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平穏な海に祈り平和への発信を続けること

2022-02-28
この部屋にミサイルが飛んで来たら
宮崎の海は平穏でその先で軍事侵攻が起きていることを想像する
ロシアのウクライナへの侵攻に断固抗議の発信を続けたい

いま私たちの居る部屋にミサイルが飛んで来て壁を突き破り、家もそして自分自身の存在が侵されたらどう思うだろう?ロシアによるウクライナ侵攻のメディアによる報道を見て、そんな想像をした。自分自身のみならず妻や親などの愛する存在が、日常の平和な生活を脅かされる。報道の映像による涙ながらに語る子どもの様子を観て、いま世界がこの蛮行に徹底的な抗議を発信し続けるべきであると思う。その一方で歴史を深く認識し「なぜ?こんな侵攻が起きるのか」を考えることも必要だろう。昨日の小欄には僕自身の旧ソ連におけるモスクワ体験を綴ったが、米国の傘下にあり冷戦時の西側贔屓が未だ根強い凝り固まった思考から、ある程度のニュートラルな思考への転換も必要ではないかと思うこともある。冷戦時のことは小学校でも勉強したが西側NATO(北大西洋条約機構)と東側ワルシャワ条約機構が欧州を二分していた。だが旧ソ連が1991年に崩壊するとワルシャワ条約機構は事実上の解体、その流れでNATOも解体すると旧東側である特にロシアは思っていたようだ。だがNATOはそのまま維持されるばかりか、旧東側の国々の加盟が相次ぎ現在に至る。今回の侵攻の根を考えるに、この30年前からの歴史を抜きには考えらえない。

あくまで、軍事侵攻を断行する指導者への批判はすべきではある。だが米国を中心とする勢力の恣意的で偏向的な長期の姿勢についても、同盟関係の強い国の市民として問題視をすべきである。またさらに注意しなければならないのは、軍事侵攻を目の当たりにしたからといって、自国も危ういと煽られることで、世界に軍拡の流れが生じることだ。報道を目にする度ごとに、ウクライナ侵攻が対話で1日も早く終結を迎えて欲しいと願う。そのための国連と考えたくなるが、常任理事国の拒否権が発動されるというのは、明らかに第二次世界大戦の戦勝国が偏った力を持った場であることも忘れてはならない。あの冷戦の時代からはだいぶ未来になった印象を持っているが、30年そして77年の歴史の亡霊は今もなお世界の均衡や平和に暗澹たる影響を及ぼしている。精神を落ち着けたい日曜日の昼下がり、妻と近くの海岸に出向いた。人影も少ない海岸でサンドイッチを食べながら、海の向こうで起きている暴挙に思いを馳せあらためて「平和」を祈った。僕たちは、あまりにも平和な場所に生きている。だがその平和が長い歴史の中で、多くの犠牲になった人々の力で成り立っていることも思うべきだろう。煽られて体験なき戦意を昂進させることを慎重に拒みながら、僕たち一人ひとりが「平和」を作っているのだというあくまで理性的で思慮深い思いを抱きつつ、こうして抗議の発信を続けていきたい。

