族が協力すれば越えられるはずのものを、である。実際に母自身は僕の祖母らと家族の力で苦境を乗り越えたはずだから。

感染拡大で巣籠もりが続いているからか、母が不調を訴えた。たぶんこれもほぼ1週間は自分で抱え込んで耐えていたようだ。この日はとうとう「医者にかからないと」と言い出したので急遽、懇意にする医師のクリニックに電話し土曜診療の最後に入れてもらった。もっと早く計画的に診察を受ければと思いつつも、受け入れてくれた医師とその奥様への感謝に堪えない。前述したような性格であるゆえ、ほとんど医師にかかったことがない母である。僕が幼少の頃に虫垂炎で近所の病院に入院した記憶があるが、あとは眼科と歯科ぐらいしか診療を受けたことがない。眼科と歯科もかなり症状が悪化してから、僕が検討を重ね間違いのない医師だという折り紙つきでやっと診察を受けた次第だ。だが年齢的にこれからはそうはいかない。新型コロナワクチン接種でも「かかりつけ医」という言葉があらためて脚光を浴びたが、状態を常に診てもらえる医師が必要だと、宮崎に父母が移住してきてから常々感じていた。診察を受けた結果「特に異常なし」、やはりいま世間で多くの人々が抱え込んでいる「巣籠もり病」なのだろう。母の場合はとりわけ社交的な性格なので、他者との会話機会が奪われてしまうのは大きい。それにしてもまずは身体的な面で異常がなく、何よりこの日から「かかりつけ医」となった先生に感謝である。

自らの身体は自らが一番わからないのかもしれない
忍耐は大切だが、度を越すと家族に迷惑をかけることも
宮崎に歯科と内科の「かかりつけ医」を母が持てたことがありがたい。


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