自然の山にも海にも「戦争」はない
「蛮行」と呼ぶのはあまりにも前近代的な思考だから
いまこの部屋で、という想像をしつつ冷静に世界を見つめていきたい。


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あの日のモスクワ体験から

2022-02-27
1989年12月21日モスクワ市内泊
トランジットホテルでの拘束的な滞在
その後のソビエト連邦崩壊から30年

仕事でいえば高校教員となって初任校3年目の冬休み約2週間を丸ごと費やし、一人の同僚を伴い欧州への自由な旅に出た。弱冠20代半ばの僕は、両親を通して親しい登山家がスイス国境に近いフランス在住であったために彼の家を目指したのだ。欧州往復の航空便はどうしようかと検討する中で、今現在ほどLCC(格安航空会社)があるわけでもない時代、格段に値段が安い旧ソ連の国営航空会社「アエロフロート」を選択した。知人の登山家も「アエロフロートは面白い」などと僕らを煽り、その貴重な体験をさせたいような言動が目立った。色々と調べてみると荷物のX線検査の透過率が高いので、カメラのフィルムなどは特殊な防御袋に入れないとやられるとか、かつてKGBらしき人物に手荷物検査を受けた経験などを聞かされた。成田空港に行くと尾翼やエンジン取り付け位置がやや見慣れない機体が搭乗機、比較的航空機に詳しかった僕はすぐに「ツポレフ製」だとわかった。成田を離陸し北上するのがわかったが、機内アナウンスのロシア語が妙に僕の心に突き刺さるように感じられた。やがて真冬のシベリア上空、凍土の大地が眼下に見えつつ窓際の席は冷たい風が吹き込んで来るようで初めて膝掛けの重要性を悟った。機内食をやや大柄な男女を問わないCAが運んで来る、搭乗時間は約10時間の直行便で当時のソビエト連邦首都モスクワに着陸した。

初めて共産圏の土地を踏む緊張感を伴いつつ、モスクワ空港内に入るとある種異様な光景の連続だった。レストランには食べた後の食器が下げられず卓上に散乱しており、そこらじゅうの床に寝転んで待機する人々が溢れていた。僕の当時の実感は「この国にはサービス業がないのか」というものだった。その間、常に係員に誘導されてトランジットホテルへ向かうバスへ乗り込まされた。しばらくすると機銃を持った兵士がバスに乗り込んできて、僕らのパスポートをチェックし始めた。チェック後には手元に大事に保管したいと思いきや、そのままパスポートは兵士らに収奪された。いくら若い僕らでも、さすがにこの事実を悟った際にはいささかの恐怖を覚えた。それ以前の海外経験が観光地のグァム島ぐらいだったので、赤い表紙のパスポートの厚遇に奢っていた自分を発見した。バスが走り出すと雪に覆われた周辺の土地を黄色い街灯が照らし、モスクワ郊外の土地にはあまり街らしい景色も見えなかった。バスを降ろされると雪道を100mほども歩かされたであろうか、無機質な収容所のイメージしかない建物に入った。机上に適当に鍵が並べられ、あまり説明もなく早い者は鍵を勝手に我が物としている。「これだ!」とばかり知人の登山家から聞いていた「早い者勝ち」が頭によぎり、僕自身も勝手に同僚との二人部屋の鍵を確保した。機内から一緒になった一人の日本人がいたが、やや出遅れてターバンを巻いた見知らぬ人と同室になってしまっていた。航空機内の座席もそうだが、日本の感覚だと指定席を守るのが原則だが、どうやら「早い者勝ち」なところが否めなかった。それがソビエト連邦の常識なのか、それとも欧州全体の常識なのか、判断するのにはその後の旅を待つしかなかった。翌朝、収容所風ホテルの1階に行くと、僕らのパスポートが並べてあった。よもやこれも「早い者勝ち」などとその管理のいいい加減さに驚きつつ、再び赤い表紙の菊の御紋を胸に仕舞い込み空港へのバスに乗り込んだ。

その後、チューリッヒ行の座席はまさに「早い者勝ち」
無事にスイスの空港に着くとその空港の明るさに計り知れない安堵を覚えた
僕の唯一のモスクワ体験記である。


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いつになったら大人になれるのか?ー断固「平和」を求めたし!

2022-02-26
冷戦から雪解けを経て
理想の未来とは「世界はひとつ」なのか?
個々の主権が尊重されれこそ

ロシアのウクライナ侵攻に対して、断固たる抗議をしたい。「主権国家に対する武力による現状変更」というような言い方が為されているが、勝手な理由づけは許されない前近代的ともいえる蛮行である。さらに恐いのは、その侵攻の様子や方法がメディアによって全世界に可視化されているということ。Webをサイバー攻撃で遮断し、国境周辺を陸から固め空港施設を攻撃し制空権を奪い他国との往来を断ち孤立化させる。そこへ首都へ向けて侵攻を進め、政権を担う者たちを拘束しようとしている。たぶんここに記したことは表面的で、現実はさらに用意周到な戦略が採られているのだろう。既にWeb上の言論に目立つのが、日本を含めた東アジアでも起こり得る事態だという懸念である。理性なき恐怖の抑圧を見せつけられ、「自国は自国で護らねば」と躍起になって武力を拡充せよという言論がはびこれば、世界中が冷静さを失い負の連鎖が生じかねない。幼い子どもの理性なき凶行に対して、果たして大人は刀を振り上げて向き合うべきなのか?77年間も保たれてきた均衡から学んできたことの賞味期限が切れたのでは、あまりにも人類は愚劣ではないか。

僕らが子どもの頃は、21世紀には輝かしい「平和」な未来が来ると固く信じていた。SFではむしろ宇宙から侵略を受ける内容が多く、そうした事態になれば地球上の国々は即座に結束する姿が描かれていた。僕が好きだった「宇宙戦艦ヤマト」もその一つで、西暦2199年には世界連邦ができており、遥か銀河系の彼方からの侵略を受ける物語だ。SFアニメ上の想定年代まではあと「177年」ある。これを小刻みにしてみると、2101年いわゆる22世紀までは「79年」。今年は1945年(昭和20)から77年目、さらにそこから77年遡ると明治維新。この154年間に世界は戦争をくり返した時期を経て、「平和」について対話できる大人になった「世界」がようやく出来上がった(ように見えた)。冷戦後の図式もすっかり変わり、Webの進化が「世界」をひとつにしてきたように見えた。否、むしろ「ひとつ」であるという思考がよくないのかもしれない。力ある愚者が「ひとつ」を目論み今回のような愚行に走るからだ。直前に開催された北京冬季五輪、そして東京夏季五輪は何だったのだろうか?人類がスポーツを通して理性的に友と友とが競い合う成熟した「平和」な姿を噛みしめる世界的イベントではなかったのか?何よりまずはウクライナの主権が護られることを祈るばかりである。

そしてこの国はどうあるべきか?
新型コロナで世界が困窮する中での蛮行
それを許さないという言動の中に理性ある大人の対応を求めたい。


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短歌と演劇との交差点ー言葉を絞り出し、こぼれ出る過程

2022-02-25
「それを表現というのか現象というのか」
「すでに短歌あるいは科白というかたちになった言葉に、
 感性を委ね切ってしまっては、いけなくて。」(宮崎の劇作家・演出家・役者のTwitterより)

酒でもお店でも、はてまた医師とか理容美容師でもそうだ、邂逅とも呼べる運命的な出逢いだと感じた時には、「そこから先」が大切だと思う。出会いが芽吹きだとすれば、その後の寒さに耐えながら開花を待つ時間を大切にできるかどうか?このような意味で今回のリーディング劇公演は、短歌にとって僕にとって運命的な出逢いであったと言える。通常であれば公演後の飲み方(会)で脚本・演出・キャストやスタッフのみなさんと語り合って、さらなる開花への話をするところだが、コロナ禍はそれを許さない。だが僕たちがどうしようもないかといえば、そうではなくSNSという「おしゃべり」に反応することができる。本日の小欄は、そんな交差点となる時空の言葉である。冒頭に記したのは、先日の公演の照明等を担当していただいたスタッフのお一人の呟きであるが、大変に気になって覚書として小欄に引用をさせていただいた。彼とは以前にある高等学校の特別講義でご一緒したことがあり、その際の即興芝居や教室での抒情感溢れしかも大仰でない演技が個人的に大変印象深かった役者さんであった。今回は脚本も書き演出もするのだと知って、これからさらに交流の機会を持ちたいおひとりだと思うところである。

今回の公演で「牧水役」を演じた僕は、終末のタイトルコール以外はすべてが「牧水短歌の朗詠」であった。愛してやまず研究に執心する牧水短歌を、評論などではなくこのように表現できたことは、新たな視点の切り口をもたらせてくれた。だがその一方で、稽古の段階で欠席者がいるとその代役を務めた際の楽しさが忘れられないでいる。それは脚本上の構造でも明らかで、現代に時を超えて牧水が小枝子に再び逢わんがために再来する訳である。小枝子に対するト書きで示されたように、現代を生きる登場人物にはその姿は見えず「何かを感じている」だけなのである。ラストの朗詠は全員で声を出すという終末の演出であったが、「牧水短歌」が現代にも生きるという構図から役柄上僕は抜け出すことができないのだ。そんな抑制されたものを、登場人物の科白が十分に補ってくれたのは確かである。舞台袖で出番を待つ際に、何度かその科白に涙ぐんだのがその証拠である。そこで本日の副題「言葉を絞り出し、こぼれ出る過程」がそこにあることを実感した。考えてみれば「短歌」そのものも「場面」に接した作者が「言葉を絞り出し、こぼれ出る過程」があって、それを推敲に推敲を重ねて結晶化していく作業のようにも思う。その「入れ子構造」のような中で、今回僕は稽古から公演までを楽しめたのだと思う。脚本の随所には「いかに短歌を楽しむか」という方法が科白に仕込まれていたとも言えよう。まだまだ考えたいことは山積だが、本日はこのあたりで筆を置くことにする。

寺山修司が考え実践し表現していた多面的な芸術とは
短歌はどの場面をどのように具体的に切り取ればよいか
牧水の真に迫るために、他の研究者がなし得ないかけがえのない体験なのであった。


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すべての子どもたちに文化体験を贈りたいー「正しさ」の脅迫

2022-02-24
「私たちは『正しさ』に怯えてはいないか?」
自分の身体が喜んでいる体験をしよう!
「食べる」「舌で味わう」ようにどこで生まれても豊かな体験を

「劇団こふく劇場」代表の永山智行さんのお声掛けで、標題のような「おしゃべりの会」があるというので県庁まで赴いた。クラシックな煉瓦づくりの県庁5号館、そのホールに炬燵を出してみんなで宮崎の文化や課題を語り合おうというアーツカウンシル宮崎が主催する企画の一つである。冒頭のような内容で永山さんが口火を切った。社会全体が「正しい」こととは何か?と怯えているようだと云う。「正しいマスクのつけ方」「人が集まるのは?飲食をするのは?」所謂「空気を読め」というような社会的な同調脅迫のような社会の傾向が、長引くコロナ禍によりさらに強まっている印象だ。例えば、今回リーディング劇を企画開催し役者として参加したが、この状況下で「正しい?」のかどうか。否、それは「正しい」という尺度ではなく、参加する観覧する個々人が多様にどのように生きているか?という問題である。この状況をもってしてもやりたいものがある、やるべき価値がある。「正しい」のではなく、360度全方位球体の中で自分はどのような位置にいるか?を知る相対的で広い視野が必要だろう。

5年以上前になるだろうか、宮崎赴任後からの3年から4年ぐらいはよく「芸術家派遣事業」に参画し、朗読・落語・読み語りなどを主に小規模校を中心に届けていた。自らの音読・朗読研究の延長線上における社会的な視野の実践でもあった。この日の企画者である永山智行さんともともに小学校で演劇・表現ワークショップを実施したこともある。僕自身も演劇的な表現を小学生らとともに実施することで、かなり勉強になる機会であった。ところがある中学校に親友の落語家とともに行ったところ、生徒たちは廊下は「無言移動」、会場に来ても整列し姿勢を崩さず抑圧的な指導が為され、落語が始まっても「笑える」雰囲気がまるっきりなかった。「(外部から来た)落語家の先生が一生懸命喋っているから、笑い声など上げずに聞きなさい」といった雰囲気だった。忍耐強い親友の落語家もさすがに、早々にその学校公演を引き揚げたいという感じであった。以上がこの日に僕が発言した体験談であるが、まずは「学校現場を柔らかく」せねばなるまい。「鑑賞教室」は形骸化した行事ではなく、子どもたちが豊かな笑顔になる機会である。学校には笑顔と笑い声が必須だ。今「正しさ」の脅迫が、子どもたちから笑いを奪っている。それゆえに大量教員退職時代を迎え、教員養成で学ぶ学生たちにこそ笑顔にできる「芸術体験」を理屈ではなく実践として学ぶべきと思いを新たにする機会となった。

笑い声に溢れる学校を
抑圧はさらなる抑圧を生み、「いじめ」への連鎖を生じる
この日に集った宮崎の仲間、みんなで「ひなた笑顔」のある宮崎にしてゆきたい。


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「うたごはん」歌会ー「糀素弓(はなそゆみ)」編

2022-02-23
「ご飯を食べて短歌を作ろう!」県民芸術祭企画
飲食店で美味しいものを食べて短歌の世界まで味わおう!
あるお店のカウンターで第1次選考歌会

宮崎県民芸術祭企画にて「短歌県づくり」に関するいくつかの事業が動いている。一つは先日のリーディング劇「牧水と恋」も、助成を受けての事業であった。他に宮崎大学短歌会の学生らが主催している事業が2つある。そのうち一つが標題の「うたごはん」、宮崎市内中心部の美味しお店を何店舗かのご協力を得て、各店のお客さんに短歌を詠んでもらうという企画である。周知のように先月来「まん延防止」が施行されており、現在各店舗は休業中。かろうじて施行以前に集まった短歌について歌会を行い撮影した映像をYouTubeにアップするというもの。また市内のTSUTAYA書店さん(宮交シティ店)の協力により、書店内でも歌が投稿できるようにしている。いずれにしても県民の生活の身近に短歌があることを意図した企画である。

提出された歌を小欄で具体的に触れるのは企画の性質上控えるが、どの歌もお店への愛情の深さが読み取れる温かい歌たちであった。またこの日の会場とさせていただいた「糀素弓」さんというお店は、カウンターだけの清楚で和やかな雰囲気のお店である。以前から僕自身も酒場の「カウンターコミュニケーション」こそが、大仰に言えば生きる上でも大切ではと考えていた。昨夏の吉田類さんとのトークショーでも話題としたが、「酒場は学校」であり「そこで上手く振る舞えるかどうか?」で社会でやっていけるかどうか一定の見通しが立つと類さんも語っていた。そのカウンター越しのお客様の視線が短歌という形式を持つことで、一躍繊細な言葉となってお店に起ち現れてくる。短歌そのものが優秀なコミュニケーションツールなのだ。歌会で語る歌たちには、誠に人間的でお店や店主を愛する心が豊かに表現されていた。

3月6日(日)14:00〜TSUTAYA書店宮交シティ店で最終選考歌会
コロナで苦境に耐える飲食店の店主たちに
せめて短歌が潤いをもたらすことを願いつつ。


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幸福度ナンバーワンの宮崎県どうして・・・

2022-02-22
「どうして自ら死ぬ人いるの」」
劇中で短歌を詠んだ女性の思い
「罰のような苦痛刺激」の罪

今回のリーディング劇への参加は、僕にとって大きな刺激となり力となった。Web上ではよく「・・ロス」(あるべきものが終わったり無くなったりしたことを哀しむ)という言い方をするが、心は夕方になるとまた稽古に向かいたいようである。仲間たちと公演という一点に向けて走った1ヶ月・半年・8ヶ月が、あまりにも幸福で掛け替えのない時間であったからだ。そこでふと冷静になって考えてみると、これは宮崎であったからできたことだと実感する点も少なくない。一つにやはり、文学・文芸を嗜む人たちが多く身近にいるということ。公募文芸賞の多さやそれに関連した公演・講演・座談などが県内・市内で盛んに催されるのは大きな利点である。もちろん東京などでもその要素はあるのだろうが、あの過密さの中で明らかに薄まる。二つ目に、この人口密度があまりにも適切で人間らしい生き方を演出してくれている。それは感染数が、一定のところで留まることにも関連があろう。同時に稽古でも公演会場でもそれほど遠くなく、コンパクトな市内で実施できたことは、僕などが学期末業務と両立して今回の活動に参加できた大きな要素である。

本日の標題「幸福度ナンバーワンの宮崎県どうして」冒頭に記した「自ら死ぬ人いるの」を続けると、今回の劇中で登場人物の女性が詠む短歌となる。「幸福度」が様々な部門で高いのは、前述した要素に加えて、人々の親和性の高さがあるからだろう。穏やかに和やかに人と人とが争わない心豊かな県民性、たぶん都会で荒んでいた僕自身の心もそんな人々との出逢いによって宮崎への愛着がどんどん増したのだろう。だが「どうして・・・」という大きな問題を抱え込んでいるのも事実である。「心豊かに」とは言いながら、現実社会があまりにも厳しい事態であることにも眼を背けるわけにはいかない。この日は「教育学部プロジェクト研究報告会」が開催され、役職上司会進行役を務めた。それぞれの発表が興味深かったが、特に「学校全体を対象にした積極的行動支援」という研究報告ではハッと眼を覚まさせられた思いがした。学校で子どもたちに向かう際に「罰のような苦痛刺激を用いない」のが支援なのだと云う。指導者が「罰」を与えるのは根本的な問題解決にならず、むしろ「副作用」が大きいとも云う。考えてみれば指導者の与える「罰」とういのも広い視野で見れば、「いじめ」ともいえる言動になるだろう。調査によれば「罰」を与える指導者に向き合う子どもたちは「いじめ」を「いじめ」と認知する度合いが低いと云う。ゆえに「ポジティブな行動」を視野に支援すべきということだ。今なお「強制し抑えつける」ことが指導であり教育だと勘違いしている人たちがいるのも事実だろう。この学校支援の問題を短絡的に「自死」の問題につなげることは慎重であるべきだが、穏やかで和やかで緩やかな性質に「強制」的な圧を決してかけるべきではないだろう。あらためてこの宮崎を、文芸でより和やかに生きられる土地にして行くべく、僕は生きてゆきたいと思うのである。

仲間がいて仲間に会いたい思い
牧水を起点に短歌で心を発露する宮崎でありたい
「短歌県」の行く手に「幸福度ナンバーワン」を見据えながら。


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リーディング劇「牧水と恋」公演の幕が上がれり

2022-02-21
和服・股引き・脚絆・マント・西洋風ハットに杖や傘
「山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君」
牧水の朗詠を劇で演じて

いよいよ公演当日、前日も丸1日の会場設営やリハであったが朝の目覚めは爽快だ。この約1ヶ月間の稽古に参加してきて、ほぼほぼストレスがないことが大きな要因だろう。回を重ねるごとにスタッフ・キャストの仲間たちに早く会いたくなる心境、一つの創作表現をともに創る個々の思いが美しい結晶となって輝いているような思いである。「仕事」では得られることのできない言葉にならない連帯感、そして高揚感、舞台を創る経験のある者しか味わえない広大で豊かな浜辺に僕は立つことができた。今回は「リーディング劇」という形式で脚本を片手に持って語る、つまり「朗読」と「劇」の中間的な方法である。よく〈教室〉での学習活動として「朗読劇」を提案する際には、「朗読」と「劇」の差は何であるか?という理詰めな質問で責められたものだがこの両者が多様な次元で接近することができる実践がここにあった。若山牧水の恋を題材としたことも大きいのだが、幕が上がって出番を待つ舞台袖にも関わらず何度も涙腺が緩む「声」があった。それではまだ役者として未熟なのか?それとも脚本の世界に入り込んだということなのか?60分の公演で自らの出番となる場面が、いよいよ身体性を持って刻まれ濃密で無意識のような舞台上での感覚を持った。作為がない演技、これは落語の一席をお客さんを前に演じた際の恍惚に似ていた。

当初予定していた本学附属図書館での公演、「まん延防止」の発出により一気に「不可」となり劇団0Q主宰の前田晶子さんの尽力で早期に新たなこの公演会場に出逢えることができた。聞くところによるとこの新設高校には「演劇表現」のコースも設定されていて、いずれこうしたギャラリー公演を実施したいという意図を持った教室構造であるという実に幸運な出逢いだった。それにしても既に2年になるが、僕たち人と人とがつながる貴重な機会を失わせるコロナ禍。本公演にも本当は多くの学生たちに参加・観覧してもらい貴重な体験を積んでもらいたかったが参加者は限定的となった。しかし公演そのものは午前の回は満席(予約がなくお断りした方もいたという申し訳ない状況と聞く)、午後も9割方のご来場をいただき、少なくとも僕らの公演がコロナに勝った思いを抱かせた。日々重ねてきた稽古から公演に至るまで、どこかで感染のリスクと向き合わねばならない社会事情。チラシを郵送しお誘いした方々にも、「ご無理のなきように」と添え書きせざるを得なかった。それにも関わらず、伊藤一彦先生をはじめ短歌関係の多くの方々にご来場をいただいた。マスクはもとより一人ひとりが日々の衛星を心がけ健康管理をする、僕たちはそんな基礎基本の生き方を見直し、貴重な人と人とが交わる機会を失うべきではないという思いも新たにした。公演後の喩えようのない爽快感、僕の中で「短歌」と「声」の研究が多様な方々との交流で豊かに実践的に繋がり始めた貴重な機会であった。

牧水の立場になった哀しく危うい恋の経験を舞台で
研究者であり実践者でありたいという僕自身の信念
「短歌県みやざき」は幸福度ナンバーワンの要素に「演劇」とのコラボを見出した。


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リーディング劇「牧水と恋」公演一人ひとりの力を紡いで

2022-02-20
お客様席からどう見えるか?
照明さん・音響さんたちの繊細な心配り
そしてみんなで声を紡ぎ脚本は現実の芝居となる

リーディング劇「牧水と恋ーうら恋しさやかに恋とならぬまに」は、いよいよ本日公演となった。思えば昨年6月、今回の脚本を手がける藤崎正二さんが公募脚本賞を受賞しその舞台を観覧に行った縁がこの日につながる契機となった。藤崎さんは高校教員であるが、詩人でもあり定期的に市内で自由な朗読会も主催する文芸家である。かねてから朗読も研究分野であった僕は、この朗読会が立ち上がった頃、市内のカフェまで出向き参加していた。ここ数年は仕事が忙しいせいもあってなかなか朗読会に参加できていなかったが、むしろ高校国語教育研究会でお会いする機会もあった。藤崎さんが指導する文芸部の生徒たちは、牧水短歌甲子園で優勝の経験もあり「国文祭・芸文祭みやざき2020」でも大いに活躍した。世間には所謂受験対策のみに囚われ躍起になる教員が多い中で、まさに文芸を基盤に据えた心豊かな高校教育実践者である。「短歌と演劇」この両者をつなぐ糸は「声」である。確かそんな話を藤崎さんに投げ掛け、このリーディング劇を創る動きが芽吹いたわけである。

これまた僕が宮崎に移住した頃から、地元局のアナウンサーの方々との交流もあった。その一人が前田晶子さん。宮崎で和歌文学会を主催した2017年の際には、公開シンポジウム宣伝のために彼女がDJを務める30分のラジオ番組に出演させていただいたこともある。機会あるごとに「語り」の公演にも伺っていた。今回も藤崎さんをかなめとして劇団も主宰する前田さんと僕がつながり、急激な化学反応が生じたことで、さらに多くの人々の力が集結される結果となった。年代層も豊富な役者陣の人々、稽古時点から鋭い指摘を提供し会場作りにも尽力いただいた演出助手の方、絶妙なタイミングで効果的な音楽を提供する音響さん、さらに劇そのものの雰囲気を大きく左右する照明さん。公演前日にあたり、小屋入り会場設定から場当たり、そしてゲネ(直前通しリハーサル)に至るまで、この人々の力が集結して実に濃密な時間と空間を共有できた。何より今回の脚本のモチーフが牧水の短歌であることは、僕にとってもたまらない機会である。出番を待ちながら他の役者さんの台詞を聞き、思わず涙ぐんでしまうほどの濃密な劇に仕上がってきた。2回公演である本日、11時の部は満員札止め、15時の回にあと10数名の席が残るのみの盛況となった。いよいよ幕が上がる時間が近づいた。

リーディング劇「牧水と恋ーうら恋しさやかに恋とならぬまに」
①11時〜(満席)②15時〜(残席わずか)
公演会場:宮崎市内:勇志国際高等学校宮崎学習センター(宮崎ナナイロ東館・旧ボンベルタ橘)

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みんな言語が好きだった

2022-02-19
英語イディオムと日本語の比較言語学的視点
大学学部で一番厳しかった科目として
多言語との相対化、特に漢字文化圏言語として

高校3年生の今頃、近所の書店で「大学受験ラジオ講座」のテキストを購入した。中でも「実戦英文法」という講座に魅力を感じ、3月の開講を待った。テキストには高浜虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」の句が示され、文学の響きに奮いたちながらも英文法としての解析に惹かれ始めた頃だった。当時は「英語の神様」と呼ばれた西尾孝先生のラジオ講義は、実に流暢な喋りでわかりやすい上に、時折「比較言語学」のような話題に触れる学問的な受験講座であった。この影響もあって一時は、「英語学」を専攻しようかと思っていた。その後、西尾孝先生とはYゼミナールの講習で直接に講義を受けることができ、講義後はよく質問に通い親しくお話しできる間柄となった。首尾よく西尾先生の大学の後輩になることができた後も、講習を担当する期間や時間割を調べてゼミナールの講師室を時折訪ねていた。さらに教員になってからは、自宅にお招きいただく機会も得て、長年にわたり僕自身が学問を志す大きな心の支えであった。

昨日は同僚の韓国語の言語学を専門とする先生と、ある歌人の方とそのご子息とでオンライン座談会を設けた。テーマは歌人の「韓国ドラマ」を題材とした発表作品について、あらためて韓国語母語話者も納得する繊細な短歌表現であることが解き明かされ、実に有意義な時間であった。座談の中で、歌人の方も大学学部で当初は言語学を専攻しようとしていたという話を聞いた。初耳であったので意外に思う気持ちと、腑に落ちる気持ちが同居した心境になった。それは僕の中にある言語学としての日本語への思いにも拠るものだろう。大学学部での「国語学」、今で云うところの「日本語学」の先生にはやや異質さを覚え、前述した「英語学」への興味はありながら「日本語」でそこを専攻にしようとは思わなくなってしまった。もちろん同分野で納得いく「音韻アクセント」の講義を展開する先生もおり、講義ではよく当てられて徹底的に厳しい助言を直接に受けた恩恵のある先生もいらした。そんな環境から、「言語学」的ではなくやはり「文学」を学びたいと思い古典和歌を専攻とする先生に師事した。中高教員になってからも「古典文法」や「漢文句形」を教えるのは嫌いでなかったが、多くの同僚が文法に終始するあまり「古典文学」そのものを生徒らが嫌悪している実態を知って、「文法」に偏るべきではないという反発心が心に深く宿った。しかしながら宮崎に来てから短歌創作も本格的に始めて、歌会などで微妙な文法の機微が問われることが多くなった。決して専門ではないながら、この分野の知識が必須であることを悟った。どうやら今回の座談会に参加いただいた歌人の方も、作歌の基盤には「言語学」があるのだろう。しかも短歌表現の上では、それを決して漂わせないところが実に秀逸だ。漢字文化圏の言語として、韓国語を窓口として短歌への見方が大いに変革する有意義な時間であった。

息子さんもまた「言語学」を志す
あらためて比較言語学の同僚の先生から学ぼう
みんな言語が好きだった。


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